光の肉親、熱の姉妹、色の血族。八月はあらゆる色彩と光輝と炎熱との昏迷する鎔鉱炉である。怪物のやうに大きな八つ手の葉の無言の恐怖は黙黙したたつて地面にひそみかくれ、鉄の環を鼻にはめて追はれる牛のやうに青春の狂気の永遠性は法衣の香にむせびながら空鳴りするみづからの蹄のおとに夢をふみしだく。
(『限定版 大手拓次全集 別巻』(白鳳社、1971年、447p)より「季節題詞」)
震動する真夜中の影にゆらめく炬日は、陰影の驚きをはびこらして、空一面にはだかる真紅の媚を招きよせる。水のながれに沿うて浮く葉うらにひそ盗心の美しさはいよいよ濃くなり。くされ蒸す色彩の墓場に古びたタンバールの空色の騒擾ををどらせ、満開の情癡はしめやかに釣鉤(つりばり)の糸をたれて私語のやうに身をさらしてたえまもなくくゆるのである。
(『限定版 大手拓次全集 別巻』(白鳳社、1971年、447p)より「季節題詞」)
湿気は馬に乗り、泥(どろ)のなかにまつしろい凧(たこ)をあげる。眠(ねむ)りは急ぎ足して象眼(ざうがん)の淵にをさまりしづみ、こころよい忘却の肌によりそひ、古い胡弓の哀音のかげにまつはりつく。紅(くれなゐ)は黒(くろ)となつてほころび、緑は緋となつてくるひ、黄は群青となつて痴(し)れわらひする六月の霊の食器にあふれるおびただしい恐怖のあはあはしい微動。
(『限定版 大手拓次全集 別巻』(白鳳社、1971年、446~447p)より「季節題詞」)
「長襦袢の魅力」(岩田ちえ子+中村圭子+中川春香編著、河出書房新社、2019年)の071ページに伊藤晴雨の絵が載っており、以下のような解説が掲載されてました。絵は、神輿の一団と浴衣の女性と三人の子。三人の子は、何かを編んだような蛇のようなものを地面にたたきつけているようです。
解説:おそらく東京の祭りを描いたものと思われる。菖蒲の季節の祭りと推測されるものの、何の祭りか、特定されていない。
これが何の祭なのか知りたいなーと思っていましたが、三人の子が何をやっているのかは、分かりました。
五月五日の端午の節供に子供がする遊びで、「あやめうち」「しょうぶうち」「しょうぶたたき」と呼ばれる遊びのようです。「ショウブの葉を三つ打ちに平たく編んで棒のようにし、互いに地上に叩きつけて、その音の大きさを争ったり、また、切れたのを負けなどとした。」と日本国語大辞典にあります。
しかし、描かれている神輿と菖蒲打ちとの関係は不明。「印字打ち(石合戦)→菖蒲打ち」という変遷のようなので、大きな子は子供御輿で争って、小さな子は菖蒲打ちをしてたのでは?と想像します。
浴衣の女性が髪に挿してるのも、菖蒲の葉でしょうか。
五月題詞
はるかなる思ひ出をくりかへし、背を向けて宝石のつぶやきをもとめるけれど、空にうつりゆく紫の森ののどかな身ぶるひこそは、私達の生活のあをじろい頁(ページ)に灯をともす火皿である。真昼の神秘は水蛇のやうに鱗をはいで限りない恍惚の時のやはらぎを送り、合掌し、起臥し、焦燥してこのおほきな受胎のよろこびを鞭つのである。
(『限定版 大手拓次全集 別巻』(白鳳社、1971年、446p)より「季節題詞」)