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monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

中世王朝物語全集10の「しのびね」系図

2015年05月26日 | 日本古典文学

 「中世王朝物語全集10」(笠間書院)の「しのびね」系図(139ページ)で、よく分からない部分があります。「②四位の少将」の妹である「④女(桐壷女御)」はいったい誰の女御なのか、ということと、最初に「帝の春宮」として登場した人物はどこへ行ってしまったのか、ということです。
 「四位の少将」の妹である「④女(桐壷女御)」は、10ページでは「春宮の女御」なのに、97ページでは帝の女御であるというような書き方になっています。ちなみに139ページの系図では、「春宮の女御」となっています。
 10ページには「春宮の女御」という表現があるので「⑤帝」には東宮がいるはずなのですが、97ページでは「帝は、これまで皇子がお生まれでない」とあります。そうすると、10ページの「春宮」は「⑤帝」の兄弟なのかと想像したのですが、139ページの系図では、「⑤帝」には「忍び音の内侍」所生の「若宮=春宮」以外に、母親不明の「春宮」が記されているのです。何をもって10ページに登場している「春宮」を「⑤帝」の皇子と認定したのでしょうか。

 この矛盾点について、「解題」では特にふれられていませんが、散逸古本「しのびね物語」からの改作時の齟齬などなのでしょうか。


撥音無表記(その2)

2014年10月03日 | 日本古典文学

 「あるべし」が撥音無表記となっている例を、バージニア大学の古典テキスト検索で探してみました。(「あべい」「あべし」「あべき」「あべけ」「あべか」で検索。「あべく」は用例ヒット無し。)

「あるべき」→「あべき」
その御心づかひなむあべき。(源氏物語・胡蝶)
いとこまかにあべきことども教へきこえたまへば、(源氏物語・行幸)
世のあべきさま(紫式部日記)
かくてあべきほどばかりと思ふなり(蜻蛉日記)
うたてあべき物かな(和泉式部日記・図書寮本)
「げに、ただひとへに艶にのみあるべき御仲にもあらぬを、いたう衰へたまへりと言ひながら、物越にてなどあべきかは」(源氏物語・葵)

「あるべき」→「あべき」→「あべい」
悲しうもあべいかな。(源氏物語・真木柱)
をこがましうもあべいかな(源氏物語・夕霧)
御心など移りなば、はしたなくもあべいかな。(源氏物語・朝顔)
さもあべいことなれば、(源氏物語・胡蝶)
いでや、今は、かひなくもあべいことを、(源氏物語・東屋)
かの御尋ねあべいことになむありけるを、(源氏物語・行幸)
いまゆくすゑは、あべいやうもなし。(更級日記)
儀式など、あべい限りにまた過ぎて、(源氏物語・行幸)

「あるべし」→「あべし」
そのころ院ののりゆみあべしとてさわぐ。(蜻蛉日記)
かよふ人あべし(蜻蛉日記)
少納言の乳母と言ふ人あべし。(源氏物語・若紫)
あくればこのぬるほどにこまやかなる文みゆ。「今日はかたふたがりたりければなんいかゞせん」などあべし。(蜻蛉日記)

「あるべけれ」→「あべけれ」
いとあさましう、からうこそあべけれ(源氏物語・空蝉)
をかしきことも、もののあはれも、人からこそあべけれ。(源氏物語・澪漂)
なのめならずいみじくこそあべけれ。(源氏物語・浮舟)

「あるべからむ」→「あべからむ」
人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と(源氏物語・胡蝶)
この人のあべからむさま、夢に見せ給へ(更級日記)

「あるべかりけり・る」→「あべかりけり・る」
あはつけきやうにもあべかりけり。(源氏物語・真木柱)
げに後に思へばをかしくもあはれにもあべかりけること(源氏物語・帚木)
言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける(源氏物語・帚木)

「あるべかるめり・る・れ」→「あべかめり・る・れ」
この盛りに挑みたまひし女御、更衣、あるはひたすら亡くなりたまひ、あるはかひなくて、はかなき世にさすらへたまふもあべかめり。(源氏物語・朝顔)
人の嫉みあべかめるを(源氏物語・若菜上)
世人もやうやう言ひなすやうあべかめるに、(源氏物語・総角)
おもひたつことほのきゝけるひともあべかめるに(和泉式部日記・図書寮本)
「さこそは あべかめれ」と(源氏物語・真木柱)
こなたは、さま変はりて生ほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。(源氏物語・若菜上)
御ゆるされあらんところよりさぞあらんときこそはわびてもあべかめれ(蜻蛉日記)
月も花も心にそめらるゝにこそあべかめれ。(更級日記)
いとはしたなくかなしかるべきことにこそあべかめれとおもへど、(更級日記)

