一燈照隅

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寛仁親王殿下の薨去を悼みます。

2012年06月06日 | 皇室
寛仁さまご逝去=66歳、都内の病院で-福祉やスポーツ、現場で活躍

 昭和天皇の末弟の三笠宮さま(96)の長男で、「ひげの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。葬儀は文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、宮内庁は日取りや形式について検討を始めた。寛仁さまは、天皇陛下のいとこに当たり、皇位継承順位は6位だった。
 寛仁さまは昨年12月、顎の右下部にがんが見つかり、同病院に入院。今年1月10日、切除手術を受けた。その後、食べ物が通りにくくなる通過障害が生じ、3月2日に喉頭の軟骨を切除した。今月1日、口や鼻から出血。宮内庁は5日深夜、腎臓や肺、肝臓の機能、意識状態が低下し、輸血や投薬などの治療を受けていると発表した。
 1991年に食道がんの手術を受けて以降、がん関連の手術は16回に上っていた。
 公務では、福祉やスポーツ、青少年育成、国際親善に活躍し、特にスキー指導などを通した身体障害者の福祉に力を注いだ。皇族としては型破りで、ラジオのディスクジョッキーや雑誌などで皇族論をはじめユニークな考えを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言したこともあった。2008年に喉頭をふさぐ手術の結果、自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使って公務を行っていた。 
 80年11月、故麻生太賀吉氏の三女で麻生太郎元首相の妹、信子さまと結婚。長女彬子(あきこ)さまと次女瑶子さまの2人のお子さまがいる。
 皇位継承権を持つ男性皇族の逝去は02年11月の高円宮さま以来。(2012/06/06-18:26)


最近の寛仁親王殿下の姿を拝見すると痛々しく感じていました。
16回もの手術。
ゆっくりと休まれていただきたいと思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。



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