風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 4日目 その2(ラタキア サラディン城 ウガリット)

2010-10-22 | シリア旅行記(2009年版)
12:00 ホテルに荷物を置いた我々はサラディン城に向かった。

サラディン城は2006年に世界遺産として登録され、シリアに6つある世界遺産の一つである。

我々は今回の訪問によりシリアの世界遺産はすべて征服したことになる。

サラディン城はラタキアの東25kmの地点にあり、そこまでは汚いマイクロ・バスで40分ほど行き、
タクシーに乗り換えて行った。

タクシーに乗って10分ほど経過したであろうか、三方を急峻な谷にかこまれた
天然の要塞である尾根の上にサラディン城が見えてきた。


(尾根の上に建つサラディン城)

城壁も見えてくる。


(城壁)

タクシーはサラディン城の入り口に向かって下って行く。

途中に石塔があり、その脇をタクシーは行く。


(石塔 敵の侵入阻害のためだろうか)

タクシーを降りドライバーに1時間後に迎えに来るよう伝える。
英語はわからないようだがなんとか意は伝わったらしい。


(入口より城を見上げる)

一人45円ほどの入場料を支払い城内に入って行く。



1187年ハッティンの戦いで十字軍を破ってエルサレムへの無血入城を果たしたサラディーンは
ヨーロッパから来るべき十字軍の援軍を迎え撃つため、翌年この城を攻め落としたそうだ。



多くの城は十字軍によって取り戻されたが、その後もずっとこの城はイスラム軍の拠点となり、
英雄を称えて「サラディン城」と呼ばれるようになったそうだ。


(建物の内部)


(手前は先ほど見た道路にあった石塔)

下を見下ろすと車が小さく見える。


(城からの風景 下に車が小さく見える)

サラディン城はかなり高い尾根の上にあり、遠く地中海にまで睨みをきかせていたらしい。


(城壁 晴れた日には地中海が見えるかも)





我々が城を出て道路にいくと既にタクシー・ドライバーは待っててくれた。

タクシーで来た時のマイクロ・バスの乗り場まで戻る。


(途中の紅葉 もう少しであろうか)

マイクロ・バスでラタキアに戻った我々は、またまた別経路のマイクロ・バスに乗り
アルファベット発祥の都市国家ウガリットに向かった。

15分ほどでバスはウガリットの入り口に到着。

入り口で入場料を払ったが一人450円ほどで、先ほどのサラディン城のなんと10倍である。

しかし、遺跡としては荒れたままであり、これからの整備が必要である。
入場料が高いのはそのためかもしれない。

ウガリットは紀元前3000年頃には成立していたとみられる都市国家で世界で最も古い
都市のひとつとしてレバノンの世界遺産であるビブロスと双璧をなしているといわれている。


(整備されれば将来世界遺産の登録もあるかも??)

ウガリットで有名なのは紀元前12~13世紀ごろに粘土板に書かれた文書で、
ウガリット語のほか、シュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、古代エジプト語などで
書かれており、ここが数ヶ国語が話される国際都市国家だったことがわかる。

そしてその環境がアルファベットの原型となったとされる楔形文字を簡略化したウガリット文字を
生み出したようだ。

ウガリットの粘土板は明日行くラタキアやダマスカスの国立博物館で見ることができる。



かっての住居跡も一部残っている。


(北の住居跡の標識)



遺跡近くの木々に着いた花も奇麗だった。


(木々着いた花)

18:00 ラタキアに戻る。

今日の夕食は折角港町に来ているため魚料理の専門店に出かけたが残念ながら写真はない。

自分で魚を選び料理してもらうやり方であったが、味はイマイチであった。

21:00 魚料理を食べた後、夜の街をぶらぶらしながらホテルに戻る。

22:00 就寝。

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