最近、深夜の西友で駐車の練習をよくしているのだけど(←なぜか職質されたことはない)、その時に音楽を聴くためのbluetooth対応イヤホンが欲しかったので、つい衝動買いしてしまった。
イヤホンに7000円てのは僕の感覚からすると高すぎるんだけど、なんつーか、今は「自分を変えたい」ブームが到来しちゃってるんでさ。ここにはネガティヴなことを書きつつ、一方で前向きな気持ちもあって、何とか人生の閉塞感を打開したいという意気込みは強く持っているから、あえてオレらしくない行動をとろう、みたいな。
iPhoneを買ったのも、そういう意味合いが強かった。ちょっと前までのオレだったら「何がスマホだよ。タッチパネルなんて使いづらいに決まってんだろ」となっていたはずだけど、だからこそ機種変更しなきゃと思ったし、実際に手にしてみたらもう以前の携帯には戻れないと今は感じている。危うく固定観念に縛られて損をするところだったんだよね。
ブログで言えば、この回は「自分が普段、絶対に書かない文章の形」という明確なコンセプトの元に取り組んだ。顔文字のような表面的な部分だけでなく、文章の組み立て等から徹底的にオレらしさを排除していて、短い文ながらかなり骨が折れた。そして、今までいかに手癖に任せてブログをやっていたのかも痛感した(笑)。
オレは自分の性格を、他人が気付かない部分も含めて、ある程度冷静に分析できてるつもりでも、それが逆に自らを縛っている気はする。例えば、3年くらい前、初めての女性に「すごく話しやすい」なんて言われたことがあって、その時は「社交辞令だろ?」くらいにしか思わなかったものの、もしかして自分にそんな一面があるのも事実かも知れない。実際、美人だと緊張しちゃうけど、決してそうでもなかったおかげで(笑)、割とナチュラルに話せたしね。
要するに、「自分の作った自分像」にとらわれるがゆえに、必要以上に苦しんでいるんじゃないか。オレは他人から変わり者と見られることが多いだろうし、そういう部分があることも否定はしないけど、案外、普通の子だったりするもの。平凡すぎるくらい平凡な人間だから、せめてブログ上ではキチガイをやってみたいだけでさ。でも、キチガイになりたいと思った時点で、僕はキチガイではないってことなんだよ。
今はまだイヤホンやスマホを買ったりする程度だけど、やがて自分のダメなところ、弱いところを変えれたらいいなと思ったり思わなかったりする、そんな宝塚記念前夜。