ミロク文明

新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
ミロクの世 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅は・波・∞無限大∞

老子「第二十九章」道徳経

2020-12-04 23:01:54 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
「道」を知った聖人は極端な事を避け、贅沢を避け、傲慢な心を避けるのだ
     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
    
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十九章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html

・原文 「書き下し文
將欲取天下而爲之、吾見其不得已。「将(まさ)に天下を取らんと欲してこれを為(な)すは、吾れその得ざるを見るのみ。  
天下神器、不可爲也、不可執也。「天下は神器、為すべからず、執(と)るべからず。  
爲者敗之、執者失之。「為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。  

凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。「凡(およ)そ物、或(ある)いは行き或いは随(したが)い、或いは歔(きょ)し或いは吹(ふ)き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは培い或いは隳(こぼ)つ。  

是以聖人去甚、去奢、去泰。「ここを以(も)って聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。  

現代語訳
世界を我が物にしようと人々は争っているが、私には無駄な努力をしている様にしか見えない。
世界とは人間の力の及ばぬものであって、人間が世界をどうにかしたり、また自分の物にしたりは出来ないものだ。

人間が世界をどうにかしようとすれば却って世界を駄目にしてしまうし、たとえ自分の物にしたとしてもすぐに逃げてしまうものだ。
この世の仕組みというのは、誰かが先に進めば誰かが後からついて行き、誰かがゆっくりしていれば誰かが急ぎ、誰かが強ければ誰かが弱く、誰かが作れば誰かが壊す。

だからこそ「道」を知った聖人は極端な事を避け、贅沢を避け、傲慢な心を避けるのだ。


英訳文
People are competing with one another to get the world.I think they are wasting their efforts. The world is not human's. You can not do anything to the world or get it. If you do something to the world, you will spoil it. If you got the world, you will lose it very soon. In this world, someone goes ahead and someone follows him. Someone stays calm and someone makes haste. Someone is strong and someone is weak. Someone makes something and someone breaks it. So the saint who knows "the way" avoids extremes, luxury and arrogance.  


*かたよらない自然な中間が大切  2012-10-20 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121020

老子の言葉 第二十九章
(独自の超訳) 
まさに人間は、天下を取ろうと欲張って頑張りますが、私は人間が天下を取ったのを見たことがありません。
天下や社会とは、神様の意志を受ける容器であって、これに対して人間が何かを為そうとしたり、支配しようとしても、そうは成らないのです。
天下に何かを為そうとする者は必ず失敗し、天下を取ろうとする者は大きなモノを必ず失います。

この世の物事というものは、誰かが天下を取ろうとすれば、同様に他者も天下を取ろうと現れます。
物事には、弱い勢いの時もあれば、強い勢いの時もあります。
強いモノもあれば、弱いモノもあります。
育てる者も居れば、それを壊す者もいます。
このような様々な状態が混ざることが自然であり、これを人間が統一することなど不可能なのです。

だからこそ聖人は、やりすぎる事を避け、おごり慢心することを捨て去り、なまけることをしません。

原文 
「將欲取天下而爲之、吾見其不得已。天下神器、不可爲也、不可執也。
爲者敗之、執者失之。凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。
是以聖人去甚、去奢、去泰。」 


(感想) 
人間とは、自分が天下を取ったと思った瞬間から、次の崩壊が始まっているのでしょう
過去の歴史を見ましても言えることであり、国や企業や個人の栄枯盛衰を見ましてもしかりです。
しかし、これを避ける、良い状態を継続させる方法が、ただ1つだけ存在します。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスの場合は、人間の行為や感情を調整する美徳として、メソテース(中間にあること)を言いました。
人間は、「中間であること」を意識することが、自分自身を最善に誘導するという考え方です。

フランスの科学者・思想家であるパスカルも、人間は「中間を意識すること」が最善な存在だと示唆しています。
心と肉体を持つ人間というモノを分析し尽くした結果、人間はすべての意味において、「中間という状態」が最善であり最も安定的だとしました。

さらに古くは、釈尊がズバリと「中道」(ちゅうどう)、つまりどんな物事にも偏らない・執着しないことを歩む生活が、悟りに至る人間の必須条件だとしました。
日本の神道でも「中今」(なかいま)と言い、今のこの瞬間・瞬間こそが過去・未来を集約した中心点であり、すべてが集約している「最中」だとしました。これにも生活の中の「中間」を意識することが含まれています。

