球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

飛行機に乗って、メトロに乗って、みち子に乗って

2007-01-14 | 技術
先日映画の『地下鉄に乗って』を観た話はしたような気がしますが、
飛行機の中で読むのも乙な話かなと思い、小説版を購入し読みふけりました。
題名は若干卑猥なのですが、今日は電車に乗ったり、モノレールに乗ったり、
タクシーに乗ったり普通の車に乗ったり自転車に乗ったりしたので
どうしても加えておきたかったのです。

映画を観た後に小説を読むというのは、
RPGで言うなら何の情報もなしに1回自力でクリアして
2回目は攻略本片手に隠し要素をすべて漁るような作業によく似ています。

映画と小説では、理解する努力を小説ほどには要しない代償として
映画の方が出来が悪いことが殆ど決まっているので
(2時間そこらで小説の内容を細大漏らさず映像化するのは無理がある)、
この関係が成り立ちます。

共通点は、1回目で大体のイメージをつかんで
2回目でそれを自分の物にするというプロセスがある程度通用する点です。

楽器をやっている身としては、演奏会で始めてやる曲は
それほど満足できないことが多く2回目以降になると
ちょっと理解できるのと似た感じです。
(これを、自分が気に入った音源で完全に音のイメージを獲得できれば
 1回演奏会でやるだけでもそれなりのものは得られるかもしれませんが…)

"体で憶える"とは結構楽器やスポーツで使う言葉です。
ですが、僕はゲームや映画、小説でも『体で憶える』という概念は成立しうると思います。

僕の中では作中の"お時"は常盤貴子が話しているような感じです。
それが自分の中では、結構いい感じ。
小説を読む際には、映画があるならまずそれを先に観て、
自分が気に入らないところだけ修正しながら本に立ち戻るような読み方も面白いと思いました。

結構胸がじん、とします。
心は頭にあるか、ハート(心臓)にあるか。
脳科学が進んでいくほどそれは頭にある説が濃厚になっていきますが、
この、胸がじーんとする感覚がある限りハート説も滅びないのでしょう。
いい時間でした。



最近、泣きたい気持ちになることがあると申し上げました。
それを解消するものがないとも申し上げました。
ですが、"それならば自分で作る"ことができなくてはいけないような気がしています。
いや、できたらいいなぁって意味です。

そうしたら、自分が何をすればいいのかが意外に見えてこないことに気がつきました。

誰でも持っている、芸術家のお面。
せっかくそれをつけるならば、それは、自分が欲しいものを自分で作っている。
そんなものなのかもしれません。



コメント
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