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古典の季節表現 秋 八月十五夜

2013年08月15日 | 日本古典文学-秋

八月十五夜、伏見に御幸ありて、人々に月歌よませさせ給けるついてに 伏見院御歌
軒近き松原山の秋風に夕暮きよく月出にけり
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

なにしおふあきのこよひのしるしとやことにくまなくつきもすむらむ
(元応二年八月十五夜月十首~日文研HPより)

八月十五夜よみ侍ける 寂超法師
天つ空こよひの名をやおしむらん月にたな引浮雲もなし
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

貝の物語の中に、八月十五日住吉に詣でてよめる あはび貝の左大弁
いかばかり神の心も澄みぬらんこよひに似たる月しなければ
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

屏風に、八月十五夜、池ある家に人あそひしたる所 源したかふ
水のおもにてる月なみをかそふれはこよひそ秋のも中なりける
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

文永二年八月十五夜歌合に、停午月 鷹司院帥
水の面にかそへし秋の月みれは空にも今そなかはなりける
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

すみのほるそらにはかけもかたふかてあきのもなかのつきそひさしき
(文永二年八月十五日・歌合~日文研HPより)

八月十五夜によみ侍ける 寂然法師
名にたてゝ秋のなかはゝこよひそと思ひかほなる月の影哉
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

あまのはらみちてそすめるあきのつきてらさぬさとはあらしとそおもふ
(丹後守公基朝臣歌合~日文研HPより)

二条関白太政大臣家、八月十五夜歌合に 周防内侍
かくはかりさやけき影はいにしへの秋の空にもあらしとそ思
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

円融院御時、八月十五夜かける所に もとすけ
あかすのみおもほえんをはいかゝせむかくこそはみめ秋の夜の月
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

わすれしなこよひのなかのあきのそらさやけきつきはまたもみるとも
(沙玉集~日文研HPより)

同じ夜(八月十五夜)の月の曇りて侍りけるに、去年(こぞ)くまなかりしが思ひ出でらるる事侍りければ 雲居の月の左大将
恋ひわぶる涙や空に曇るらむ見しよにも似ぬ秋の月かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

八月十五夜
山の端を出づる宵よりしるきかなこよひ知らする秋の夜の月
かぞへねどこよひの月のけしきにて秋の半をそらに知るかな
天の川名にながれたるかひありて今宵の月はことにすみけり
さやかなる影にてしるし秋の月十夜にあまれる五日なりけり
うちつけに又來む秋のこよひまで月故をしくなるいのちかな
秋はたゞこよひ一夜の名なりけりおなじ雲井に月はすめども
(山家集~バージニア大学HPより)

 八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋、残りなく漏りて来て、見慣らひたまはぬ住ひのさまも珍しきに、(略)
 白妙の衣うつ砧の音も、かすかにこなたかなた聞きわたされ、空飛ぶ雁の声、取り集めて、忍びがたきこと多かり。端近き御座所なりければ、遣戸を引き開けて、もろともに見出だしたまふ。ほどなき庭に、されたる呉竹、前栽の露は、なほかかる所も同じごときらめきたり。虫の声々乱りがはしく、壁のなかの蟋蟀だに間遠に聞き慣らひたまへる御耳に、さし当てたるやうに鳴き乱るるを、なかなかさまかへて思さるるも、御心ざし一つの浅からぬに、よろづの罪許さるるなめりかし。
(源氏物語・夕顔~バージニア大学HPより)

うちのしつらひなど、いとしめやかにおぼつかなきほどに焚きなしたる火取(ひとり)の様(さま)も、心ばせありて、あなたざまにほのかなる光も艶(えん)にあらまほしうしないたり。十五夜の月さやかにさし上がりて、そこらおもしろく見わたさるに、とばかりやすらひつつながめ給へば、前栽の花盛りに咲き乱れて、置き余りたる露の光、虫の声の色々ふり出でて聞こえたるなど、所からにや、ひとしほ御目とどまりて、御指貫の裾もいたうそぼちつつ、さまよひ給へる様(さま)を、女もめでたしと、人知れず御心とめて見ゐ給へり。
(しら露~「中世王朝物語全集10」笠間書院)

