雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

認定トライ ・ 小さな小さな物語 ( 241 )

2011-07-20 15:00:24 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
冬のスポーツ花盛りといった季節です。
駅伝にマラソン、ラグビーにサッカーにアメフト、スキーにスケート、楽しみなスポーツが盛り沢山です。
残念ながら、私はどれもテレビで観戦するだけのファンなのですが、いずれも迫力があるものばかりです。


ところで、ラグビーに「認定トライ」というルールがあるのをご存知ですか。この競技に興味のない方に説明するのは難しいのですが、守備側にその反則がなければ当然トライ出来たと思われる場合、主審の判断でトライが成立したものとして、『認定トライ』が宣せられ、しかもその反則場所に関わらず、攻撃側の最も有利なゴールポスト下にトライされたものとされるルールなのです。
故意の反則を防止するために考え出されたルールですが、激しいぶつかり合いがある競技ですから、反則か否かの微妙な場面も少なくありません。単に攻撃権が相手に渡るのではなく得点に直結しているわけですから、主審の冷静で公正な判断がこのルール運用上の絶対条件となります。


サッカーには、これと同じようなルールはありません。ペナルティーキックが与えられる場合などは若干類似していますが、根本的には別のものだと思われます。
現に、サッカーでも、これと同じように『認定ゴール』というルールの設定が検討されているようです。
確かに、明らかにゴールが決まったと思われた時、守備側のキーパー以外の選手が手でボールをはじき出すシーンは時々見ることがあります。たまたまではなく、明らかに手を使ってゴールを防いでいることがあるのです。それも、町内会の試合ならともかく、国際大会で活躍しているような選手が、実際に行っているのです。
私は、サッカーにも『認定ゴール』というルールを設置すべきだというのに賛成なのですが、どうでしょうか。


スポーツの場合には、『認定トライ』を宣告する審判を、絶対的な権限者として認め合うことから競技が成り立っています。
しかし、これが、社会生活となれば、なかなか難しくなってきます。
わが国の裁判制度においては、「疑わしきは罰せず」というのが基本原理となっています。「疑わしい証拠や証言は、被告人の有利に」という考え方です。
わが国に限らないことですが、法の裁きというものは、時の権力者に歪められることが多く、無実の罪に泣く弱者が少なくなかったことを踏まえて考えだされた、人類の知恵だと思うのです。
しかし、法治国家だと考えられている現在のわが国においても、依然、権力者と言われる人々や、それにつながる人々が、見事なまでの知恵や手段を使って合法的とされている事実は少なくないように思われてなりません。
「疑わしきは罰せず」という原則を踏みにじるようなことがあっては絶対にいけませんが、明らかな犯罪人を合法としてしまう何らかの力に対して、水戸の黄門さんが印籠をかざすように、『認定トライ』を宣言してくれるような制度は作れないものでしょうか。

( 2011.01.15 )

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