2014年11月の岐阜から横断幕を掲出して3年半、代謝の話が出てきたころでなんどとなく踏みとどまってここまできています。落車後から状況が一変してしまいましたが、それでも気力でカバーし続けているような状況です。
そういう節目に横断幕を作ったりジャージを作って次につながるようにしていますが、やはり同期であるとか同地区であるとか人の支えが一番ということでかなわない部分はありますが、競走をいつも見守ってくれる横断幕はそれぞれの思い出や物語を刻んでいくものとなっています。
1号幕(左)は一番掲出回数が多いです。そして大きな金額をとって登場した2号幕(右)は実は戦績がいいんです。
新潟時代に作った3号幕、大型化しました。このあとすぐに移籍を表明して新潟幕は短命になりました。かなり気にしてくれていましたが、私のこだわりで作り変えました。現在は弥彦出場の時だけ見れる幕です。
で、宮城に移籍後に作った4号幕。函館で破れてしまい短命になってしまいましたが、このときにはじめて菅田選手の横断幕への思いを知ることができました。
5号幕。破れた横断幕の代わりでしたが、一新し菅田選手のカラーを作っています。それなりに定着したように思ってるので、これで推していこうということでジャージにつながります。
で、なぜここで6号幕なのか。
いままではこのタイミングの時に作成という明確な目的があったのですが、今回は完全にこちらの都合です。
5号幕はテント生地で強い反面、折れないので輸送の都合が存在しました。当初はよかったのですがヤマト便の改正があり、送ることが困難になりました。
1.送料が往復で5000円を超えてしまうケースが多くなったこと。
2.箱がヤマト便に合わせるために特注化していますが、かなりギリギリで逆に箱の破損が多くなり、2往復ほどしか持たなくなったこと。
3.繁忙期にヤマト便の集荷の約束が取り付けられず、集荷を依頼すると時間を指定できずに1日無駄にしてしまうこと。
4.繁忙期の問題を回避するのにセンターに長尺姿のままでもっていく必要があり、持っていくことは特に苦にならなかったが天候に左右されてしまい、もっていかないといけない時に出せなくなるような天候にあたってしまうことがあること。
5.返送の際も時間指定ができないため、受け取りにプラス1日かかってしまうこと。(ルートのひとは帰ってくる時間を合わせてくれるのでなんとかなった)
6.ヤマト側がルートの担当者を固定しなくなったこと。
とまあ、解決できなかったことが存在したためにここ最近は1号幕と2号幕で対応していたということです。
せっかく菅田選手のカラーが固定できたのにと思っていて、なかなか送付問題が解決できなかったために布幕で6号幕を作成したということです。
デザインは同じです。ただ、5号幕と全く同じかというとちょっと違います。
チェックのパターンのところが違います。もともと5号幕を作った時のもう一つの案のほうです。
あとは基本一緒で、布幕になったことと、5号幕より少し小さくしています。これは、大型化しすぎると長持ちしなかったことにあって、1・2号幕と3・4・5号幕とのちょうど中間のサイズです。(縦横の割合は全く同じ)
これで、送付問題は解決。もちろん5号幕も所によっては出します。
ひもを通して次への出番を待ちます。