goo blog サービス終了のお知らせ 

Thanx a million

きまぐれ更新

引退の日(セレモニー)

2020-02-13 00:04:25 | 菅田賀子選手

セレモニー等は動画が出てますので、そちらをご覧になっていただいて

レースの時もそうなのですが、放送では声はほとんど入ってません。

実際はというと、前日に関係者他50人ほど来られることは聞いていました。

みんな検車側でみるのかなと思っていたのですが、検車側に入れたのは一部だけでした。

なので、中央のスペースを境に右側(ゴール線発走機より後ろになるけれど、敢闘門が見える)、左側(ゴール線横、発走機は見えるけれど、敢闘門見えるのがごく一部)、と敢闘門横(外周からスペースがある)、敢闘門内検車場と分かれた形になりました。

私たちは敢闘門から出てきてすぐに声をかけたかったので、右側にいました。

ポリカーボネイトなので、曇って検車場内は見えませんが、レースを見るのには十分です。

左側におられたのがわからなかったのですが、佐藤拓哉選手はわかりました。

右側には選手はいなかったと思います。敢闘門内では後で写真をいただいて知った次第です。

実は開催に先立ってセレモニーの予定はなかったと聞いています。私も後で聞いたのですが(初日)、どなたかが声をかけてくださったのでしょうか。

引退式のイメージって、検車場内で集合写真撮って、花束渡して、挨拶があってって感じなのですが(実際多くの引退される方がいらっしゃいますがセレモニーまではあまりない)、そうなると私たちは入ることができません。そういう意味では、セレモニーがあってよかったと思います。

実際には結構バタバタしてて、カメリハや立ち位置なども直前に打ちあわせされていましたし、本当に急場で決まったような感じでした。

そんななかで、告知していただいたりがあったのですが、

びっくりしたのが、キャラクターになっていたこと。これは当日の朝までわからなかったのですが、ジャージイメージで作られていました。

そうそう、ちょっと口角が上がってて、目と眉の特徴を捉えていますね(私が思う一番の特徴は眉だと思ってるんです)

これ、短時間に上がっているんだったら、いや、すごいびっくりなんですけど。(前日からのチャリティーではこの図柄のグッズがなかったので、たぶん当日に上がっていると思ったんですけどね)

チャリティーでは菅田選手のサインが入ったものが出ていました。

サイン関係がたくさん、いわきのタオルにサイン、福島支部関連のもの、ガールズのクリアファイル

実は後から知りましたがうちのタオルの菅田選手の持ち分も出されていました。(サインが書かれていたと聞きました)

あとは似顔絵キーホルダーなど。

レース間際になってきても寒いのでなかなか集まってませんでしたが、締め切られるとたくさんの方が集まりました。

敢闘門のところで見学されていた方は撮影許可いただいて(ナイターはレース中の撮影が許可なくてはできません)

田中麻衣美選手、田中まい選手、増茂るるこ選手、板根茜弥選手、岡村育子選手、奈良岡彩子選手、明珍裕子選手、猪頭香緒里選手が来られていたと思います(もしご存じでしたら教えてください)

あとは、壱道選手以外(豊橋出場中)のいとこ含めてみなさま。写真で見て知ったのですが、お父様が出迎えてくれてました。

家族がレースを直接見るというのはあまりないはずなので、本当によかったなと思います。

私たちは応援して、見届けて、見送って。家族や仲間が出迎えて。こういう締めくくりができてよかったのかなと思います。

妹のかをりさんとともに手を引いて出てきました。もう二人とも泣いていますが、私泣き崩れてほとんどみれてなかったんです。

このとき本当に覚えてないぐらい泣いていたので最後こっちに深々と頭を下げてくれて、手を合わせてジェスチャーしてくれたことしか覚えてません。

いわき平競輪2月9日L級ガールズ勝利者インタビュー

レース後のインタビューが終了、深々と頭を下げて戻っていきました。

8R発売中にセレモニーが行われました。

花束を受け取ったら、真っ先にこちらに報告してくれました。

セレモニーはどちらかというと終始和やかな感じで進み

カメラに向かってサインを

左手には募集したメッセージカードがはいっています。この時に直接わたしています。

菅田賀子選手引退セレモニー

敢闘門に戻ると、同期のみんなが待っていてくれて

最後、左手の来てくださった皆様に挨拶していました。

ここまで、ものすごく流れる時間が早いような気がして、いつもはレース中の写真を撮ってたりするのですが、終始応援していて、今回こんなにもたくさんの声援を聞いて感情をこらえきれなくなってしまいました。

一人で応援している時間の方が長くて、声援掛かっても車券対象で声がかかってないことが多かったので(大体、かわいいとかそういうことが多い)、本気で応援してくれている人っていないのかと思った時期もありましたが、サインにも書かれる”真摯”という言葉の通り、真っすぐに、素直に競走に取り組んできた結果、本当に応援してくれると人も増えてきて、一緒に応援したりと菅田選手自身の考え方、向き合い方に共感してくださる人が増えたと思います。

今回、メッセージを集めさせていただいた中でも、前に行っては垂れて前に行っては垂れて、だけど、それがちゃんと伝わって応援してくださる方など菅田選手の想いを分かっていただいてメッセージを書いてくださった方が多くいらっしゃったので、本当にちゃんと見てくださってた人がいらっしゃるんですよ、集まって応援していただいてる人がこんなにもいるんですよ、だから胸張って頑張って、苦しくても笑顔で頑張ろう、そうしたら自然とみんなも笑顔になれるんだからと言い続けてきた結果なのかなと思います。

