御水尾上皇が、修学院離宮に移る前に住んだ幡枝御殿の跡
今は臨済宗妙心寺派の寺院。上皇が造った客殿前は
庭一面に杉苔が広がる中に、石が組まれた枯山水の庭。
後方に見える比叡山。樹間を通して見る眺めの良さが。
ここの景色は四季それぞれに趣がある。初夏には、
満開のつつじが。秋には生け垣の左右にカエデの紅葉。
かつてこの庭の主であった御水尾上皇が
徳川幕府の圧力により、政治の表舞台から
退かざるを得なかった上皇は、この庭を眺めて
傷心を癒したと聞きます。
円通寺の前身は、御水尾上皇が造営した山荘、
幡枝離宮。当時この山荘は上.中.下の「御茶屋」と
呼ばれる三つの部分からなっていたそうで、上皇は
幡枝離宮から望む比叡の山を最上のものとして
「都の冨士」と呼んで、こよなく愛したと言われます。
やがて修学院離宮が完成すると、幡枝離宮はかつての
乳母で、隠棲していた文英尼公に下賜された。その後、
禅寺となり、霊元天皇の勅願寺と定められたそうです。
円通寺の釣鐘
静かな気持ちの落ち着く処です。現代も人はすぐに
「切れる」たまには心を静かに禅の心をたまには持ちたい。