儒教では、孔子の孫である子思(しし)が「中庸」(ちゅうよう)として、「過不足なく偏りのない徳」を意識して生活することを言いました。
このように、古代から世界中の色んな賢者・聖人が、「何事にもほどほどの中間」を意識することの大切さを示唆しています。

しかし、この章で老子は、もっと大きな自由な「中間」を言っています。
「中間を意識する縛りも不要だ。そんなことを一々考えて生活することも愚かな中間だ。
それよりも物事を支配しようとするな。何かを持とうと悩むな。
幸福も不幸も、その来る自然な“流れ”を楽しめ。
そう成れるためには、
やりすぎる事を避け、おごり慢心することを捨て去り、何事にもなまけることをしないことだ」
このように老子の気持ちを感じます。

つまり人間は、中間・中立の状態が大切なのは間違いではないが、自分は天下を取ったと「区切り」を意識したり、中間で居ようなどと思った瞬間から、既にそうでは無いのです。
自然な流れの最中に、自然に中間で居ることが大切なのです。
人間は、何かの最中に居続ける限り、成長をします。

かつて日本は、総中流家庭だと国民が思えた国です。
大半の家庭が、普通の生活は出来ていると思えたのです。
これこそは今の地球世界を見ましても、東方に出現した歴史的にも奇跡の国家だったのかも知れません。
金の有無だけでは無く、思想的にも権利としても人間の身分としても、国民が総「中流」だと思えたことは、本当に有り難いことなのです。
このような日本が継続することを希望します。

生かして頂いて ありがとう御座位ます 


他人に注意する時は、先ず自分自身が節制する気持ちから  2018-02-19 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180219
参考記事:老子の言葉 第二十九章「かたよらない自然な中間が大切」

「老子の人生論 」第二十九章

社会を(他人を)、意のままに操ろうとしてもムダだ。
社会(人間)とは、神聖なルツボ(高熱を利用して物質の溶融・合成を行う耐熱容器)だ。

社会に新しい事を強要しても、結局は変わることは無く、更に強く強要すれば壊れるのが社会(人間)だ。
意のままに操ろうとすること、強要することとは、その対象を最終的には失ってしまう

そこでだ。社会の人々とは、
・ 何でも自分で決めて行く人や、
・ 他人や、大勢に、後ろから黙って付いて行くタイプの人。
・ 穏やかな人物と、非常にせっかちな人。
・ 健康な人も居れば、病弱な人も居る。
・ 自分で養生や節制をする人も居れば、自暴自棄な行動をする人も居る。

だから聖人ならば、社会や他人を指導する場合は、
・ 極端なことは強要しない。
・ 自他が贅沢なことだけをしないように注意をする。
・ 上から目線の事を言わない。

(感想)

現代社会ならば、親子関係にこそ言えそうな内容です。
社会を「自分の子供」と置き換えましても、通じる御話です。
老子の表現を、表面だけを読んで勘違いに注意するべきことは、
・ 結局は、何もしないのが、良いのか?
・ 何をしても、ムダなのか?

という、間違った運命論に受け取る人もいます。
決して、そうでは無いです。
まず、対象の本質を知っておきなさいということです

社会も、人間も、上記のような色々なパターンが存在します。
・ 色々なパターンの存在を認識した上で言う注意と、
・ 全体を知らずに、その相手の、ある1点、だけを見て言う注意は、
まったく別物なのです。
その後にもたらす結果が違います。

とにかく無理に強要することは、最終的には、その対象(仕事、家族、恋人、・・・・)を失うことに成りやすい。
これを覚えて置きましょう。

でも、言うべき時は、注意をすることが大切です。
その時に、相手を見て、どのパターンに近い人かを認識した上で注意をするのです。
その注意をする内容が違っていることでしょう。

でも、最終的には、注意を言うほうも、されるほうも、幸運・運気がその後の結果を変えます。
その運気に関する注意点として老子は、
・ 自他が贅沢なことだけをしないように注意をする。
としています。これが運気に大きく影響します。