「あるべかるなる」→「あべかなる」
あな物ぐるほしいとたとしへなきさまにもあべかなるかなと(蜻蛉日記)


定家の明月記

2014年08月05日 | 日本古典文学

朝日新聞デジタルに以下の記事がありました。

“切り張り”のおかげ?で貴重記録残った 定家の明月記
2014年7月28日17時32分

 平安から鎌倉時代に活躍した歌人、藤原定家(1162~1241)の日記「明月記(めいげつき)」に記された天文学的に貴重な情報の部分は、自身の記述ではなく、陰陽師(おんみょうじ=天文博士)に調べさせた報告文をそのまま張った可能性が高いと天文学者が指摘している。陰陽師の元の資料は見つかっておらず、定家の「切り張り」のおかげで記録の紛失が免れたようだ。
 明月記には、寿命が尽きた星が最後に起こす大爆発「超新星」について、定家の生まれる前に現れた3個が記されている。現れた日付と正確な位置がわかるため、超新星の仕組みなどを知る天文学上の貴重な手がかりになっている。
 小山勝二・京都大名誉教授(X線天文学)は、超新星の情報がある1230年11月の部分を詳しく調べた。そのころに彗星(すいせい)が現れ、台風や凶作や政情不安などとの関連を気にした定家は、陰陽師の安倍泰俊に過去の事例を問い合わせたとあった。その次の段落には定家とは違う豪快な筆跡で泰俊からの返書と思われる文章があり、さらに別な筆跡の細かい字で超新星に関する記録が続く。写本ではわからないが、原本(冷泉家時雨亭文庫)を見ると紙を張り付けたような跡があった。泰俊が弟子に調べさせた報告書を返事の手紙に同封し、定家がそのまま明月記に張り付けたとみている。
 泰俊は安倍晴明の子孫で代々天文博士を務めてきた。毎日定時に天文観測し、超新星や彗星などの異変があれば、その解釈とともに天皇に密書で報告する。明月記に張られたと見られる報告書は、安倍家に保存されていた資料からつくったと考えられるが、原文は見つかっていないという。小山さんは「定家のコピペのおかげで科学的に貴重で正確な記録が残った」と話している。


古典の季節表現 春秋争い

2013年03月26日 | 日本古典文学

むかしのうたよみの春秋をあはせける。
左 くろぬし
おもしろくめでたきことをくらぶるに春と秋とはいづれまされり
右 こたふ。 とよぬし
春はただ花こそは咲け野べごとに錦をはれる秋はまされり
左 くろぬし
秋はただ野べの色こそ錦なれ香さへにほへる春はまされり
右 とよぬし
さをしかのこゑふりいでて紅の野べになりゆく秋はまされり
左 くろぬし
霞たち野べを錦にはりこめて花のほころぶ春はまされり
右 とよぬし
賤機(しづはた)に天の羽衣織りかけて彦星をまつ秋はまされり
左 くろぬし
青柳に糸縒りかけて朝ごとに玉をつらぬく春はまされり
右 とよぬし
虫の音の草むらごとに夜もすがら鳴きあかしたる秋はまされり
左 くろぬし
踏みちらす花もいろいろ匂ひつつ鶯のなく春はまされり
右 とよぬし
きりぎりす鳴く草むらの白露に月影みゆる秋はまされり
みつね判す
おもしろきことは春秋分きがたしただをりふしの心なるべし
(躬恒判問答歌合~平安朝歌合大成)
春にみなあひにし花の今日の雨に咲くをみるにぞ方(かた)負けぬべき
こきまぜに花紅葉散るただ今は春秋ぞともいかがさだめむ
(或所春秋問答歌合~平安朝歌合大成)

