最近ぶろぐ更新が滞ってる理由のひとつにツイッターっつ~のがある。
ツイッター自体の基本的な無仕組みは面倒なので割愛しますが、
要するに140文字以内で表現できる刹那の思いは
皆ツイッターに書いて“つぶやけちゃう”わけ。
「秋の始まりは外の空気がひんやりしてて好きだが、
車内が中途半端にぬるくこもっててキライ」
とか、
「渋谷駅のホームに降り立ったオジサンが、“まだ渋谷かよ・・!”
と、何かにキレてて可愛かった」
とかね。
そうすると、その分ブログネタが減る。
てか、その程度でネタに困ってしまうほど、私の日常は
刹那な感情しかないっつ~わけだ。
浅っ!!
まぁ、拭えない悩みやストレスを毎日毎日抱えて生きるのに比べれば
全くもってシアワセな状況ではありますわな。
最近、「モノゴトの捉え方」ってことの重要性について色々考えることがある。
簡単に言うと、いかに針小棒大にならないか、
いかに自分の限界域を勝手に小さくしちゃわないか。
ま、ワカゾーの若さにモノ思うわけですよ。
10やらせようと思ってたら仕事の3つめくらいで
「俺いまチョー大変」みたいなオーラ出してへにゃへにゃ言いはじめるし、
10やってくれとをいっぺんに伝えると、平気で
「ボクそんなにたくさんのことはできません。」とのたまう。
いやいやいやいやいや・・・。
大変だなんてアッピ~ルをして「オッ!大変なんだ?大変だなんてエライなぁ~♪」
なんて根拠なく褒めてくれる上司もいなければ、
あと7つ頼みたいことがある状態でキミの3つを手伝うほどのお人よしな上司もいないんだよ。
できる・できないを択一で報告する前にまずはとっかかれっつ~のって感じですよ。
攻めて何故できないのかを具体的に言えよ。
「大変そうです」とか、感覚的・抽象的じゃなくて。
確かに自分も若い頃には腐ったりめげたりしたさ。
しかし、私は自分のキャパの限界を上司に宣言するなんてことは
死んでもしたいと思わなかったし、
仕事がうまくまわせなくて自己嫌悪に陥ったことこそあれ、
悲劇のヒロインとか被害者みたいな心境は持ち合わせなかったさ。
仕事を多く任されたら期待されてると捉え、前向きに取り組んだものさ。
まぁ、多少過去を美化してるのは否めないが。
でも真面目にこういうのって捉え方次第でハッピーにも不幸にもなる。
最近の若けぇヤツは特にネガティブ思考が強すぎる気がする。
なんか、もったいないな。
自分のチカラや能力に、勝手に限界をつけちゃうとそこで成長は終わると思う。
だからといって、器以上の存在だと思われてしまうのは色んな意味で危険さ。
雪だるま作るような感じでさ、どこまで大きくなるかな~?って気持ちで、
チャレンジな気持ちで楽しむスタンスでモノゴトには臨むべきだと思う。
万が一失敗してもさ、人を傷つけたり命にかかわることではない限りは
次回の成功への糧だと思えばいい。
妥協や加減なしに一生懸命臨んだ結果ならば、自分も周りもそれなりに納得してくれるさ。
自分のできる・できないを、デジタルに決めて欲しくはない。
常に最短・らくちんコースで規定のアウトプットを出すことが正と思う、
工場の機械みたいな思想はもって欲しくない。
ちなみにワカゾーにそういう姿勢になってもらうには、
我々先輩陣が彼等をそのようにコーチングするべきなのだと諭すヒトがいるが
私はその思想は好きではない。
コーチングして変わるコと変わらないコがいる。
私が問題視してるのは、後者の方だ。
心根として謙虚さや前向きさを持ち合わせていないコは、いつの時代も厄介者さ。
本当に不幸なことだと思う。お互いに。
結局久々に綴ったブログが、結局愚痴まみれってどないやねん(笑)。
でもなぁ、最近は比較的平穏に過ごしているワタシの、
ほぼ唯一のイライラごとですよ。。。
まぁ、ワカゾーワカゾーと書きましたが、
チャレンジングで前向きなワカゾーももちろんいるけどね。
そういうコを見ると、私はとっても嬉しくなります。
・・ツイッターでは、こういうグルグルしたややこしい想いは表現できないわけさ。
ツイッター自体の基本的な無仕組みは面倒なので割愛しますが、
要するに140文字以内で表現できる刹那の思いは
皆ツイッターに書いて“つぶやけちゃう”わけ。
「秋の始まりは外の空気がひんやりしてて好きだが、
車内が中途半端にぬるくこもっててキライ」
とか、
「渋谷駅のホームに降り立ったオジサンが、“まだ渋谷かよ・・!”