そう思ったらほとんどの時間泣いてたように思います。

セレモニーが終わって、かをりさんが声をかけてくださいました。これまで2・3回お会いしていますが、こういう活動をしているとは知らなかったはずなので、ユニフォームを着ていたので、気づいてくれました。

姉のこと、本当にありがとうございます。選手をやっていて幸せを感じていました。と言っていただけました。

これが私がこれまでやってきた結果なんだとおもいます。

そして、今から思うと、自分のジャージがあって嬉しいと喜んでくれて、最終日に家族や知人、同期や支部の方々多くの方の前で、たくさんの横断幕に囲まれて自分自身のジャージを着てご挨拶ができたというのは良かったんじゃないかなと思います。胸張って選手としてやってきたことを見ていただけたんじゃないかな。

それを全力で菅田選手をサポートし続け、今回、菅田選手の引退とともに終了いたしました。

みなさま、ありがとうございました。

最後に、今回写真を提供していただきました、れいねこさんとまいさん、本当にどうもありがとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引退の日(応援)

2020-02-12 00:59:55 | 菅田賀子選手

前検日インタビューで笑顔でとこたえた菅田選手。笑顔というキーワードを使っています。

いつも送り出す時に笑顔で行ってらっしゃいという言葉をかけて送り出します。

誰よりも早く行って待っていてあげたい。

探すとそこに応援してくれている人がいる。一緒に応援してくれる人がいる。

そんな風になればいいなと思っていました。

強い選手は横断幕もたくさんあって、応援もしてくれて、メディアにも注目され。

その逆の立場にもなると、注目もされないし、声もかからない。

他の選手を応援するとある人がこう言っていました。競輪場にはいくけれど、観てるだけ。

声援なんて飛ばせない、隅っこで観てるだけ。ブログやSNSには気持ちを書けるけれど、、、

それでは選手に伝わっているかどうかもわからない、選手もそれに気づいているかどうかもわからない

私はそういうのが嫌だったので、ありったけのできることをしてました。

メディアが注目しないんだったら、私がすればいい

声援が飛ばないんだったら、私がすればいい

横断幕がないんなら、私がすればいい

単にその思いでした。その中でもいろいろ中傷もあり、傷つくようなことも言われ、書かれ。

ホームでいてるのにわざわざ1Cまで来て『そんな奴くるわけないやろ』って言われたりもしました。

妬みもあったし、きつい日々もありましたが、選手は笑顔になってもらいたくってという想いで走ってくれました。

ボロクソ言われたときに1着取ってくれて、苦虫を嚙み潰したような顔で隣りから去っていったっていうのもありました。

逆に乗っかってくれて、一緒に応援してくれたこともありましたし応援の中でもたくさんの思い出があります。

一緒に応援してくれた時のことは菅田選手のブログに少し書かれています。

車券は毎レース5100円。3複1500円と3単3600円。決勝や展開が読めるときはもう少し買ってましたが。

車券を買っているのは知ってくれているので、いつもなんとか応えようとしてくれてました。

また、加藤選手の呼びかけからか、決勝メンバーがウェアを着てくれました。

こんなうれしいサプライズは選手ならではですね。本当にありがとうございます。

今回、ラストラン記念品ということでタオルを作成させていただきました。

浦部選手のイラストをトレースさせていただきました(ものすごく特徴つかんでるんですよ)

あとは宇都宮のときの菅田選手の落書き調のイラストをトレースしています。

最初は、どう使うの?走り終わってから出すの?

と言われました。

高松選手の時のメッセージのときに思ったんですが、終わってから、ありがとうのメッセージを出すんじゃなくて、

声援のために作ろうと思ってたので、ラスト前日から出していただきました。

今回呼びかけてはいなかったのですが、みんなが自然に集まってくれました。

当然来れない人もいるので、ネットでも応援していただけました。

また、豊橋で呼びかけてくださり選手からも応援が

もともとはV10の時に作る予定だったし、ありがとうの意味だけではなかったので。

後から知りましたが、敢闘門奥でも見送られてるときにタオルを出していただいてました。

同期、宮城支部、その他の地区の選手、関係者、ご家族、お客様、ファンに見守られて最後のレース踏みだします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引退の日(指定練習)

2020-02-11 11:14:09 | 菅田賀子選手

引退することを聞いて約2か月、名古屋開催前にブログで報告をされました。

和歌山でたまたまばったりと出会ったので話をしたのですが、宮城支部さんの計らいでいわきでラストを迎えることになりました。

以前、高松選手の引退式の時にファンからとしていろいろさせていただきましたが、その時に思ったことがいくつかあったので、自分なりに花道を考えました。

ご家族や知人、選手会を含めた関係者側、運営スタッフの方々が行う施行側、ファン側が行うファン側とどうしても3つになるので結構バラバラ感がでます。それぞれの想いがあるので仕切って一体でというのはなかなかできません。