贅沢とは、個人差が大きいものです。
個人で贅沢の内容が、大きさが、千差万別です。要するに、

・ 自分なりに節制する意識を持つこと。

これを持っていることが、運気に影響します。
冷静な、中道の視点から、物事を見られるように成って行くからです。

・ 強く強要することは、失いやすい。
・ 自分自身が節制する気持ちの上で、他に注意をすること。

この2点を知って置いてください。
皆さんの参考にして頂ければ幸いです。

生かして頂いて 有り難う御座います  


老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧

「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール「第一章」道経   ≫「第八十一章」徳経

老子の霊訓 記事一覧

ミロク文明>> もっと見る 記事一覧 新しい順
ミロク文明 初めに戻る 

人気のgoo ブログ!アクセスランキングです。

老子「第二十八章」道徳経

2020-07-12 01:06:46 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
男性的な美点を知って女性的な立場を保つ様にすれば、全てを受け入れる谷間になれる。
全てを受け入れる谷間になれば、真実の徳から離れる事なく赤ん坊の様な安らぎを得られるだろう。

     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
    
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十八章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
知其雄、守其雌、爲天下谿。「その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る。  
爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。「 天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。  

知其白、守其黒、爲天下式。「 その白を知りて、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。  
爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。「 天下の式と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。  

知其榮、守其辱、爲天下谷。「 その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷と為る。 
爲天下谷、常徳乃足、復歸於樸。「 天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足りて、樸(ぼく)に復帰す。 

樸散、則爲器。聖人用之、則爲官長。「 樸散(さん)ずれば則(すなわ)ち器となる。聖人はこれを用いて、則ち官の長となす。 
故大制不割。「 故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かず。 

現代語訳
男性的な美点を知って女性的な立場を保つ様にすれば、全てを受け入れる谷間になれる。
全てを受け入れる谷間になれば、真実の徳から離れる事なく赤ん坊の様な安らぎを得られるだろう。

秩序の整った善性を知って混沌とした悪性をも包容すれば、万物の模範となれる。
万物の模範となれば、真実の徳に反することなく善も悪も超えた境地に至る事が出来るだろう。

輝かしい栄光を知ってドン底の屈辱を忘れずにいれば、全てが集まる谷川になれる。
全てが集まる谷川になれば、真実の徳で心が満ち溢れて切り出したばかりの丸太の様な純朴さに帰る事が出来るだろう。

その丸太を細かく切り分ければ、様々な用途に用いる事が出来る。
「道」を知った聖人はその様な人材を上手く使って人々の上に立たせる。
だがそれら人の上に立つ人々のさらに上に立つ様な人となると、丸太の様な純朴さを保ったままの人が良いのだ。  


英訳文
If you know masculine virtues and keep feminine virtues, you can become a ravinethat accepts everything. If you are such a ravine, the true virtue will be with you and you can get peace of mind like a baby. If you know goodness and tolerate badness, you can become a model for everything. If you are such a model, you can return to the stage over good and bad with the true virtue. If you know honor and never forget dishonor, you can become a valley that gathers everything. If you are such a valley, your mind will be filled with the true virtue and you can become like a raw wood. If you cut a raw wood into pieces, you can use them for various uses. The saint who knows "the way" appoints such people as leaders. But as a leader of the leaders, the saint like a raw wood before cutting is the best.  


*人間は純朴さが大切   2012-10-19  老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121019

老子の言葉 第二十八章 
(独自の超訳)
男性的な強さを持った上で、女性的な母性の心を保つことが出来ますと、
その人は社会の成功者と成ることが出来ます。
社会的な成功者と成れば、常に社会貢献を重ねる徳積みを行い、その人は赤子のような純粋性をだんだんと取り戻します。

表面的な他人から見える生活を知られるだけではなく、隠れた私生活でも道徳を守っていれば、その人は社会の模範と成ります。
社会的な模範の人と成れば、さらに徳の有る生活を行い、善悪も白黒も無い中立的な悟りの心境に帰ることが出来ます。
大成功した生活を知った上でも、底辺の時の生活も忘れなければ、その人は真の成功者と成れます。

真の成功者となれば、常に徳(良心)の有る心で満たされて、大自然から出る原木のように純朴な人間に成ります。
要は、人間が成功を真に極めて至る最後の姿は、原木のような純朴な人間なのです。
従って、初めから純朴な人間が居れば、その人は社会に役立つ器と成れるでしょう。
もし聖人が純朴な人々を使うならば、組織の責任者に登用します。
そうすれば、社会は丸く収まります。