と、何かにキレてて可愛かった」
とかね。
そうすると、その分ブログネタが減る。
てか、その程度でネタに困ってしまうほど、私の日常は
刹那な感情しかないっつ~わけだ。
浅っ!!
まぁ、拭えない悩みやストレスを毎日毎日抱えて生きるのに比べれば
全くもってシアワセな状況ではありますわな。
最近、「モノゴトの捉え方」ってことの重要性について色々考えることがある。
簡単に言うと、いかに針小棒大にならないか、
いかに自分の限界域を勝手に小さくしちゃわないか。
ま、ワカゾーの若さにモノ思うわけですよ。
10やらせようと思ってたら仕事の3つめくらいで
「俺いまチョー大変」みたいなオーラ出してへにゃへにゃ言いはじめるし、
10やってくれとをいっぺんに伝えると、平気で
「ボクそんなにたくさんのことはできません。」とのたまう。
いやいやいやいやいや・・・。
大変だなんてアッピ~ルをして「オッ!大変なんだ?大変だなんてエライなぁ~♪」
なんて根拠なく褒めてくれる上司もいなければ、
あと7つ頼みたいことがある状態でキミの3つを手伝うほどのお人よしな上司もいないんだよ。
できる・できないを択一で報告する前にまずはとっかかれっつ~のって感じですよ。
攻めて何故できないのかを具体的に言えよ。
「大変そうです」とか、感覚的・抽象的じゃなくて。
確かに自分も若い頃には腐ったりめげたりしたさ。
しかし、私は自分のキャパの限界を上司に宣言するなんてことは
死んでもしたいと思わなかったし、
仕事がうまくまわせなくて自己嫌悪に陥ったことこそあれ、
悲劇のヒロインとか被害者みたいな心境は持ち合わせなかったさ。
仕事を多く任されたら期待されてると捉え、前向きに取り組んだものさ。
まぁ、多少過去を美化してるのは否めないが。
でも真面目にこういうのって捉え方次第でハッピーにも不幸にもなる。
最近の若けぇヤツは特にネガティブ思考が強すぎる気がする。
なんか、もったいないな。
自分のチカラや能力に、勝手に限界をつけちゃうとそこで成長は終わると思う。
だからといって、器以上の存在だと思われてしまうのは色んな意味で危険さ。
雪だるま作るような感じでさ、どこまで大きくなるかな~?って気持ちで、
チャレンジな気持ちで楽しむスタンスでモノゴトには臨むべきだと思う。
万が一失敗してもさ、人を傷つけたり命にかかわることではない限りは
次回の成功への糧だと思えばいい。
妥協や加減なしに一生懸命臨んだ結果ならば、自分も周りもそれなりに納得してくれるさ。
自分のできる・できないを、デジタルに決めて欲しくはない。
常に最短・らくちんコースで規定のアウトプットを出すことが正と思う、
工場の機械みたいな思想はもって欲しくない。
ちなみにワカゾーにそういう姿勢になってもらうには、
我々先輩陣が彼等をそのようにコーチングするべきなのだと諭すヒトがいるが
私はその思想は好きではない。
コーチングして変わるコと変わらないコがいる。
私が問題視してるのは、後者の方だ。
心根として謙虚さや前向きさを持ち合わせていないコは、いつの時代も厄介者さ。
本当に不幸なことだと思う。お互いに。
結局久々に綴ったブログが、結局愚痴まみれってどないやねん(笑)。
でもなぁ、最近は比較的平穏に過ごしているワタシの、
ほぼ唯一のイライラごとですよ。。。
まぁ、ワカゾーワカゾーと書きましたが、
チャレンジングで前向きなワカゾーももちろんいるけどね。
そういうコを見ると、私はとっても嬉しくなります。
・・ツイッターでは、こういうグルグルしたややこしい想いは表現できないわけさ。