最終的にはやっぱり3者になってしまったんですが、それぞれが動いていただいて、決まっていなかったことが急に決まったりと日を追うごとに大きな波になっていきました。

また、参加選手の中でもいろいろとしてくださったみたいで、最終的には自分が想像する以上の大きな波になりました。

横断幕は全枚出させていただきました。弥彦、いわきでは比較的多めに出させていただいていました。

実際には6枚作製していて1枚破れていますので、5枚出しになります。移籍した後で新潟幕を弥彦以外で出したこともないですね。

バンク中央で写真撮ってくださってる方もいらっしゃいました。

横断幕を出したときに、決勝にもなかなか乗れないのにこんなにたくさん出していただいてと言っていましたが、それに恥じない走りを心がけますと言ってくれていままでやってきました。

最終日前日の指定練習

最終日の指定練習と菅田選手を含めての周回練習の列が長くなっていきました。

恐らく、見た限りでは一番長かったと思います。

思い思いに選手同士で語って、ファンの人にお辞儀していました。

最終最後、一人でまわってきてこっちを見ています

じぃー ロックオン

最後の最後、通り過ぎるときに私に

(`・ω・´)ゞビシッ!!

て敬礼して敢闘門に戻りました。

写真には納まってませんが、金網越しの関係最後の最後にやられました。

こんなのって反則です。もうそっから涙が止まりません。朝4時ぐらいに起きてそこから止まってませんが(笑)

最後にいつもこちらにお辞儀して戻ります。

周回してなかった選手が記録してくれてたみたいです。それみたいなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引退の報告

2020-01-23 21:09:22 | 菅田賀子選手

今日、菅田選手から引退の報告がご本人よりありました。

たまにそんなに悪かったの?って言われます。

走り終わった後が画面上では映らないので気づかない、知らない方は多いと思いますが、2年ほどかなり堪えて走ってました。

女子選手が自転車取りに来てくれた時は肩かしてもらったりできるのですが、痛む足で帰っていきます。

右を外して左だけで帰ろうとするので、レース終わってからも負担がありました。

全員帰ったのを確認して次の脚見せを出す場と途中で出てしまう場があり、周回遅れで係員に急かされることもありました。

また、名古屋などの急な坂(特に下り)は負担になりました。

そのことは何度か書いていましたが、点数に余裕がないことで休めない、治りきらない間に次が始まるという悪循環になりました。

それでも笑顔になってもらいたい一心でここまでやってきました。

最後、宮城支部の皆さんが花道を作ってくださったことを聞きました。

最終最後まで笑顔で頑張ることを先日一緒に帰った時に聞けました。

あとは見届けるだけ。頑張れとしか言えないけれど、最終最後まで変わらぬ応援で突っ走ります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年の想い

2019-10-10 00:21:31 | 菅田賀子選手

前回の投稿からかなり経過しました

レースはすこしでも見に行けてるのですが、前検日の指定練習が見れなくて。

松阪ではバンクサイド解放なし、名古屋ではスタンドが立ち入り制限、岐阜ではスタンド解放なし、和歌山は雨が降ってガールズのみ指定練習なしと散々な結果で今年のカレンダー用の写真が足りなくて。

こればっかりは仕方がないのですね。

そうして岐阜開催の時に前検から行きました。10月で横断幕を出して5年になります。

補充で1度出せなかった以外はすべて出しています。

今かなりの本数でていますが、選手持ちが結構多くて。

ファンが送付する方が少ない時もありますね。

選手持ちだとレース終わってから途中で引き上げないといけなくて、人手が必要になるので選手持ち側と送付側に分かれてたりします。

場によっては送付分は後にするところもなるので、結局最後まで残るのが送付分になるというのがわかるときもあります。

とある場で、選手持ちを張らない場がありました。

そういうのって選手に渡してしまってると知らないままなんですよね。

選手との間柄で近しい人だったら問題ないと思いますが、せっかく渡したのに選手が持って行ってないって声を聴くとすごく残念に思います。

そうじゃないんだけどなって。

この辺のことはいろいろ言いたいんですけど、普段から言ってるからまあいっか(笑)

で、岐阜だったんですが、何度か前検に来てるんですが、今回スタンドに上がれませんでした。

なので悔しいのでポリカーボネイト越しに。なにもわからへん(笑)

誰が誰かわからん状態で、みんなで周回やってから矢野選手と2人で踏んでました。

最近やってなかった外周からダッシュをやったんですね。股関節引きづるようになって周回のみになったんですが外周回ってくれると嬉しいんですよ。

指定練習でもペコっと。見つけてくれていつもありがとう。

で、レースですが基本ホーム中央にいるのはほとんどなくて、遠目に見ます。岐阜は敢闘門の真上におれるので、こっそりと。

見守るだけしかできないので、いっといでとしか言えない。

いつもと声が飛んでくる方向が違います(笑)

さあがんばろう

そんなに力入れてない時とダッシュの時ですが、おんなじ時に撮って比べると前に落ちちゃうんですよね。

結局腰を下ろしてからのほうがスピード乗ることが多いです。腰下ろす時もちょっとの加減でドンと腰下ろしちゃって失速ってのもあります。

まだちょっとロスがあるように思いますが、このところは3.71とかにしてますね。

(岐阜開催の時に台風が接近してて、風で重いってのもあったので完全に個人の感想です)

それでも踏み切って帰ってきます。最近は戻ってくるのも早くなりました。

でも、知ってる選手は気遣ってくれていち早く取りに来てくれるんですよね。

こういうところ見ると目頭が熱くなってですね、、、

終わってからこちらに一礼してくれるといつも涙腺崩壊です、、、

さて日が変わり、サテライト宮城に着ました。

ブログ書くって言ってくれてたので、ちょっと別の視点からのリポートです。

イベント頑張ってねーとは言ってたものの、行くっていうの忘れてて本人知りません

前の日から多賀城にいてたんですけどね(笑)