皇后宮歌合せさせたまふ。左春右秋なり。装束も、やがてそのをりに従ひつつぞしたりける。正月なり。その日になりて、左の人々、春の色々を織りつくしたり。信濃、紅梅どもに、紅の打ちたる、萌黄の二重文の紅梅の象眼の唐衣、薄色の二重文。伯耆、松の葉がさね、青き打ちたる、同じ色の二重文に松の枝織りたる、唐衣は地は白くて文は青き象眼の二重文の唐衣。淡路、梅の三重織物の表着、みな打ちたり。紅の打ちたる、梅の二重文の唐衣。但馬、桜の織物ども、紅の打ちたる、桜の表着、樺桜の二重文の唐衣、梅の二重文の裳。内侍の女、裏山吹ども三つにて、単どもみな打ちたり。萌黄の打ちたる、山吹の二重文の表着、同じ色の無文の唐衣。今五人南の廂にゐわかれたり。式部の命婦、躑躅どもに、萌黄の浮線綾の唐衣。源式部、藤どもに、紅の打ちたる、二藍の二重文の表着、いとゆふの裳、唐衣。新少納言、同じ藤の匂に、紅の打ちたる、藤の二重文の表着、同じ色の無文の唐衣。池の藤浪唐衣には咲きかかりけるを、歌絵にいとをかしくかきたり。女、山吹を打ちて、山吹の織物の表着、いとゆふの裳、唐衣。内大臣殿の御乳母、柳どもに、紅の打ちたる、柳の二重文の表着、裳、唐衣も同じことなり。近江の三位、紅梅の薄きをみな打ちて、表着、裳、唐衣みな二重文、御帳のそばの方に参りてさぶらひたまふ。内侍、ことごとしからぬ薄紅梅どもに、赤色の唐衣。小式部、梅の匂に、濃き打ちたる、紅梅の表着、萌黄の唐衣、薄色の裳なり。
 右十人は、東面に南の戸□に。因幡、色々をみな打ちて、青き織物に色々の紅葉をみな織りつくしたり。蘇芳の二重文、浮線綾の唐衣。出雲、下着同じ紅葉を打ちて、表着は赤き錦、薄青の二重文の唐衣、袴も同じ紅葉の打ちたる、表着も白き。土左、これも同じ紅葉の打ちたる、香染の二重文の表着、秋の花の色々を尽したり。紅葉の薄き濃き、二重文の裳、唐衣。表着大井河の水の流れに、洲浜を鏡にて、花の色々の影見ゆ。袴戸無瀬の滝の水上しも、紅葉の散り交ひたる、いとをかし。三日月の形に鏡をして、薄物の表着、浪の形を結びかけたり。美濃、色々の錦の衣は、裏みな打ちたり。象眼の緑の裳、紺瑠璃の唐衣、これも大井河をうつしたり。みな置口して、袴同じ五重の打ちたる、上に二重文の表着。筑前、同じ紅葉の打ちたる、上に黄なる二重文の織物の表着、無文の朽葉の唐衣、秋の野を織りつくしたり。袴同じさまなり。今五人は、菊の色々なり。遠江、みな上は白き裏を色々うつろはして、紅の打ちたるに、白き織物の表着、女郎花の唐衣、薄の裳。侍従、上は薄き蘇芳、裏は色々うつろはしたり。紅の打ちたるに、蘇芳の織物の表着、女郎花の唐衣、萩の裳、袴、いづれも同じごと打ちたり。下野、菊の織物どもに、紅の打ちたる、蘇芳の唐衣、紫の末濃の裳、鏡に葦手に玉を貫きかけ、絵かきなどしたり。袴、二藍の表着。平少納言、菊のうつろひたるに、二藍の表着、冊子の形にて、村濃の糸して玉を総角に結びて、後撰、古今と織れり。
 黒き糸して、左も右もその色の花どもを造りて、上に押したり。右は綿入れず。紅葉の人たち、瑠璃をのべたる扇どもをさし隠したり。挿櫛に物忌、糸して紅葉、菊にてつけたり。美濃の君、唐衣に金を延べて、「あられふるらし」といふ歌をも摺りたり。左の人々檜扇どもなり。衣にはみな綿入れたれど、表着、裳、唐衣は冬のにてなんありける。
 右には桜人といふことを銀の洲浜にて、歌書くものは冊子十帖、銀、金、浮線綾、象眼を尽して二つづつ、銀、黄金の糸を文に結びて玉を文に据ゑたり。歌書くべき冊子どもに、(略)
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

ほしのひかりだに見えずくらきに、うちしぐれつゝ、このはにかゝるをとのおかしきを、「中々にえむにおかしき夜かな。月のくまなくあかゝらむも、はしたなく、 まばゆかりぬべかりけり」春秋の事などいひて、「時にしたがひ見ることには、春がすみおもしろく、そらものどかにかすみ、月のおもてもいとあかうもあらず、とをうながるゝやうに見えたるに、琵琶のふかうてうゆるゝかにひきならしたる、いといみじくきこゆるに、又秋になりて、月いみじうあかきに、そらはきりわたりたれど、手にとるばかり、さやかにすみわたりたるに、かぜのをと、むしのこゑ、とりあつめたる心地するに、箏のことかきならされたる、ゐやう定のふきすまされたるは、なぞの春とおぼゆかし。又、さかとおもへば、冬の夜の、そらさへさえわたりいみじきに、 ゆきのふりつもりひかりあひたるに、ひちりきのわなゝきいでたるは春秋もみなわすれぬかし」といひつゞけて、「いづ れにか御心とゞまる」ととふに、秋の夜に心をよせてこたへ給を、さのみおなじさまにはいはじとて、
あさ緑花もひとつにかすみつゝおぼろに見ゆる春の夜の月
とこたへたれば、返々うちずんじて、「さは秋のよはおぼしすてつるななりな、
こよひより後のいのちのもしもあらばさは春の夜をかたみとおもはむ
といふに、秋に心よせたる人、
人はみな春に心をよせつめり我のみや見む秋のよの月
とあるに、いみじうけうじ、思わづ らひたるけしきにて、「もろこしなどにも、昔より春秋のさだめは、えし侍らざなるを、このかうおぼしわかせ給けむ御心ども、おもふにゆへ侍らむかし。わが心のなびき、そのおりのあはれとも、おかしとも思事のある時、やがてそのおりのそらのけしきも、月も花も心にそめらるゝにこそあべかめれ。 春秋をしらせ給けむことのふしなむ、いみじううけたまはらまほしき。
(更級日記~バージニア大学HPより)

