風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ヨルダンの春

2009-04-13 | ヨルダン風物詩
ヨルダンの春は短い。

一般的にいって、ここではもちろん夏が一番長く、ついで冬、そして秋、春は
極端に短くほぼ1ヶ月くらいであろうか。

9:30 我々はこの短い春を楽しむべくアンマンの北西、直線距離で60km強の
ヨルダン渓谷の北に位置するイスラエル国境に近いぺラに向かった。
3月27日のことである。


(青印がぺラ)

今回は補修校の生徒を中心としたバス・ツアーで参加者は生徒たちの親や、
その他希望者などでおよそ50名であった。

ぺラまでの道程はアンマンから南方に見られる砂漠地帯と違って
ここがヨルダンかと思われるほどの緑が多い風景をたのしめ、
またぺラにおいてはいろんな花が見られるというふれこみである。

確かにバスがアンマンを離れて1時間くらい経つにしたがって風景が変わってくる。
このあたりは農作地帯のようで大きなビニール・ハウスの波が広く見られた。


(大地を覆うビニール・ハウスの波)

この地域では地中海沿岸で採られている三段農法なるものが盛んで、
上段にナツメヤシやバナナなどの背の高いもの、中断にオレンジ、オリーブなど、
そして下段にはじゃがいもやトマトなどを配置し効率的に土地を利用しているそうだ。


(棗やし 中断はオリーブ 向こうの山はイスラエル領)

途中、山越えになると山々は緑に覆われて、「スイスみたい」という人もいたが
それもあながち誇張ではないようである。


(緑の山々 どこかスイスを想わせる)

木々の茂みも思いのほか深いようだ。


(生茂る木々)

11:40 そんな風景を楽しみながらぺラに到着。

ぺラはエジプト古王朝時代にその名が知られ、エジプトとも交易があった
カナン人の都市だったらしい。
ローマ時代にはデカポリスの一つとして栄えたが、717年と、747年の
地震で被害をうけ、以後衰退したようだ。

今も列柱などが見られ、現在オーストラリアが中心となって発掘を行っている。


(ペラ遺跡 右下方に列柱が見える)

遺跡のより上に丘がありそのあたりは色とりどりのお花畑である。


〈春菊群生〉

頑張って丘を上る。


〈花のじゅうたん〉

30分くらいで頂上に到着。


(アネモネと春菊)

うちから持参したおにぎりを食べる。


(ルッコラ)

食べ終わり一息ついたところで丘を下りる。


(? マーガレットに似てるのだが)

途中の花が美しい、あまり花の名に詳しくない身、名前がわからない。

ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたい。


(赤紫が美しい)

このあたりに咲いてる花はほとんどが小ぶりで、日本の高山植物のようである。
しかし、ここは高山ではなく海抜200mくらいである。


(赤が美しいアネモネ)

噂によるとこの近くにヨルダンの国花であるブラック・アイリスが咲いているらしい。
国花でありながらこの花にお目にかかれる人は少ないようだ。
咲いている日数もことのほか短いとのこと。

今回一緒だったヨルダン滞在の長い人でも見たことがないという。
我々も折にふれて注意してみているが見たことがない。

いわゆる「まぼろしの花」である。

現地の人にいわれて探すこと一時間。

ついに発見!!なんとそれは古びたホテルの前にぽつんと咲いていた。


(ブラック・アイリス)

ブラックといいながらも真っ黒ではなく紫の濃いような色であり
シルクの光沢も感じられる国花にふさわしい気品のある花だった。

念願のブラック・アイリスを見て帰路につく。

途中いたるところでピクニックやバーベキューを楽しむ人々を見る。
ヨルダンの人は野外で遊ぶことが好きなようだ。


〈小さな滝 車列はピクニックにきたもの〉

21:00 帰宅

帰路では道を間違えたり、バスが故障したりで帰宅は思いのほか
遅くなってしまったが短い春の一日を堪能した日であった。


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