木(こ)の間より漏り来る月に、心を尽くさせ給ひしより、雲居の庭に見馴れ給うて、「名にし負ふ秋の最中(もなか)の影を、賀茂川に映して、見給ふらん」とて、人々渡らせ給ひけるに、池に差し掛けて仮屋を造らせ、名所(などころ)どもを書きたる屏風にて囲はせ給ひて、何負ふ所々の月を、ただ一所に眺めさせ給へれば、(略)。
音羽山より、影の仄(ほの)めくを、「遠き所を書きたる眺めより、け近き月こそよからめ」とて、二位の君、
  嵐吹く音羽の山に霧晴れてさやかに出づる秋の夜の月。
賀茂川に差し映りて、波の数も数へらるべきほどにこそ見ゆるなれ。うちわたす夢の原には、色々の花咲き乱れて、夕霧に宿れる影の風に乱るるこそ、玉散るばかりに、物思ふ袖の気色も知らるなれ。御舟には、若き上達部・殿上人かれこれ召させ給ひて、唐(から)の詩(うた)などうち誦んじ給うて、糸竹(しちく)の乱れがはしき調べにこそ盃(さかづき)の数のほども知らるなれ。(略)
霧の絶え間に光りを変へて、仄(ほの)かにいざよふ月影に、名にし負ひたる月も見えずなり行くこそ、秋の最中(もなか)も過ぎなん名残を惜しませ給ふ。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

道すがら、「あはれたれゆゑ、かゝる知らぬ山路をたづねありくぞ」と、風のつてにも、いみじう知られたてまつらまほしう思づゞけ、いと物悲しう分け入り給へば、風の気色も秋になりけり。あはれはことに見ゆるに、千草(ちぐさ)の花々の色々も、宮こよりことにおもしろうて、あはれぞ深くしられける。近うなるまゝに松風にそひて、琴(きん)の音(ね)空にひゞきてきこえたる、すゞろに寒う心すごきに、かうやうけんの菊見給しゆふべは、ふと思ひ出づる。涙もとゞまらず、立ち隠れて聞かんとおぼして、木(こ)の下にやすらひ給。末つ方になりにければ、おともせずなりぬ。(略)
 よしのゝ御庄(みしやう)の司ども、御まうけなどして、このたびは、水のながれも石のたゝずまひも、いたうつくろひないたれば、見所まさりて、絵に書いたるやうなるに、月いとあかう澄みわたりて、こよひは十五夜ぞかしな。あはれ去年(こぞ)のこよひ、未央宮(びやうきう)の月の宴に、色々におもしろかりしことゞもよりも、后の琴弾き給し御かたちありさま、琴(こと)の音、たゞいま見たてまつらん心ちして、常よりもなみだのこりあるまじう流れ出でゝ、
 「しほりのほかの」(或は「しをりのほかの」か)
と、おし返しつゝ、誦(ずん)じ給。しみかへり給へる御声の、山の鳥どもゝおどろかい給べし。
(浜松中納言物語~「日本古典文学大系77」岩波書店)

 今の上は、早うより、西園寺の入道大臣実兼の末の御女、兼季の大納言の一つ御腹に物し給ふを、忍びて盗み御覧じて、わく方無き御思ひ、年に添へてやむごとなう御座しつれば、いつしか女御の宣旨など聞こえしが、程も無く、やがて八月に后だちあれば、入道殿も、齢の末にいと賢くめでたしと思す。北山にまかで給へる頃、行幸有りき。八月十五日の夜、名をえたる月も異に光を添へたり。所がら折から面白く、めでたきこと共花やかなるに、御姉の永福門院より、今の后の御方へ、御消息聞こえ給ふ。
 今宵しも雲井の月も光そふ秋のみ山を思ひこそやれ
 御返しは、「まろ聞こえん」と宣はせて、内の上、
 昔見し秋のみ山の月影を思ひ出でてや思ひやるらん
(『校註 増鏡 改訂版』和田英松、昭和四年)

 月のいとはなやかにさし出でたるに、「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。
 「二千里外故人心」
  と誦じたまへる、例の涙もとどめられず。
(源氏物語・須磨~バージニア大学HPより)