まだ気づいてないです。関戸支部長の方が先に気づいちゃいました(笑)

というわけで、ガラポンの列に。

目の前に来てようやく気付いた、そりゃびっくりするわ(笑)

というわけでガラポン2R分ぐらいで終わってしまいました。

私?3回並んで9回引きましたよ。ティッシュばかり(笑)

終わってもう帰るのーって聞いたら最後までいるとのことでした。あとはお客さんとのふれあいタイム。

お客さんと話をしたり、サインを書いたり、ファンレターもらったりしてましたね。

ステージ紹介あったほうが良かったかも。

で、空き時間にちょっと付き合ってもらいました。

ほとんどの時間関戸支部長と喋ってたような(笑)

いつも金網の内外の関係で、選手はファンことを知ってそうで実はあんまり知っていない、逆にファンは選手のこと知ってそうで、意外と知らないことも多いっていう内容をずいぶんと話しました。

ブログに書いてくれた内容もその部分から。

私も何でも知ってそうでいて逆に周りから聞いて知ったり気づいたりとか。

岐阜、名古屋あたりから左腕になんかつけてましたよって、言われるまで気づかなかったし(笑)。

で、本人に聞いてみたら前腕、上腕、胴、背、右左別でパーツに分かれたReebokのインナーで最近のお気に入りみたい。

それがちょうど指定練習の時にジャージと色を合わせてたのでなにか左腕につけてるって見えたワケ

で、最後に目的果たさなきゃ

(`・ω・´)ゞビシッ で写真撮ろう~

わちゃわちゃしすぎてカメラ持ってるのにスマホで撮ってしまったオマヌケさんです(笑)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛い中での9勝目

2019-01-02 23:46:37 | 菅田賀子選手

今回は前検日の指定練習から4日間追いかけることができました。

岸和田との付き合いは結構あって、新人訓練もここで行われました。

2日目はどちらかというと何もできずに終わったレースでした。

7番車なので、そのまま後方へ

このところは一番後ろから先に動いてという競走。

鐘が鳴ってからもまだ他選手の動向をみています。

ホームストレッチで豊岡選手が動きます。その後ろには渡辺選手、視線を追うと藤谷選手が見てて田中(真)選手と田中(千)選手がその後ろで豊岡選手の後ろを狙っています。

となると、全体の流れは豊岡選手次第。菅田選手は田中(千)選手を見ています。

豊岡選手が動いてレースの動きができました。先に野口選手が動いているので藤谷選手、田中(真)選手が切り替えます。

もともと中段にいてて外まで持ち出したのなら、カマシを考えますが出るのが遅くて野口選手に引っ張られた形になりました。

菅田選手は後方位置、コーナーで初めて豊岡選手が野口選手に並びます。ここで野口選手は突っ張らないといけません。

いつもなら菅田選手はインでそのままの状態ですが、田中(千)選手にホームで切り替えています。

豊岡選手がなかなか進みません。2角から捲り始めました。3角に入るまでに仕留められるか。

さあ、コーナー入口まで差し掛かりロング捲り。後ろには渡辺選手と田中(千)選手がつけています。

後ろを切って捲くりきりました。あとは、脚が持つかどうか。

直線入口でこの位置。踏めー

そのまま先着することができました。1着入賞。

展開に向いたのもあるけど、苦しいながらの9勝目。

菅田選手より、渡辺選手のほうがニコニコして戻ってきました。菅田選手あんまり競走後すぐに感情に出したりしないので割と淡々と回ってきます。

こっち向いてくれました。車券?もちろんとってますよ。ありがとう。

お客さんに一礼して戻って行きます。そのときにも、、、

私にも深々と一礼してくれました。今まで苦しかったもんね。

敢闘門に戻るとき、初めて感情を出してくれました。和宏選手と同じ88期群馬の宮内選手ですかね。

勝っちゃったーって感じでした。

終わってから、談話が聞けたのとみんなが帰るとこだよって声かけていただけたので、会いに行きました(普段はいかない)

一着とってもインタビューないので、独占インタビューでした(笑)

・タイミングよく出れた

・バックで風が追い風で、ホームがそこまで感じなかった

これをきっかけに戻していこうね

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出会った日のように

2018-12-31 22:15:30 | 菅田賀子選手

菅田選手を注目しだしたのは、自転車経験もなく自分自身を探すためにこの世界に飛び込み、先行にこだわっていた時の話。

父は競輪選手、兄も競輪選手、妹はモデル、じゃあ、私はなんなんだろう、、、

学校に入って在校成績も一番下。それでも食らいついてきて選手になった。

前に行っては垂れて、前に行っては垂れての繰り返し。車券は切ればいいだけ。

しかしある日、前に出た菅田選手に他の選手がのってレースを作った。

レースを作れるようになった時に、創設当初なかった代謝の話が出てきました。

代謝は点数の下位から切られてしまう制度、そんなときにブログに

私はデビューするときにひとつの夢を持ちました。
なかなか結果が出ない自分に恥ずかしくて
ハッキリ言えなくなってたけど、
私は先行選手を目指します
どんなに可能性が低くても、許される限り頑張ろうと思います。
現実突き付けられたって
諦めてたまるかこんにゃろー