原文 
「知其雄、守其雌、爲天下谿。
爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。
知其白、守其黒、爲天下式。
爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。
知其榮、守其辱、爲天下谷。
爲天下谷、常徳乃足、復歸於樸。
樸散、則爲器。聖人用之、則爲官長。
故大制不割。」 


(感想) 

人間が懸命に頑張って働いて、しかも更にその中でも本当に社会的に大成功した人間が至る姿とは、
赤子のような、大自然から出る原木のような、純朴な人間であると老子が言っています。
社会的な成功を他人に自慢しているようでは、まだまだ小さい成功者に過ぎないのです。
成功する人間、成功出来る人間とは、

(1)強さの中にも、女性的な母性を持つ人間が成功します。
男性でもオバチャンのような世話焼きで、配慮が出来る経営者がいますね。

(2)老子は、人間は成功が始まり出して生活に余裕が出来始めれば、徳を積みなさいと言っています。
小さな陰の社会貢献でも良いし、身近なボランティアでも良いのです。
要するに成功するには、徳=善行というエナジーの貯金が必要なのです。
コノ世は、「原因」が有って「結果」が生じる法則が貫徹する世界なのです。
だから成功したければ、成功するための原因=努力すること・善行の蓄積が必要なのです。
原因を自分で創らずに、祈ってばかりいても全然ダメなのです。

(3)逆に言えば、貧乏であろうが無力であろうが、ニートであろうが、その人が本当に真に純朴な人間であるならば、人生を懸けて大成功した人間と同じなのです。
人生で大いなる一周をして「原点」に戻って来る人間と、純朴さゆえに初めから「原点」に留まる人間のような関係です。

もし自分の子供が勉強が出来なくても、とても素直で純朴であれば、親はその子供の純朴さが消えないような育て方が大切です。
なにせ本当の社会的な成功者が最後に至る姿を、最初から維持していることは人間としての真の財産なのです。

人間は、どんなに金持ちであっても、最期の最後は「たった一人で」「財産を置いて裸で」アノ世に帰って行くことが確定しています。誰もこれを避けることが出来ません。
このことからしましても、上記のようなことは老子の理想論に聞こえるかも知れませんが、真実だと感じます。
今からでも、自分の純朴さを思い出しましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます  


 善徳貯金が増す生き方   2018-02-03 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180203
参考記事:老子の言葉 第二十八章「人間は純朴さが大切」 

「老子の人生論 」第二十八章

強い立場の人間が、弱者に寄り添って生きること。
そういう人に、世間の人々は自然と集まって来ます。

世間の人々が集まって来る人間に成れば、その人徳は更に常に増して行きます。
そして人徳の大きい人物ほど、赤子のような純粋な人に帰って行くものです。

賢く生き抜ける知恵を持ちながら、それでも真面目に愚直に生きる道を行く人は、
社会の人々から尊敬される模範と成ります。

他人の見本と成る人は、常に人徳を備えた生き方を行い、
本人が知らない内に究極の善徳に向かって自然と進みます。

名誉が有る立場の人間が、常に下っ端の人間の立場で生きていますと、周囲の人々が自然と慕って集まります。

世間の人々が自然と集まる人物に成れば、その人の人徳は増して行き、
素朴な原木のような人物に帰って行くものです。

原木とは、伐採されますと、役に立つ道具に変わるものです。
だから聖人は、原木のような人物を見つけますと、そういう人を国家の仕事に就かせます。
そういう人には、役割を決めた仕事の制限を致しません。
自ら何にでも役に立つように働くからです。

(感想)

この章で老子は、人徳と善徳の重要性を繰り返し述べています。
人徳と善徳が増して行く人ほど、
・ 赤子のような純粋な人に。
・ 原木のような、何にでも役に立つ人材に。
自然と進んで行くのです。

しかも、その継続はコノ世の究極の心境(悟り)にも自然と至る可能性が示唆されています。
人徳と善徳が増す生き方とは、

* 強い人なのに、弱者の立場で生きる謙虚な人であること。

* 能ある鷹(タカ)が爪を隠す生き方、をする人であること。
高度な知識と知恵を持っていても周囲に見せずに、愚直に生きる人。

* 会社の役員であっても、新入社員に交じって勤務するような人。

このような人物の人徳と善徳は、増して行く一方だと老子は述べています。
しかも、その人はコノ世の究極に至る可能性を示唆しています。

でも、このような生き方の何が良いのか? がピンと来ない人もいることでしょう。
別に、そんな生き方をしたくない。
ああ、そうですか、立派ですね。
で終わる人もいることでしょう。

