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老子「第二章」道徳経

2012-12-25 17:25:51 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する
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・老子「第一章「道徳経と伊勢白山道」道経 
第二章*老子を英訳http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi01.html 
・原文 「書き下し文
天下皆知美之爲美。斯惡已。 「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。 
皆知善之爲善。斯不善已。 「みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。 「 故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。

是以聖人、處無爲之事、行不言之教。 「ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。
萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。 「万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。
夫唯弗居、是以不去。 「夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。

・現代語訳
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。
同様に善い事を善いと思うが、これは善くない事なのだ。

何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。

だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。

この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成してもそれに頼らず、成功してもそこに留まらない。
そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが離れる事は無いのだ。


英訳文
Everyone recognizes the beauty as the beauty. But this is an ugly thing. Everyone recognizes the good as the good. But this is a bad thing. Because being and not being, difficult and easy, long and short, high and low, these are relative concepts. Sounds and voices harmonize each other. The front and the back exist each other. So the saint who knows "the way" does not distinguish them and practices teachings that cannot be told. He does not explain all things of the world, does not possess things that he made, does not rely on things that he achieved, and does not stay in his success. All of them follow him because he is never attached to them.


*比較心の上での認識は間違いである 
2012-08-25 伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120825
老子の言葉 第二章
(独自の超訳)
世の人々は全員が、美しいものは美しいと認識している“つもり”だが、これは正しくは無いのです。
世の全員が、善は良いものだと思っているが、これも正しくは無いのです。
その理由は、善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、
・・・・このように全てを「他人と比較する」心から人は認識しているからです。
これが正しいことなのでしょうか?
犠牲者が居るような人の認識は、本当に正しい気持ちなのでしょうか?
そうではなくて、全てがお互いに調和して存在することを知って初めて、人は正しく物事を認識することが出来るのです。

だから真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別をせずに、無言のままで自分の生活態度により正しいことを実行して人々に見せます。
聖人は、名声や評価を求めずに、善いことをしても見返りを求めません。その必要が無いのです。
なぜならば、他人も含めて、コノ世のすべての物事が聖人の「持ち物」であることを知っているからです。
原文
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。」
(感想)
第二章では、老子が珍しくも御自身のことを説明しています。
しかし、この原文から老子の言いたい真理に気付く人が、どれほどいるのかが疑問です。それほど超高度なことを老子は言っています。

人間が自分は知っていると思い込んでいる程度などは、すべてが弱者との比較から成り立っているのです。
人間は比較することでしか、物事の認識が出来ない程度だと示唆しています。
そうでは無くて、すべてが善も悪も、敵も味方も一体であることを知らなければ生けません。

老子は、コノ世の全てが自分自身の持ち物だから、名声も・金も・見返りも不要だと言っています。自分で自分をホメること(=他人からホメられること)は不要であり、良いことも悪いことも、すべてが自分自身に対してすることに成る真理を知っているのです。
これは、すべてを支配する王様という独裁者の意味などではなく、究極の下からの視点なのです。
コノ世の全てを持つと言うこと=何も持たない、ことに成るのです。これは想像してみれば分かります。
これは、老子だけに言えるのではなく、私たち全員も同じ法則の下(もと)で生きています。


つまり、老子の視点とは、とてつもなく巨大なのです。
まるで宇宙から、無数の星の中の1つである地球を見ているかのような気持ちです。
私たちも小さい視点で生活をしていますと、社会生活で嫌なことばかりを感じてしまいます。
しかし、広い宇宙から地球をながめるような気持ちで生活をしますと、細かいことに執着して悩むことを止めて行きます。
他人も自分自身であるという、愛情のカタマリに成って人類が生き出せば、コノ世は素晴らしい世界へと直ぐに変わるでしょう。

こんな大きな視点を持てなくても、自分の周囲に居る人間を自分だと思って生活するだけでも、幸運がやって来ます。
そのような法則なのですから、仕方がないでしょう。これに気付けるまで、人間は苦しいものなのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


*全体で1つだった、が分かるまで苦悩は続く 2017-07-28 老子の人生論
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170728
参考記事:老子の言葉 第二章「比較心の上での認識は間違いである」

「老子の人生論」第二章

* 善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、健康と病気、白と黒などなど。

このように全てを「比較する気持ち」から人は、物事や他人を見て認識しています。

はたして、これが正しい認識なのでしょうか?

陰と陽は、2つで1つなのです。(老子思想の中心)
比較でする認識は間違いです。お互いにセットで全体で1つであり、これに気付いて初めて人は正しく物事を認識することが出来ます。

真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別と認識をせずに、

無言のままで自分の生活態度により、正しいことを実行して人々に見せます。

つまり、比較により自分が判断する側では無くて、自分が正しい「行動を見せる側」に「徹するのです」。

(感想)
老子が人類に対して、
* 「脳が認識するパターンが、比較情報を基本としている間はダメなんだ。真理・真相を観ることは無理だ」
と仰っています。

例えば、小学校の1つの教室を見てみましょう。
教室の中には、男子と女子、悪ガキ、いじめられっ子、病気の子、活発な子、静かに読書する子、色々な生徒たちがいます。

もし宇宙人に対して、小学校とは何か?を説明するとすれば、どう書くのでしょうか?
・ 正解(真理)は、小学校の「全体」を説明する内容を書くことです。

でも人類の視点は
・ 細かい「その中身の違いと比較」をひたすら見ようとする。
・ 更には、ソレにより喜怒哀楽をひたすら繰り返す
・ 小学校全体を見ることを忘れてしまう。

このようなことが言えます。
人類は、陰だけを見て悲観するか、または陽だけを見て欲しがります。
でも真理の真相は、陰陽2つセットが離すことが出来ない実体だったのです。

今の自分の環境は、陰だけしか見えない。
隣人を見れば、陽ばかり集まっている。
片方だけを見れば、苦しいという認識が継続します。

でも、両方で1セットだから、それでも楽しい。
幸福な人が存在するのを見れば、自分も楽しい。

・・・・でも若い内は、「そんなこと出来るかい!! アホか〜」
「平等で無いのはオカシイ!」
と成るのが今の人類です。
これでは、闘争が止むことはありません。

でも、清貧な老人は、元気なよその子供たちを見るだけでも嬉しそうにします。
なぜでしょうか?
ここに真理の断片が在ります。

「そんなこと出来るかい!!」と思っていた人々も、色々な人生経験をして行きますと、変わって行くものです。
「あの人も丸く成った」と言われます。
なぜでしょうか?
真理は、低い闘争の視点では観えず、高い心境では受信状況が良いテレビのように見えだします。

更にこの項で老子は、
* 会社でも、家庭でも、他人の仕事や行動の粗ばかりが気になる間は、自分自身がダメなんだ。
* 自分が、「正しい行動を見せて行く」ということに没頭が出来るように成ることが最大事だ。
とも示唆しています。

・ 他人と比較する前に、自分の行動に重きを置いて暮らしたいものです。

人間は、自分の思考の判断の基準が、ただの比較心から起こっていないか?
に注意し、
常に全体で1つ、という視点から生活をしたいものです。
ここに人生の答えが在りそうです。

生かして頂いて 有り難う御座います


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