そこから、代謝カウントが始まった時に横断幕を出したのがきっかけです。

後方位置にいてたところ緩んでる状態で外に持ち出しました。

柳原選手が出る前に出きれるか、ここで出きられてしまうとここまで持ってきた意味がなくなります。

無駄脚を使う状態になります。

一気に出きりました。このまま抑えるか、飛びつくか。

先頭に立って抑えました。緩んだのを見た後ろの選手が一気にスパート。

柳原選手は後ろより先にもう一度立て直して出ないといけません。

柳原選手が出てスパートしてきた選手がつく形になりました。

後ろの選手が柳原選手の進路を出させない状態にすれば、また結果が違ってきます。

後ろからの選手も消耗してますが、柳原選手をとらえることはできず。

菅田選手は7着

7着でも、内容があるのとないのとでは全く違います。

仕掛けて、出きったことが今日の収穫。今日は顔あげて戻ってきました。

戻ってくるのもスムーズになってました。

また調子戻ってくるね。この調子で2019年も頑張っていこう。Dash!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛かった一年

2018-12-31 06:08:35 | 菅田賀子選手

静岡のGPシリーズに行ってましたが急遽戻ってきました。

数少ない指定練習が見れる日、奈良と岸和田は外で用意をしますね。

菅田選手はいつも最初のほうに出てきます。

あら、みつかった。

いつも遠くにいてるのですが、いつも見つけてくれますね。つか、目立つか(笑)

みんなに冷やかされたりしませんように(願い)

今回の班長さんは門脇選手ですね

ストレッチを始めました。

今まで私が見ることがなかった光景です。

今年は腰痛に股関節炎にと見てるほうもつらかった

今年作成のカレンダーは、そういう部分が収められています。

股関節のところも伸ばしてストレッチ

つか、結構柔らかいのね

怪我と付き合っていくって決めたらとことん付き合うところを見てきました。

頑張ってとしか声はかけられないけれど、ちゃんと頑張ってくれてるところを見たようなかがします。

自転車に乗り始めました。

門脇選手、野口選手、手柴選手、渡辺選手、菅田選手の組み合わせ

軽く周回して

ありがとうございましたーって分かれます

以前の新人訓練を思い出しますね

1週軽くもがいて終了

最後、終わるときにショートカットして戻ってきました。

年またぐのであいさつに難しい(笑)、頑張れとして言えないんだけどね。

さあさ、指定練習終わりますよ。

今年は本当に辛かったので、いろんな思い出が交錯しました。

頑張るしかないって自分に言い聞かせてたのが思い返されます。

取り組んでる姿が見れたのでGP蹴ってこちらに来てよかったと思います。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールスター

2018-08-19 08:02:02 | 菅田賀子選手

新潟から移籍後、何度かチャンスはあったものの、直前に怪我したりでいわきで見るのは初になります

選手会ブースでなくカフェ店員としてだったのでたくさんの人とふれあっていました

たくさんの人に知ってもらえるチャンスです。お客側にたつと成績上位の選手は誰もが知ってて走りにも熟知してますが、下位になるとなかなか走りまで知ってるというところまではいきません

みんなが来たよって教えてくれるのですが、わたしはあとで

ガールズの選手紹介のところで小林莉子選手とでてきてました。

あれ?小林莉子選手が手に持ってるカメラどっかで見たような、、、

あとで直接確認すると同じものでした。これめっちゃぶれますよねって同じ悩みを共有、光学式+物理レンズで前の機種は競走まで撮れましたが、今の奴はスピード感悪いしちょっと不満足

選手もカメラ撮ってるのに気づいて向こうのほう見ちゃってます(笑)
 
 
競走のほうは104期を応援してましたが2コーナーで中段がもつれ合って高木選手が接触しいったん失速、一気に競走の流れが変わってしましました
 
 
強さの駆け引きというより、流れの駆け引きのレースだったので応援してた選手にはちょっと不本意な競走になりましたが、、、
 
 
あと、ステージイベントで山本レナ元選手が
 
これね、いっぱい思うことがあるんだけど、うーん。ただ、もっと走りたかったというのは力強い本音だったと思います。
 
で、テントに行きました。囲まれちゃってますね、どんな話してるんかな?
 
オールドファンの方にはお父さんのこと話されてましたね。
 
 
選手会ブースで関戸支部長と話してたら、こっち来てくれました。
 
宮城支部の超いいひとペア(笑)
 
覚えてもらってからずっと絡んでいただいててほんとすいません。
 
 
最後に、ご挨拶して。このお二人にもいつも絡んでいただいて嬉しい限りです。
 
いいふれあいの場になったかな?また走りで魅了できるようがんばろうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪い流れを断ち切りたい