ある所に、春秋いつれかまさるとゝはせ給けるに、よみてたてまつりける 紀貫之
春秋におもひみたれてわきかねつ時につけつゝうつるこゝろは
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

末の春加(くは)はれる年、花ものどやかにやと思ひやるをりに、白雲のかかる桜の匂ひはたぐひあらじとみゆるを瓶にさされたりし。さぶらふ人人それにつけて、「春秋をいづれまさるらむ、貫之だに時につけつつといひおける。」など云ひ交(か)はしつつ、春に心よりたる人は、柳の糸を引き、秋の色に心を染めたる人は、紅葉の錦にてもののなきにや。唐の詩(うた)にも、春の遊びにすぐれたりとこそ、秋を益田(ますだ)の池のいひけるを、絵にかき歌によみて御覧ぜさせむとて、左春、右秋とさだめて、女房十人づつ、宮司まで分かれたり。(略)
(春秋歌合~平安朝歌合大成)

元良のみこ、承香殿のとしこに、春秋いつれかまさるとゝひ侍けれは、あきもおかしう侍りといひけれは、おもしろきさくらを、これはいかゝといひて侍けれは
おほかたの秋に心はよせしかと花みる時はいつれともなし
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

中将、中務、秋の寝覚のあはれ、事古めかしう改めて定むるに、中将、春の曙なんまさるとあらがひての比、中将山里にこもりゐたるに、中務いひやる
やま里にありあけの月をながめても猶やしられぬ秋のあはれは
返し、中将
秋の夜の外山の里の寝覚にも霞みすぎにし空ぞかなしき
(大斎院御集)

「女御の、秋に心を寄せたまへりしもあはれに、君の、春の曙に心しめたまへるもことわりにこそあれ。時々につけたる木草の花によせても、御心とまるばかりの遊びなどしてしがなと、公私のいとなみしげき身こそふさはしからね、いかで思ふことしてしがなと、ただ、御ためさうざうしくやと思ふこそ、心苦しけれ」
など語らひきこえたまふ。
(源氏物語・薄雲~バージニア大学HPより)

中宮の御前に、秋の花を植ゑさせたまへること、常の年よりも見所多く、色種を尽くして、よしある黒木赤木の籬を結ひまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山も忘られて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。
春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを、名立たる春の御前の花園に心寄せし人々、また引きかへし移ろふけしき、世のありさまに似たり。
(源氏物語・野分~バージニア大学HPより)

天皇、内大臣藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩(いろ)とを競ひ憐れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判(ことは)る歌
冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我は
(万葉集~角川文庫・伊藤博校注)

あらそひし春をわするゝ人もあれや花さく野への秋の千種に
(『古筆手鑑大成⑦あけぼの・下(梅沢記念館蔵)』昭和61年、角川書店、18ページ。後奈良院自筆歌切。)

藤壷女御の前栽合の歌を判せさせ給とてよませ給ける 延喜御歌
花の色はこなたかなたにみゆれとも秋の心はひとつなりけり
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす よみ人しらす
春はたゝ花のひとへにさくはかり物のあはれは秋そまされる
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典文学における季節表現

2012年12月29日 | 日本古典文学

 1月からは、古典文学における季節表現を収集して時系列にアップしていこうと思います。散文だけでは用例が少ないので、詞書も含めて和歌も集めます。時間があれば、漢文とか謡曲なども集めたいです。ただし、俳句は収集しません。時代としては、江戸時代よりも前で、基本的には中古・中世あたりをメインに。近代以降でも、雅文調なら採用。
 実際に資料にあたっている時間がないので、多分ほとんどはネット上の情報をコピーします。景色・風景描写や年中行事などが主なものになると思いますが、そのほかで個人的に興味があるのは、衣裳の描写です。
 ブログには、日付がわかるものは、陰暦の日付のまま現在の日付で投稿。カテゴリーは春夏秋冬の四季に分類します。(1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬とする。)

 七十二侯も一度、カレンダーに当てはめて書き込みをしていきたいですが、とりあえず今回はパス。