球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

言葉であらわせるもの vol.3

2007-01-03 | 技術
天才伝。

割と私の愛読書です。
以前からお世話になっている齋藤孝氏のシリーズ本で、
平易な語り口の中に必ず1つは発見を見出せる面白い本。
たびたび話題に出しているので、今さらオススメしなくても、いいのかな。

今日読んだのはその第8弾、モーツァルト。
(新宿のタワレコで買いました。)
サブタイトルは"自由に創造的に生ききるための「無邪気力」"。
この人は何でも"力"をつける癖があるのでそこについては触れません。
ここでは、その人の強み、キャッチフレーズを"~力"という言い回しで表現するのが
このシリーズの特徴と言っておけば多分よいのだと思います。
皆が"分かる"ために"分ける"作業を行ってくれているといいますか、そんな感じです。

いくつも面白い(interesting)話が含まれていますが、ここで取り上げるのは二つ。

①"インスピレーションの回路"と氏が表現したものについて。
モーツァルトは、自分の周りのあらゆるものを創作活動に変換する回路を持っていた、と。
自分がいかなる精神状態であろうとも、それを創作のエネルギーとする、という話です。
物語としてはありそうな話ですが、実際にそういう人がいたとなると話は別。

私は"気力出ません"というカテゴリーをわざわざ設けているように、
気分が乗らないときは大した内容が書けません。
自分にとって良くないことがあった日、それを創作のエネルギーにできません。
(まぁ、大崩れしないとは言えるかもしれませんが…)

これは音楽と文字という表現方法の違いにも起因していることが
本の中でも述べられていますが、個人の1Blogで純度の高い悲しみを表現する力が
俺にはないなぁ、ってことを感じました。

個人的には事実を基にしたフィクションをガツガツ書いていくスタイルなので、
あまり周りの人のことをここに書かないようにしているってことなんですが。
内容が誰かに迷惑をかけるものになってしまいますので…
それを受けて、次。

②音楽は感情を表現するのに適した形式?
これはネタバレになってしまいますので詳しく書けませんが、
上記などの理由もあって純度の高い感情を表現するのに音楽は適した形式だというのです。
(ここで言う『純度の高い感情』という言い回しは齋藤氏のものであり、
 意外に言葉で表すのに苦労するタイプの概念なので、パクらせていただきました。)

今日はここに書いた以外にも結構音楽を聴いたりする時間が長かったのですが、
シベリウスの"ロマンス Op.42"をそんな感じで弾いてみたりして、
自分の感情をうまく流していけるか、そんな試行をしていました。
中間部の動きが非常に叙情的で、この部分だけでやってみたいと思わせる力があります。最初がくどいけど。
(電車の中で聴いていたときに、"この電車の中で今一番幸せなの絶対俺だ"と思わせる佳曲です。)


その辺まで巧く取り入れて、2007年は、もっとカッコよい男になれたらいいなぁと思っています。
言葉で表現できる素晴らしいものって何でしょうか。
音楽には音楽にしかできないことを。言葉には、言葉にしかできないことを。

ペンと弓を手に、今年も自分の世界を追い求めて。
発散しているインスピレーションを、なんとか纏めて糧にしたい。

今日の話はここまでです。
今年も私とその欠片であるこの空間共々、よろしくお願いします。
コメント
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