2018-08-07 00:08:33 | 菅田賀子選手

ここのところ、応援に行くと悪い流れを断ち切れずの状況が続いてて、

すごく悩んだりもするのですが、いい時も悪い時も応援し続けると決めているので。

西武園はホーム側に敢闘門があり、自転車にそのまま乗って出てきます。

バックでみてたのでホーム側の状況はわかりませんがちょうど仕掛け頃の位置にいました。

関西ではバックで見えるところはないし、ちょっと感覚がずれるんです。

自転車戻しました。というか、青森までの日程考えてのことでしょうか。

横断幕も返るのを待って青森に出せなかったので、1号幕を出しています。日程が厳しいとそうなります。

一つでも前をの気持ちは忘れずにいてくれてるので気持ち的には安心してますが、いい時の流れに戻しきれてないし、

まだまだ治りきっていないので。それでも、時間は待ってくれないし、競走数の制限もあるしちぐはぐにはなってしまいます。

3角から仕掛け始め、直線の距離があるのでホームで出きってしまうのが良い形。

団子になっちゃいました。

この時にいい時は踏み切れるのですが、やはりかばってるのがあるのか踏み切れません。

痛いのを我慢してるような感じにも見えます。

板根選手が仕掛け、向井選手がそれについて外にもち出したときに失速。

ここのところ競走終わってから帰るのもやっとの状態です。

右のクリップバンドを外してしまい、左脚だけで戻ろうとしてます。

右脚はべダルにものせれず、ずっと伸ばしたまま。

左脚だけで自分の体重分を漕いでるので戻るのに消耗してしまっています。

2周回らさないで1周で切ったりショートカットできればいいのですが、、、

西武園や小倉は中がないのでショートカットが全くできません。

どれだけ苦しくても、前を見据えて視線を落とさずまっすぐ見て。

前に出る勇気があるからこそ、応援し続けられる。

まっすぐ見ててくれるからこそ、その先にはゴールがある。

できることは少ないけれど、苦しい時の支えになれれば。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケガと戦う

2018-06-05 23:38:54 | 菅田賀子選手

小倉に行ってきました。

もともと指定練習は見れないのですが、見れるところは窓越しに見えます。

いつも出てくるはずなのに出てこない。温存のためか、出ませんでした(2人しか出ませんでした)

こういう、いつもと違う状況からいろんなことを思ってしまいます。

いわきも無理な状態をおしてたようにも見えました。

出る限りは、今ある力を。それだけが願いです。

指定練習は終わってから、選手紹介がありました。

遠目でいてたんですが、気づいたみたいです(笑)

ちょこっと笑顔が見えました。ちょっとした安心感。

あんまり目を合わすわけでもないんですが、、、

めちゃくちゃ小さくこちらに気遣いを。いつもありがとう。

レースのほうはというと、結構団子で、それぞれが相手を見て、見て、見てのレースでした。

自力持ってる選手が多く、特に奥井選手の動きをそれぞれが見てます。

2番石井貴子選手が牽制して奥井選手を確認。

前をとってる中川選手が奥井選手を確認、まだ来ません。

動きを見る中で、後ろのそれぞれが目標を作ってしまいました。

こうなっては、石井選手は先に出てしまわない限り、647と3車を捲ることになり不利になります。

本来なら、5の中川選手が先に行ってその後ろにいてたいはずですが、後ろがくる気配で出るほかありません。

菅田選手は目標はこの時点で2番の石井選手ですが、位置的に1番土屋選手との取り合いになります。

コーナー入口で仕掛ける奥井選手、後ろの増茂選手が追走。

出ちゃったら、後ろ引き連れてるので楽ですね。叩ききったら、出来上がり。

の、はずなのですが、相手が石井選手なので内で追走、みるみる詰めてきます。

奥井選手の後ろにいた増茂選手は出口から外へ持ち出し好判断。そのまま後ろだと、後ろから詰まって差される可能性

 菅田選手はここで一杯、ついていくのがまだやっとの状態。まだ71を踏めるまで戻りきってません。

 で、ゴールしてから異変に気づいて。

 次の脚見せが始まってるのに戻ってこれません。危うく周回遅れになる寸前。

慌てて審判が走路までかけつけました。 よくクリップバンドが外れてくれたと。もう全然進めてません。

何かを持ってないと前に進めない状態。

富山、小倉と連続で傷つく姿を目の当たりにして、それでも走ろうとする菅田選手。

次の日の出走表が出たときに、名前があったので大丈夫だったんだと一安心でしたが、翌日もレースにならない状態で歩けない状態が映し出され、、、すごく心を痛めました。

とりあえず、今は休んでほしいです。

ここ最近の落車から頸椎~腰椎と損傷、フォームに歪がでたところから股関節、、、

股関節唇損傷っぽい感じですが。

レース翌日、辛いはずなのに気遣いのメッセージが一通。

恐らく時間的にも帰れてないし出先でのケガは不安でいっぱい。

それなのに、なんにもしてあげられないのが辛くて。見守るしかないし、待つしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6号幕

2018-05-06 23:39:06 | 菅田賀子選手

2014年11月の岐阜から横断幕を掲出して3年半、代謝の話が出てきたころでなんどとなく踏みとどまってここまできています。落車後から状況が一変してしまいましたが、それでも気力でカバーし続けているような状況です。

そういう節目に横断幕を作ったりジャージを作って次につながるようにしていますが、やはり同期であるとか同地区であるとか人の支えが一番ということでかなわない部分はありますが、競走をいつも見守ってくれる横断幕はそれぞれの思い出や物語を刻んでいくものとなっています。

1号幕(左)は一番掲出回数が多いです。そして大きな金額をとって登場した2号幕(右)は実は戦績がいいんです。

新潟時代に作った3号幕、大型化しました。このあとすぐに移籍を表明して新潟幕は短命になりました。かなり気にしてくれていましたが、私のこだわりで作り変えました。現在は弥彦出場の時だけ見れる幕です。

