フィーバー機に魅力がなくなりつつあり、変わって権利物天国であった頃のお話。
ギラギラした感覚も薄れてきた頃に登場、店により扱い方も違う台でした。
その中でもそそる店が阪神尼崎のパチギン。島の2~3台が50回以上の当たりがあり、あき台がでるまで待っていたほど。
ワンチャンスで10万OVERも珍しくなく、本気で追いかけました。ドツキが横行してからかなり離れたんですけどね。
そしてもうちょっと奥のこんぴらさんできつねうどんとかやくご飯を食す、、、ダメなら梅田へというながれでした。
今は阪神なんば線で家から一本になり、当時そうだったとしたら、、、、通いつめてたんでしょうかね。
お店の扱い方も、釘も店により個性がありました。羽根のセンサーを抜いている店とかもありましたね。
そういえば、梅田のPIAAにあったセルはショッキングピンク1色でした。他の店では見たことはなくてあれなんだったんでしょうかね。
割と、連荘するときはする、ハマるときはハマるといった波の大きな台でした。役物回転体との周期があるんか?なんて思ってましたが、実際はどうなんでしょうか。