 株瀬川といふ所に泊りて、夜ふくるほどに川端にたち出でて見れば、秋のもなかの晴天、清き川瀬にうつろひて、照る月なみも數みゆばかり澄みわたれり。二千里の外の故人の心、遠く思ひやられて、旅の思ひ、いとどおさへがたくおぼゆれば、月の影に筆をそめつつ「花洛を出でて三日、株瀬川に宿して一宵、しばしば幽吟を中秋三五夜の月にいたましめ、かつがつ遠情を先途一千里の雲におくる」など、ある家の障子に書きつくるついでに、
知らざりき秋のなかばの今宵しもかかる旅寢の月を見んとは
(東関紀行~バージニア大学HPより)

今夜は名にしおふ八月十五日の月の夜也、折節(をりふし)空も陰なし、君の御事思召(おぼしめし)出て、琴引給はぬ事よもあらじ、嵯峨(さが)の在家広しといへ共、思ふに幾程か有べき、王事無脆事、打過て琴の爪音を指南として、などか尋逢進らせざるべき、縦今夜叶はずば、五日も十日も伺聞なん、博雅の三位は三年まで、会坂の藁屋の軒に通つゝ、流泉、啄木の二曲を聞てもこそ有けれと思ひければ、不叶までも尋進らせん、若尋会進らせて候とも、御書なくてうはの空にや思召(おぼしめさ)れ候はんずらんと申ければ、君実にもとて、よにも御嬉しげに思召(おぼしめし)、御書遊ばして仲国に給ふ。程も遥也、寮の馬に乗てと仰す。仲国明月に鞭をあげて、西を指て浮岩行。八月半ばの事なれば、路芝におく露の色、月に玉をや瑩くらん。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

 八月十日余りは、日数のみふる雨の中、いとゞ晴れぬ雲井は、山高き心地して、物むつかし。軒はさながら雲霧に閉ぢられて、岑の松風荒ましく吹下(おろ)して、よろづにすさまじかりし事のみぞ多き。(略)名高き半ばの月をさへ隔て顔なる雨雲は、猶晴れやらず、二千里の外の古人の心もかくこそはと、取り集めてものあはれなり。夜一夜吹つる風、明方よりしづまりて、今夜の月はなほ忘るまじきにやとて、人〃に短冊賜はす。(略)夕風又吹き立ちて、程なく澄み上(のぼ)る月、山陰までも残りなうさし入て、いと隈(くま)なし。曇りなき御代の例(ためし)と、かねて知らるゝ心地せしかば、行末かけていと頼もし。
 名に高き光を御代(みよ)の例(ためし)とや最中の秋の月は澄むらん
(小島のくちずさみ~「新日本古典文学大系51中世日記紀行集」岩波書店)

元暦元年世中さはかしく侍ける比、平行盛備前の道をかたむとてたんの浦と申所に侍けるに、八月十五夜月くまなきに、過にし年は経正、忠度朝臣なともろともに侍けるをいかはかり哀なるらんと思ひやられて、そのよし申つかはすとて 全性法師
ひとりのみ波間にやとる月をみてむかしの友や面かけにたつ
返し 平行盛
もろともにみし世の人は波の上に面影うかふ月そかなしき
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

八条院かくれさせ給うて、御正日八月十五夜にあたりて侍けるに、雨ふり侍けれはよめる 藤原信実朝臣
やみのうちもけふを限の空にしも秋のなかはゝかきくらしつゝ
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

後宇多院かくれさせ給ての八月十五夜の月、くもりて侍けるに、宰相典侍につかはしける 万秋門院
あふきみし月もかくるゝ秋なれはことはりしれとくもる影かな
御返し 宰相典侍
光なき世はことはりの秋の月涙そへてや猶くもるらん
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

前大僧正隆弁、八月十五夜身まかりて侍ける一周忌に、結縁経歌そへて、秋懐旧と云事を 前大納言実冬
めくりあふこその今夜の月みてやなき面影をおもひいつらん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

(寛喜二年八月)十五日(甲戌)。天晴る。早旦備州書状に云ふ、今夜連歌尼の夢を見る事有り。此の家に来たる。折紙に仮名の書物有り。尼の詠ずる所と云々。数首の歌有り。中央の程に夢覚悟(さ)む。
 山たかみとふ人なしと思ひしにひとりすむ身にけふはうれしき
此の夢、厳重過分と雖も尤も憑むべき事か。(略)仲秋の三五夜、雲陰り月黒し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)