で、宮城に移籍後に作った4号幕。函館で破れてしまい短命になってしまいましたが、このときにはじめて菅田選手の横断幕への思いを知ることができました。

5号幕。破れた横断幕の代わりでしたが、一新し菅田選手のカラーを作っています。それなりに定着したように思ってるので、これで推していこうということでジャージにつながります。

で、なぜここで6号幕なのか。

いままではこのタイミングの時に作成という明確な目的があったのですが、今回は完全にこちらの都合です。

5号幕はテント生地で強い反面、折れないので輸送の都合が存在しました。当初はよかったのですがヤマト便の改正があり、送ることが困難になりました。

1.送料が往復で5000円を超えてしまうケースが多くなったこと。

2.箱がヤマト便に合わせるために特注化していますが、かなりギリギリで逆に箱の破損が多くなり、2往復ほどしか持たなくなったこと。

3.繁忙期にヤマト便の集荷の約束が取り付けられず、集荷を依頼すると時間を指定できずに1日無駄にしてしまうこと。

4.繁忙期の問題を回避するのにセンターに長尺姿のままでもっていく必要があり、持っていくことは特に苦にならなかったが天候に左右されてしまい、もっていかないといけない時に出せなくなるような天候にあたってしまうことがあること。

5.返送の際も時間指定ができないため、受け取りにプラス1日かかってしまうこと。(ルートのひとは帰ってくる時間を合わせてくれるのでなんとかなった)

6.ヤマト側がルートの担当者を固定しなくなったこと。

とまあ、解決できなかったことが存在したためにここ最近は1号幕と2号幕で対応していたということです。

せっかく菅田選手のカラーが固定できたのにと思っていて、なかなか送付問題が解決できなかったために布幕で6号幕を作成したということです。

デザインは同じです。ただ、5号幕と全く同じかというとちょっと違います。

チェックのパターンのところが違います。もともと5号幕を作った時のもう一つの案のほうです。

あとは基本一緒で、布幕になったことと、5号幕より少し小さくしています。これは、大型化しすぎると長持ちしなかったことにあって、1・2号幕と3・4・5号幕とのちょうど中間のサイズです。(縦横の割合は全く同じ)

これで、送付問題は解決。もちろん5号幕も所によっては出します。

ひもを通して次への出番を待ちます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安心すること ~サテライト大和イベント~

2018-03-24 08:38:16 | 菅田賀子選手

 高知で落車したあと、帰れてるし心配しないでねと聞いてましたが、いつも休場明けは走るところみるまで不安でいっぱいです。選手の中にはそのまま引退された例もあるので落車したときの状態も心配ですが、次走れるのか?というのがいつも頭の中にあります。

何度か書いていますが、調子、状態の話はしません。

それはお互いの約束事であって暗黙のルール。

選手を信じてるからこそ。

それでも、心配はずっと感じてて、実際に走っているところまではずっと不安のまま。

そんな時にサテライト大和のイベントの話を知ったので、先日と同じく日帰り強行で行ってきました。

11時ごろ着。飛行機→バスだと12時ごろ着になって最初のほうから来場できなかったので、現地の方に迎えに来てもらいました。

ちょうど、オートレースのイベント。玉野でおなじみの垰口さんがオートレースの見方、考え方、投票の仕方等々、ガイダンスアドバイザーとしてトークを挟みつつ紹介されてました。

菅田選手、ギャンブルはあまりしたことなかったように思います。食い入るようにレースをみていました。

垰口さんのオートレースのイロハにずっと耳を傾けている菅田選手。初めてのことだから興味津々。

 

で、正面向いたときにこちらに気づいて会釈されました。行くっていってなかったので、まさか来てるとは思わなかった、びっくりしたって言ってましたっけ。

途中から、橋本選手、大内選手も参戦。

競輪とオートの違いなんかも織り交ぜて、ここはオートの話もりだくさんでした。

 垰口さんがレース中も展開実況をしてくださってたので、違う視点でレースを見れました。3人とも食い入るようにレース展開みてました。

お昼を挟んで、今度は競輪のほうのイベントへ。待機中でもステージの話を聞いています。

競輪の予想会とトークショー。吉井秀仁さんと。吉井さんって普段からお父さんとの流れがあるせいか結構贔屓にしてくださってますね。娘と話しているような感覚。

で、トークショーも終わり、空き時間があったので話に行きました。対角で私と話していますがいつも菅田選手は目を見て話す人です。逆に照れてしまうのですが、明るく気丈に振舞ってくれます。最近の話とかしてました。2人とも気遣いのしあいをしちゃうので会話がかなりぎこちない(笑)

イベントは出待ちとかと違って公式にふれあえる場。

選手も大変だけど、いろんな人に声かけられて、応援してくださる人が一人でも増えてくれれば。

一所懸命やって当たり前の世界。モチベーションあげて次につながってくれればいいなあっていつも思います。

つづいては、抽選会。仕草がいいなあって思います。バンク内で選手同士でいるときと、イベントの時と、人と話してる時とそれぞれ違うんです。バンク内で選手同士でいるときなんて気さくな仲間といるので気持ちが緩むんでしょうね、なかなか見れない表情したりします。

景品は、テレビに空気清浄機、自転車に、電気シェーバーにとたくさん出てました。(わたしもクオカードいただいてます)

ママチャリ菅田選手。なんか微笑ましくて。職業柄か空気圧みてたりしてました(笑)

 最後、挨拶してました。春から大内選手が副支部長にとのこと。宮城支部って三澤選手が支部長で関戸選手、太田選手が副支部長だったので体制が変わるのかな。 

というわけで、元気な姿をみれてとても安心しました。丸々一日のイベントで立ちっぱなしだったけど、いろんなお客さんに笑顔で対応してました。

次は?

