一燈照隅

日本が好きな日本人です

批判のための批判。

2008年11月18日 | Weblog
もし大雑把な言ひ方が許されるなら、どの国も、どの民族も自分が生きてゆくためにすべて必死だった―さう言つていいと思ふのです。
特に日本はその間にあって、実に苦しい戦ひを戦ひぬいて生きてきた。東洋の民族が次々に植民地化されてゆく中にあって、日本だけは見事に独立を守りぬいた。最後は遂に悲惨な敗戦に終ったけれども、その間の私たちの父祖の足跡は、後世の史家に特筆されるべき栄光に満ちてゐたのです。
日の丸を忌はしい戦争を思ひ出させるといって日教組の人々は否定しようとしますが、むしろ日の丸は日本にとってだけではなく、東洋の民族全体にとっても西洋の侵略を防ぎとどめることが出来た、栄光のシンボルであったといってもいいのです。

しかし今の世の常識は過去の日本に限り、これを徹底的に責めて責めて、責めぬくのです。そしてこのやうな「国際情勢を生きぬいてきた日本」といふ視点をことさらに無視して、日本が戦争をしかけることさへなかつたら戦争もおこらず万事うまく事が運んだやうにいふのです。そしてすべてを軍国主義のせゐにしてしまふのです。
このやうな粗雑な、感情的な歴史に対する接し方では歴史は全くわからないといはなければなりません。しかも彼らがここで口にする軍国主義といふのは一体何をさすのか。人々は軍部によつて政治が勝手に動かされた過去の日本を軍国主義と呼んでゐるやうです。
たしかに軍部の独断と専権はあつた。しかしその場合でも、軍部は明確な一つのイズムとそれに見合ふ意志があって動いたのではなく、むしろ軍部内の意見の不統一が国家全体に統一を失はしめ、混迷の度を深めて行つたといふのが事実ではなかったか。
一体それをしも「軍国主義」と呼ぶことが出来るかどうか、いづれにせよ実体がまことに曖昧な「軍国主義」といふものにすべての責を負はせて過去を裁く、それでは歴史は全くわからなくなるのです。

くりかへし申し上げますが、私は過去の日本は過つてゐたといふ常識に対して、単にさうではない、正しかつたのだといつてゐるのではないのです。
私たちは間違ってゐたとか正しかつたといふやうな判断以前の、もつと厳粛な、近代日本に与へられた苛酷な運命そのものを直視しなければならない。そしていたづらに罪悪感にとらはれることなく、正確に歴史をかへりみなければならない、さうして日本民族としての活力を蘇らせなければいけない。私は痛切にさう思ふのです。
教室から消えた「物を見る目」、「歴史を見る目」 小柳陽太郎著


田母神論文を批判する人達に共通しているのは、「捏造」「いい加減」など内容に対して、ここはどうなのかとは言えない点で共通しています。
秦郁彦氏は「都合の良いところを抜き取っている」と言うが、殆どの作家や研究者はそうではないか。
田母神氏はこういう説があると書いています。
田母神発言を批判する勢力は、内容が広まっては困るので文民統制など理由を付けて押さえ込もうとしているのでしょう。
選挙前なので同じ事を麻生首相はしました。
この事と支持率の低下は関係していないとは言えないでしょう。