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mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

7/15;世界遺産~曲阜三孔③(チョッとした冒険と楽しい出会い)

2009-08-29 23:37:42 | Weblog

孔廟を出て 暫く歩いていると、少し気分が良くなってきました。
夫と17時に“曲阜駅”で待ち合わせの約束をしていましたので、それまで時間をつぶさなければなりません。

 
城壁内には このような観光馬車が走っていましたので、乗ってみようかと思いましたが、今一気が乗りません。
朝食もとっていなかったので、少々お腹もすいてきました。
何処かで美味しいものでも食べようと、お店を探しましたが 日本と違ってファミレスや普通のレストランも無く、小さなお店ばかりなので 入る勇気が出ませんでした。

    
               城壁外の町の様子です。

城壁の外へ出ると、車が多く 又、気分が悪くなってきました。
少し早いけど駅に行って、待合室で本でも読んで待っていようと思いました。

何台かのタクシーが私の様子を見て 声をかけてきます
「駅まで10元よ、安いよ!」 勿論 中国語です。
私は「不要!」(ブゥヤオ! いいです) と言いながら、「そうだ バスで行ってみよう」と決めました。

でも、バス停が何処にあるのか? 何番のバスに乗ったらいいのか? 全く分かりません。

時間はたっぷりあるので、慌てず頑張ってみようと 先ずバス停を探しました。
何人かの人が 何かを待っているようなので、きっとバス停だろうと 私もそこで待つことにしました。
 でも、行き先に「曲阜駅」と書いてあるバスは1台も来ません。

二人連れのおばさんが声をかけてくれました。
何処へ行くのかと言うので、「曲阜駅です」と答えると 「此処には停まらないよ、あっち!」と教えてくれました。
“あっちのバス停”で暫く待ちましたが やはり曲阜駅行きのバスは来ません。
今度は 私から「曲阜駅へは何番に乗りますか?」と拙い中国語で尋ねましたが、「知らない!」と冷たい返事がかえってきました。

バス停には 時刻表も 路線の説明図も何も無いのです。
日本では 至れりつくせりのサービスが当たり前のようになっていますが・・・。
諦めてタクシーに乗ろうかと思って 周りを見渡すと、道の向こう側に バスセンターがありました。  あそこで聞けば きっと分かるに違いないと思い、 横断歩道も無い広い道を渡って行きました

バスは5番、バス停は間違いなく“あっちのバス停”でした。
5番のバスなら何台も来たのに・・・。 終点は駅なのに書いていないのですよ!

何とか駅に辿り着きました。 後からやってきた夫はタクシー(12元)でした。
ちょっとした冒険でしたが 一人で目的を果たせたのには感激でした。



 定刻通りにやってきた汽車に乗り込み、席を探すとそこは軟席寝台の個室で 沢山の人たちが座っておしゃべりをしていました。
切符を見ると 間違いなく私たちの席だったので 「此処は私たちの席です」と言うと何人かの人は出て行きました。 中国では良くある事なので 又、席の無い人が勝手に座っていたのかと思いましたが、勘違いでした。
何組かの家族で遊びに行っていた人たちが集まって おしゃべりをしていたのです
 
私たちと同室のご夫婦は教師をなさっているとかで、色んな話題でとても楽しいおしゃべりに花が咲きました。(私は聞いているだけでししたが・・・)
子ども達も 初めは話しかけても黙っていましたが、段々慣れてきて 大好きな日本のアニメの話をしたり、歌をうたったり 済南に着くまで楽しい時間を過ごす事が出来ました。(子ども達担当は私でした)


明日はいよいよ“青島”です




7/15;世界遺産~曲阜三孔②(孔府・孔林)

2009-08-29 17:31:16 | Weblog

私は気分が悪く 観光を止めましたので、これは 夫が回って撮った写真と資料を原に書いたものです。

 「孔府」は、孔子の子孫の住居であり官庁を兼ねた建物。宋の時代以降、孔子の子孫には「衍聖公」の位が与えられ、その位が代々世襲されてきたことから「衍聖公府(えんせいこうふ)」とも呼ばれるようになった。
総部屋数は約480。東路、中路、西路の3路に分かれており、中路はさらに前半分の官庁と後半分の私邸に分かれている。
「後堂楼」は、孔子第77代目の子孫である孔徳成が1930年代まで住んでいた
孔府入口

孔府大門の額

子孫の住居

 

県城の北門を出てしばらくすると、孔子やその末裔の墓所・孔林へと続く「神道」がある。神道の全長は1266メートル。両側にコノテガシワが立ち並び、神道の中ほどには明代の石坊が建てられている。上部には「万古長春」の四文字が刻まれている


孔林入り口

 
 孔林の敷地は208・4ヘクタール。2400年以上にわたる孔家歴代の墓が10万あまり。文字を刻んだ石碑が4千以上。石人、石馬などの石像芸術が千近くもあり、数万本もの古木が植えられている。
孔林には、孔子をはじめ、その第78代目の子孫まで埋葬されている。その悠久の歴史や多数にのぼる墓、完璧なまでの保存形態は、一族の墓所では世界にまたとないといわれる。今でも、孔子の直系子孫が亡くなれば、孔子の墓のそばに埋葬できるのだという。

上記のように敷地が広大な為、写真のような車が客待ちをしていて観光客はこれに乗って回る人が多いようです。
夫も帰りに疲れたので、これに乗って帰ったそうです。


孔子と一族、弟子達の墓への入り口。 周りは小さな堀で囲まれている。


          孔子の墓
孔子が亡くなった翌年、時の魯の王様によりこの場所に孔子の墓が作られ、爾来2500年、孔子一族により大切に守られ、今にある。人々は今でもまだ喪に服するがごとく、黒い背広を着て、祭壇を祀り、庭を掃除している。

          子孫の墓