頑張りますとコメントいただきました。押しかけてしまいましたが、この一枚を撮りたくて。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大垣開催

2018-02-26 22:35:34 | 菅田賀子選手

大垣開催が土曜に重なっていたのですが、地元で記念もありちょっとどうしようか思っていた矢先に、サテライト宮城でも優勝報告会があるということでどうしようか迷っていたのですが、F2で放送がなかったので大垣に前日移動で行ってきました。

なかなか曇ってて寒いですがこの時期で雪降らなかったことに感謝です。

獲れる場所からなのでしょうか、こだわりなく入りました。ただ、動く可能性ある選手ついていく可能性のある選手と完全に分かれますので、動いた方がよさげ。

蓑田選手が上がって後ろ2車続いていきました。こうなると、それぞれの選手の視線の先の関係で動いていくのがわかります。

1番車の中西選手は蓑田選手の出方を待って、鈴木選手と青木選手は中西選手を見てます。逆に蓑田選手は中西選手を見ています。そこにつけたい佐々木選手からの2車、菅田選手が様子を見てます。

蓑田選手が動いてレース全体が動きます。ただ、後ろの取り合いみたいになって全体的に団子状態。

こういうときが一番危険。

佐々木選手が前に出て少し緩めると、まだかかっていないので団子形成してこの出口でちょっと危ない状況になってしまいます。7番の宮内選手がはじかれるような形になってしまい、全体的にヒヤッとしました。

バックストレッチまで団子になりましたが蓑田選手がスパートを初めて少しだけ空きます。

この瞬間にここから動けたらよかったのですが、鈴木選手に外をあわされてしまい、位置を確保してるものの前に出にくい状況となりました。そうしているうちに外から青木選手が一気にスパート。

踏み合いで勝てればいいですが、かかった相手だと追走も精いっぱい。相手の関係も思えば、あの出られたところがキーだったのかも。

なかなか悔しいレースで笑顔も見れませんでした。

 

おまけ

男子が西日本斡旋で同地区の選手がいなかったので自転車取りに来るところがみられず。

決勝で見かけたときにはちょっとした笑顔になっていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良開催

2018-02-08 00:43:36 | 菅田賀子選手

横断幕を出して、ちょっと経ってから知り合えるようになったので、どちらかといえば順番が違うのですが、知り合えるようになったのが奈良になります。

前検の前の日に何かしらのイベントが起こるのがいつも奈良開催だったりします。

土曜が前検だったので、指定練習見に行きました。

前検日の指定練習はいつも和やかな感じです。レース日の指定練習とはちょっと違います。

いつも、ウォーキングの選手が自転車に乗ってたり、周回を一人で走る選手が隊列になったり。

この誰と一緒に走ってるのか?というのは結構重要で。というか、結構組み合わせが意外性があったり。

今回はどうですかね?歳の近いもの同士?

周回が終わると、それぞれでダッシュしたり周回重ねたり、外周を走ったり。

いつもと違えば、そこには何かあるということ。これはこれでバロメーター的な見方もできると思ってます。

20分ほど慣らして、終了。

周回練の時に声かけるんではなく、乗ってクリップバンド締めるまで、終わって外してからのどこかで一声かけます。

周回中は集中しないと、事故起こる可能性もあるので誘発させるようなことはしません。

選手は気づいてくれてるものです。

いつも会釈してくれます。どうもありがとう。がんばって。

次の日、1番車で好枠でした。

ただ、病欠明けでなかなか乗れてなかった状況が気になります。

それでも、いま出せる力を出し切ってさえくれれば、結果は自ずとついてくるので。

奈良は、いつも発走台の一番上で見ます。発走機について礼するときに上見ると、腕組みした鬼コーチがいるわけです(笑)

それ、見えないだろうと思ってたのですが、見えるそうですね(汗)

後ろからの競走になりました。

風があったのもあるんですが、踏んでもなかなか進んでくれません。

フォームも崩してるわけでもないし、ただ力強さがみられませんでした。

終始後ろでの競走になってしまい踏めてなさそうに思いました。

こんな時に、明日は頑張れとか気の利いたことを言えればいいのですが、私自身悔しさが先行してしまい、脱力状態に。

選手もうつむいてしまってます。

でも、その悔しさをエネルギーに変えれないと上向いてやっていけないのがこの世界。

いい時も、悪い時も含めて応援。いつも応援。かわらぬ応援。

こんな時もあるから、一着の時の笑顔が素敵になるので、どんなときでもずっと一緒。

虹はいつも見えるわけではないし、なかなか出会えないからこそ、その存在に感動する。

下を向いてばっかりいては、虹が出ていても気づくこともない。

どんなに悔しくても、上を向いていれば出会えるチャンスはめぐってくる。

チャンスは、誰もが自分の手の中に存在する。それに気づいていないだけで、必ず存在している。

焦ることはないし、自分自身を信じて一歩一歩進んでいってくれれば。後ろに戻ったとしても前への気持ちさえあれば。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする