一燈照隅

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慰安婦問題で再調査を提言

2007年03月08日 | Weblog
自民議連、慰安婦問題で再調査を提言

 自民党の有志議員で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は8日午前、党本部で会合を開き、慰安婦問題について、(1)再度の実態調査と結果の公開(2)現在、米下院に提出されている対日非難決議案の採択防止を含めた、正確な理解を広める外交努力-を政府に求める提言を取りまとめた。近日中に首相官邸を訪れ、同会員約130人の署名を添えて安倍晋三首相に提出する。

 提言は、決議案を「客観的史実に基づかない一方的な認識」と批判した上で、「(決議案などの)誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている」と間接的に河野談話の修正を求めている。

 同会では昨年12月以降、有識者を招くなどして河野談話の修正について検討してきたが、「実態調査をした上で問題があれば当然、直してもらいたいが、それは政府の仕事だ」(中山氏)として、再調査を重視することとした。

 米下院決議案は「若い女性を帝国軍隊が強制的に性奴隷化」などと軍による強制連行を前提に、日本政府に謝罪を要求。安倍首相は5日の参院予算委員会で河野談話の「継承」を改めて表明する一方、「官憲による強制的連行があったと証明する証言はない。米下院の決議案は事実誤認がある」と反論している。

(2007/03/08 12:56)


「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が河野談話の修正を求めるようです。
本来なら、河野氏が修正発言するのが一番だが、それは期待できないだろう。そうなると新たな官房長官談話になるが、塩崎官房長官の発言を聞いていると河野談話を修正する気が全くないように見える。
安倍総理と考え方が違うのだろうか、それとも安倍総理も同じ考えなのだろうか。
おそらく意思の疎通が欠けているのではないだろうか。
加藤駐米大使の発言が変わったように見えるし。

慰安婦はなにも朝鮮人だけでなく、多くの日本人女性も居たことを忘れています。
これらの女性には保証をしないのでしょうか。と言っても自分から慰安婦だったと言う日本人女性は出てこないでしょう。

この慰安婦について韓国人の呉善花氏が平成13年に書いた「反日韓国に未来はない」の中で韓国人として考えを述べています。

■「従軍慰安婦」問題の本質

その最大の「手柄」はなんといっても、日本の左翼が考え出して韓国の活動家たちを焚きつけ、見事成功を収めた一従軍慰安婦」問題です。この問題はそれこそ徹底した「きれいごと主義」のたまものといってよいでしょう。
「従軍慰安婦」問題とは何かといえば、まず貧困アジアの農村問題であり、戦場という異常空問のなかでの男の性の間題です。これが第一義の問題であるにもかかわらず、そこを論じることなしに、彼女たちを帝国主義的侵略戦争の犠牲者と断じて、彼らの日本軍国主義批判の単なる道具にしてしまいました。前の章でも述べましたように、このやり方は彼らの常套手段で、彼らは常にその道具を探しているのです。
彼らは、自分が貧困アジアの農村の母親だったとしたら、父親だったとしたら、娘だったとしたら、いったいどうしただろうか、どうするだろうかということへ思いをいたすことはありません。また自分が、戦場という殺伐とした異常空間で、いつ死ぬとも知れぬ恐怖を抱えながら日々を送る一人の男だったとしたら、どんな行動に出ただろうかということへも思いをいたそうとはしません。
家族が食べるために娘を売った親たち、また家族を食べさせるためにしかたなく自ら春をひさいだ娘たちは、貧困アジアの農村には古くからたくさんいて、いまなおアジア各地にいることはみなよく知られていることです。少なくとも、こうした状況がなかったら、あれほど大量な「従軍慰安婦集団」などありようもなかったはずです。
そうした貧困アジアの実情を無視して「従軍慰安婦」を単なる軍国主義の犠牲者だとするためには、軍が強制力をもって強引に連行して「従軍慰安婦」にしたというストーリーがどうしても必要となるのです。
軍が関与していたかいなかったかという議論は、きわめてばかげています。
関与したに決まっているわけです。それは一九九三年に河野洋平官房長官がいったような意味からではありません。軍が必要とするからあちこちに陰に陽に要請したわけであって、間接的にせよ軍の働きかけがあったことは当然だということです。
問題は植民地で統治者が何をしたのかと同じことで、ようするに無法な暴力的な手段をもって略奪するように連行したのかどうかということだけです。
もちろん、いい仕事があるからと誘われていったところ、そこが慰安所だったということはいくらだってあったと思います。そういうことは、慰安婦問題に限らず、いまだってあり得ることです。
軍隊が慰安婦を必要としたのは、単純に兵士たちの性のはけ口がなくては困ることがたくさんあったからです。慰安婦がいなければ占領地の女を強姦しかねないのが、戦場の男たちというものです。それは満州に攻め込んだソ連兵しかり、朝鮮戦争時に軍事境界線地域の村落に駐留したアメリカ兵しかり、ベトナムに進出したアメリカ兵や韓国兵しかりであって、きれいごとですむものではありません。
積極的・消極的を問わず、貧困アジアの農村の家では、多くの娘がその身を売るしかない境遇にあったのです。もし本当に元「従軍慰安婦」やその親たちの話が聞けるならば、きっと「娘を売った」「親のために自ら身を売った」と証言する人たちが少なくないはずです。
本当の問題はそこにあるのに、つまり歴史的なアジアの為政者たちが農村を常に貧困状態に置き続けてきた伝統と現在に問題があるのに、そこをいっさい見ようとしないで、その責任をすべて日本軍国主義に転嫁するという「きれいごと主義」に、「従軍慰安婦」問題を追及する活動を展開しているすべての人たちが陥っています。いや、そこに同情を寄せて「性奴隷」などという言葉をもてあそんでいる善意の先進国市民たちも同じことです。
すでに述べましたように、私は韓国で生まれて二六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。また、私が『生活者の日本統治時代』でインタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、そのような光景を見たことも聞いたこともないといっています。
にもかかわらず、最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。
日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」というようにエスカレートしていったことは明らかです。
こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身隊(女性の徴用者たち)と意図的に混同させられ、大量の女たちが「従軍慰安婦」にさせられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、それがあたかも真実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。
韓国には、いまだにガラス張りの部屋のなかから道を行く男たちに声をかける「売春窟」があります。もちろん違法ですが、堂々と営業しています。そして、そこにはたくさんの少女たちが売春婦として働いています。私が調べた九〇年前後は、その多くが親に売られたり、離婚して実家に帰れず身を落としたり、誘拐されたりした女たちでした。いまでもそうした状態がなくなってはいません。
ここにも、自らを棚に上げての「きれいごと」の他者批判があります。
韓国はこの「従軍慰安婦」問題を日本の歴史教科書に明記することを要求しています。私もぜひ載せてもらいたいと思うのですが、もちろんそれはいまいいましたように、貧困アジアの農村と戦場での男たちの性という根本的な問題として、です。この点の議論のなさに触れるたびに、私は先進国市民の善意に憤りを感じます。