ちょっと重い内容ですいません。
四十九日を迎えることになりました。うちとこは浄土真宗なんでいろいろ他宗と違うところもありますが、何か伝わるものがあれば、自分の中の整理として書き記します。
在宅で過ごした2ヶ月ちょっとの暑い日、21時ごろ帰って間なく在宅の先生から電話があり、気胸だから入院させますとTELがありました。そのまま、病院に向ってERに入ると、ドレーン入れてもらった後で落ち着いた様子でした。
気胸はそんなに怖い病気でもないし、10日もすればと思ってたし入院計画もそのとおりでした。
ところが、ベースにCOPD(慢性閉塞性肺疾患)があるので、全く改善せず、ドレーンも1本では引ききれないほどになりもう一本入れさせてくれと連絡が。普通は外科的手術も考慮するのですが、前述のCOPDがあるので麻酔がかけれない状態であったため、この時点から苦悩が始まります。
選択肢が少ないということ。その中で、キーパーソンが決めなきゃいけないこと。
治療選択を私がしないといけない、、、、方法がない状態で。
転院のことも言われましたが、この状態で受けてくれるところもなく、私に親身になってくれる勤めているところの先生にも話を聞かせていただいて、内科範囲で行っていただくことに。内科範囲では塞栓と癒着が考えられるのですが、これもほとんど麻酔をかけれない状態で本人が耐えれるかどうか。また、これを説得して受けさせないといけないし、主治医のDr.と相談し役割分担をして決めていきました。
主治医の先生も転院の話のときに一度投げかけたんですが、親身になって最終最後まで診て頂きました。この投げかけたときに、私自身も最後を覚悟しました。しかし、本人は家に帰りたい一心だったので、気持ちを前向きにさせて進めていったんですね。
ところが、塞栓×2も良好とはいえず、癒着×2もうまくいったとはいえない状況で。
癒着術は一度やると元に戻せないので、考えたほうが良いとも言われたのですが、これ以上の選択肢がなかったので説得して行っていただきました。このあたりが、私自身もきつかったんです、これでよかったのか、毎日が自問自答。病院に様子見に行くのが怖くて一度行かなかったことがあります。
状態は、良くなることがなく再度どうするかの相談。選択肢がない状況、もう選択肢としては最後をどうするのかしか残っていません。
覚悟を決めてたはずなのに、、、、病院は3ヶ月経過してしまい、普通に考えてもここにおれることは出来ないし。最後に決めたことは、在宅の先生と訪問看護にお願いして、家で看ることが出来ないかという話。普通、ドレーンついたままで帰ること出来ないので、無理かなって思った矢先、ドレーンが抜ける状態になって抜いてもらいました。完全に良くなったわけではないのですが、このちょっと前から感染を引き起こし(それもドレーン部位からのMRSA感染)、高熱が頻繁に出てそれが癒着が良好に行ったときと同じ状態になったんですね。
ただ、癒着しているのでもうドレーンを入れるスペースがなく、後に引き返せないという状況。
でも、最後は家で看取れるかもしれない状況から、在宅で診て頂けることが決まって、退院日まで決めれたんです。
しかし、退院3日前に再び高熱を出してしまい延期に退院日+2日の月曜日の朝に突然病院から電話があり、呼吸状態が急に悪くなった、身内呼んでほしいとのこと。このときはまだ話せる状況でしたが、苦しみもがく回数が多くなり、Dr.と再び話をすることに。
もう、酸素が取り込めない状態でということで、看取りになることを確信。最後は話し合いの元、モルヒネを使って沈静することになりました。本人はそのことを知りません。おそらく、以降は意思疎通が出来ない、最後まで帰る意思を見せていたのに、私がそれを途絶えさせてしまう、、、こんなつらいことを決めなければならない、最後を私が決めてしまうつらい決断、、、
2日目だったかな、2人になったときに意識朦朧としてるはずなのに、目を見開いて泣いたんですね。私との最後の会話でした。
今書いていてもそのときのこと思い出して泣いてしまうんです、、、
3日目の昼過ぎに低酸素が進んで14時ごろにかなり暴れだして、以降はモルヒネを増量していったせいか、安楽に看取ることが出来ました。それでも、一度arrestになったのに再び再開し家に帰りたいという想いが強かったことを示していました。
チューブ取れたときに、俺の成績表やいうて看護計画表を見せてくれました。
看護師さんのメッセージが本人の励みになっていたようで、御好意でいただいてきました。最後、棺に入れさせていただきました。
4ヵ月半、いろいろあって整理つけれなかったんですが、いま書いているときの最後の涙で整理つけたいと思います。
今回のことで、ひとつ学んだことがあります。これは、職場の下の子たちにメールした内容です。
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長期間休んでる中、係をまわしてくれているみんなへ本当に感謝します。
おかげさまで、無事看取ることが出来ました。
治療の中身を本人の意思に関係なく決めるということは、時に残酷で、決めた者が重い責任を背負い、単に不幸だけが残る可能性を十分に持っています。
私たちが仕事をしている上で、そのような話につながることはいつも周りにあることです。
これは、医療水準が高いことで埋まるような話ではなく、納得した内容であるのか、また納得して行っているのかということにつきると思いました。
それには時間をかける必要があります。時間をかけて、かけて、かけて、かけまくって初めて双方が納得のいくことになる。
単に一方的に話したことに対して同意を取った物と、納得というものがイコールではないということが、事務職をずっとやってきましたが、初めてわかったような気がします。
私たちの病院ってどうでしょうか。
やっぱりどの職種も時間が取れていないために患者側が納得のいっていないまま進んでますよね。
今の状況を大きくかえることは出来ませんが、納得してもらえるために周りがその溝を埋めてあげることは出来るかもしれません。
医事係のみんなそれぞれがそんな役割をする場面が出てくるかもしれません。
もし、そういう場面になったならば、そういう視点でいちど見てください。
どこが納得できていないのか。なにに納得していないのか。どれだけ時間をかけているのか。
そういう、視点を持ってくれるだけで、なにか患者サービスは変わるようなきがします。
自分のやり方で結構です、その人の思い、訴えをきいてあげれるようになってください。
私は治療のやり方を自分が決めたことに関して自問自答し続けてきましたが、私はみんなに時間をいただけたので、最後は親にかかわってくれたみんなに心から感謝を伝えることが出来ました。また、これでよかったんだと答えがやっと出せました。
そしてそんな時間をいただけた医事係の皆に本当にありがたく思います。
ありがとう。