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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

久しぶりに歴史:川中島合戦の上杉謙信本陣跡・斎場山から陣場平へは、冬が最適(妻女山里山通信)

2011-12-23 | 歴史・地理・雑学
 永禄4(1564)年の第四次川中島合戦で、上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山513m)から、謙信が陣城(陣小屋)を建てたと伝わる陣場平へと歩いてみました。出発は、現在の妻女山(411m)駐車場から。妻女山展望台の南に妻女山松代招魂社、その更に南に駐車場があります。ここから右の林道を登る事15分で、写真にある長坂峠に着きます。(詳しい行き方は「妻女山から斎場山への行き方」参照。地図は下の地形図を)

 『甲陽軍鑑』にある川中島合戦の「西條山(さいじょうざん)」とは、「斎場山(さいじょうざん)」のことです。妻女山は江戸時代に命名された俗名です。本来は斎場山のことを指したのですが、後年地元でも下の赤坂山を妻女山という様になり、現地形図でもそう表記されています。事の詳細は、妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をお読みください。

 この長坂峠は、昔は東風越といってもう少し東にあったのですが、昭和30年頃に林道ができて現在の位置に移動しました。よく見ると旧山道の跡はあちこちに見られます。ここから陣場平までは、掲載の写真で詳しく説明しています。位置関係は下の地形図で分かると思います。
 この辺りは、初夏から秋まではオオスズメバチが営巣して飛び回るので、知らないと少々危険ですが、冬場は蜂も蛇も、稀に出没する月の輪熊もいないので、最適なシーズンです。運が良ければニホンカモシカに出会えます。また、落葉しているので、全体の地形が把握し易いのです。
↓右クリックで「画像だけを表示」にすると全体が見られます。


 陣場平は、 『甲陽軍鑑』の編者といわれる小幡景憲彩色の『河中島合戰圖』(東北大狩野文庫)に七棟の陣城が描かれている場所で、山上の広大な平地です。夏場は薮になって入れませんが、冬枯れの時期は見通しもよく全貌を見る事ができます。長坂峠から登って5分余り、大きなトーテムポールのような堂平大塚古墳の標識が見えたら、その左手が陣場平です。掲載の5番目の写真で分かる様にかなり広いところです。周囲には、伏兵を潜ませたという千人ヶ窪や、謙信がその水で茶をたてたという陣用水の泉、甘粕隊が布陣したという月夜平など、川中島合戦にまつわる地名が数多く残っています。また、陣場平からは赤松越しに武田信玄が籠った海津城が見えます。


上杉謙信布陣の斎場山と陣場平「今昔物語」
 昭和22年にGHQが撮影した斎場山、妻女山、陣場平の空撮と江戸時代後期の榎田良長彩色『川中島謙信陣捕之圖』。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。
 ホームページとブログから選択して作ったリンク集「妻女山まとめ」


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OLD JAPAN-19301930(昭和5)年、関東大震災から復興したばかりの日本を襲った世界大恐慌の時代。
 ここから日本は軍国主義の色を深めて行った。再び同じ過ちを犯してはいけない!
コメント (3)
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