快晴の朝、葛尾城跡と五里ケ峯(五里ケ峰)に登るべく車を走らせました。目的は、村上義清の葛尾城跡を見ることと、五里ケ峯の北の尾根にあるという勘助横手(勘助道)を見つけることです。葛尾城跡はともかく、勘助道は千曲市のサイトに絵地図と簡単な解説があるだけで、詳しい場所がもうひとつ分かりません。ちょっと手こずるかなと予想して早めに出かけました。
坂城神社に駐車して参拝の後、葛尾城跡まではいきなりの急登をこなします。軽井沢からいらしたというご夫婦が先行し、私は神社の撮影とお参りをしてから出発しました。葛尾城跡は、ご存じの通り村上義清の本城で、相当堅固な山城ですが、武田の謀略により重臣の屋代氏、塩崎氏が武田に寝返り、自落したという悲劇の城でもあります。
その難攻不落かと思われた葛尾城跡を落とすために、後背の五里ケ峯に密かに山道を造ったといわれるのが、いわゆる里俗伝として地元で古くから言い伝えられてきた勘助道なのです。五里ケ峯の北に屋代の一重山まで延びる長い尾根がありますが、そこを頂上からロープを頼りに100mほど急斜面を下り、100mほど進むと分岐があります。標識はなにもありませんが、そこを右へ下りていくと勘助道の標識に出ます。深山に不似合いな広い道が突然現れるのです。しかし、現存するのは200m足らず。実に不可思議な道です。
あまりに簡単に勘助道が見つかってしまったために、五里ケ峯に戻って北アルプスの大パノラマ(これは感動もの)を堪能しながら昼食を食べました。山頂を独り占めして芝生で昼寝。しかし、なんだか物足りない感じです。すると息子からメールが。浅間山の噴煙が見える?というのです。そうかと思い、バージンスノーを踏みしめて鏡台山方面へ脚を伸ばしてみました。すると樹間から浅間山の噴煙が見えるではないですか。純白の四阿山と根子岳も見えます。
そうだ鏡台山へ行こう!と時計を見ると1時半過ぎ。急げば充分に日没前には戻れます。五里ケ峯から笹平(林道更埴坂城線の鏡台山との鞍部)へ駆け下りました。そこから登り返すこと315mで白銀の鏡台山につきました。そして帰りの富士見岩で、再び浅間山の噴煙を撮影。帰りは戸倉の温泉銭湯に立ち寄って体の疲れをほぐしました。息子のお陰で思いがけずにいい山行となりました。
★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。今回は、音楽もリンクさせてみました。好きな曲があったらBGMで聴いてください。