一燈照隅

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利と義

2008年10月07日 | 朝聞暮改
利に放って行えば怨み多し。〔里仁第四〕
放於利而行、多怨。

今日も同じこと。みな利を追って暮らしておるが、利を求めてかえって利を失い、利によって誤られて、際限なく怨みをつくっておる。それは「利とは何ぞや」ということを知らぬからである、「利の本は義である」ということを知らぬからである。
(註)『春秋左氏伝』昭公の条に「義は利の本なり」とあり、同裏公の条に「利は義の和なり」
とある。
したがって本当に利を得んとすれば、「いかにすることが義か」という根本に立ち返らなければならない。これは千古易わらぬ事実であり、法則である。そこで人間は与えられておるところの精神というものを大いに活用して、行為・行動に精を出さなければいけない。



「利」と「義」について
利というものは各人自己に都合のよいことでありますから、どうしても他とどこかで衝突するわけです。否、自分自身の場合でもやがて矛盾が起こる。すべて自然は自律的統一体で、各己が他己と相関連し、そのまま全体に奉仕するようにできておるものですから、自己のわがままを許しません。利はちっとも利にならないのです。

世にいう資本主義的弊害というものは、あらゆる価値の標準を利己的、享楽的な金融的成功とでもいうべきものに置いたことであります。そのために、富める者よりもむしろ貧しい者に物質主義・利己主義を育てました。利一点ばりの考え方を育てたものです。資本家階級の考えること、することは、できるなら自分もやりたい。少なくとも心ひそかに真似たい生活として、貧しい者から羨望されたわけであります。かくして彼らの思想もほとんどまったく物質的になりました。彼らはより多い利潤の配分を要求しましたが、それはより善い生活のため、より道徳的な生活のためではなくて、実はより享楽的な生活のためでありました。そのうえ、労働階級のもっとも不幸な分子の絶望的ともいうべぎ貧困は、実は決して不可能ではありませんが、まずもって、およそ精神的な事柄の意味や価値を信ずることを困難にしました。

そこで、資本主義の実際の結果は、社会のあらゆる階級の人々に単なる経済的・物質的生活、すなわち利の生活、利ばかりを求める考え方を養ってしまったのであります。それがだんだん悪質な無秩序と革命とを養成したと申すことができましょう。(中略)

経済と道徳、利と義というものが両立しないもののように考えるのは、もはや笑うべぎ愚見であります。いかなる物質的生活問題も、すぐれた精神、美しい感情、たのもしい信用などにまたなければ、本当の幸福にはなれません。経済の安定、まことの成長というものになりません。

技術の発達に伴う経済的国際化が各国民の差別をなくすように思う人がございますが、これも浅はかであります。それは国民の特質をなくすことではなくて、国際的進歩に和して、いかにますますその国民の特質を発揮するかということが大切であります。機械的・物質的経済をもって、国民の将来を決定するなどと考えてはなりません。国民の将来を決定する真の力は、常にその国民の精神的・人格的努力であります。心ある人々は、どうしてもこの「義に喩(さと)る」ということが大事であります。利ということばかりを考えておってはついに利になりません。利によって行えば、まさに自他共に怨が多い。(中略)

どうも、そう言いながら、そう知りながら、人間始終悩まされておるのは経済であります。

そして、この経済ということになりますと、わかっておるはずの人でも、不思議なほど利己的であり、排他的・競争的になりやすい。道徳などといっておっては、義などと言っておっては経済にならぬ、利にならぬ。礼節などは衣食足って後の話だ。飯が食えなくては何の教養も文化もあるか。―言わず語らず決めこんでおるのが、常人の心理であります。政策にしても、まず予算の分捕り合い。予算がないというと、大切な政策も軽く排除されがちであります。それほど経済優先主義で、誰もが富裕なのかというと、いつになっても人間は貧乏を嘆かぬことがありません。
それは経済というものも人生の重要部門でありますが、決して孤立的に行われるものではなくて、経済を左右するものは案外道徳・義であるというような理法に対して非常に無知なためであります。

先ほども申しましたように、あらゆる物質的生活問題も、それを有効適切に解決するのには、深い精神的・感情的要素がなければなりません。経済をもって人間の将来を決定する要件だという考えを持つものは、その経済を決定するものは、精神的・道徳的努力であるということをさとるのが、もっとも大切なことであります。(「論語の活学」安岡正篤 プレジデント社)


最近の金融危機も、本を正せば利の追求だけに走った事により起こったと言えます。
食品偽装なども同じです。
結局、自分さえ儲ければいい、他人がどうなろうが関係ない。
景気の回復には精神の回復が無ければ本当に回復することは不可能でしょう。


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1 コメント

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Unknown (豊後んし)
2008-10-09 21:00:40
素晴らしいエントリありがとうございます。
恥ずかしながら胸に沁みてしまいました。
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