でも、老子がわざわざ述べることには、そんな表面的なことだけで終わらないのです。
上記のような生き方こそは、
・ 自分の死後の行き先を決める。
・ 来生に生まれ出る自分自身の環境と条件(家庭・金運・健康・運勢・実現力など)を決定させる。
これが霊的に言えます。

魂にとって誰もが欲しがる善徳貯金と、魂の自由度を決める因子を、上記のような生き方が「決めて行く」ことを知って置いて頂ければ幸いです。

* 今生の生き方、今の自分の生き方が、来生を決める投資であること。

これに気付いていない人が大半です。
済んだ過去や過去生ばかり気にする人は多いですが、自分の来生を心配する人は少ないです。
自分の来生を想像すれば、今の自分の生活を自然と正すことが出来ます

悪事などは、来生を信じている人には出来ないことです。
死ねば終わりを信じる人は、どんな悪事でも可能であり、善徳よりも栄華・快楽を選択します。
でも、そういう人は、自分が今生に「生まれた」という事実を見ることです。
そうです、来生も必ず生まれ出ます
これは、ある意味では恐ろしいことです。

すべては、ムダに成りません。
今生の生き方の全てが、カガミに反射するように「左右が逆に反射して」(自分が置かれる立場のこと)出現し、来生を創造します。
カガミに自分が映るように、寸分違わず、完璧に、来生に映像化・物質化します。

これを否定する人は、カガミに自分が映らないように出来ますか?
無理なのです。もう物理的な宇宙法則だからです。

自分の未来と来生を心配する人は、素直に成って、上記のように老子が示唆する人徳と善徳が増す生き方を、自分なりに挑戦することを参考にしてください。
決してムダには成りません。

生かして頂いて 有り難う御座います  


老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧

「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール「第一章」道経   ≫「第八十一章」徳経

老子の霊訓 記事一覧

ミロク文明>> もっと見る 記事一覧 新しい順
ミロク文明 初めに戻る 

人気のgoo ブログ!アクセスランキングです。

老子「第二十七章」道徳経

2020-03-06 22:49:02 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
要妙(ようみょう:不可思議な真理) こういうのを「奥深い真理」と言う。
     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
      
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十七章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
善行無轍迹。善言無瑕讁。「善く行くものは轍迹(てっせき)なし。善く言うものは瑕謫(かたく)なし。  
善數不用籌策。「 善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。  

善閉無關楗、而不可開。「 善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。  
善結無繩約、而不可解。「 善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。  

是以聖人、常善救人、故無棄人。「 ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。 
常善救物、故無棄物。是謂襲明。「 常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。  

故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。「 故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。  
不貴其師、不愛其資、雖智大迷。「 その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。  
是謂要妙。「 これを要妙(ようみょう)と謂う。 

現代語訳
重くどっしりした物は、軽く浮ついた物の支えとなる根本である。
すぐれた進み方というものは車の轍や足跡を残さない。
すぐれた言葉というものには少しのキズもない。すぐれた計算というのは算盤を使ったりしない。

すぐれた戸締りというのは鍵やカンヌキをかけずにいても開けることが出来ない。
すぐれた結び目というのは縄も紐も使っていないのに解くことが出来ない。

この様な物事の見方をする「道」を知った聖人は人の美点を見出すのが上手いので、役立たずと言われて見捨てられる人が居なくなる。
またどんな物でも上手く活用するので、用無しだという理由で棄てられる物が無くなる。これを「明らかな智に従う」という。

たとえば善人は善人では無い者の手本であり、善人では無い者は善人の反省材料である。手本を尊敬せず反省材料を愛さないというのでは、多少の知恵があっても迷うことになるだろう。
こういうのを「奥深い真理」と言う。 


英訳文
A good way to advance does not leave any footprints. A good speech does not have any defects. A good calculation does not use an abacus. A good way to close does not use a lock or a bolt, but no one can open it. A good tie does not use a rope or a cord, but no one can untie it. Like this, the saint who knows "the way" is good at finding other people's good points out. So no one is abandoned. He is also good at use of things. So nothing is thrown away. This is called "obeying the clear wisdom". A good person can be an example of how to behave for the not good people. A not good person can be an example of how not to behave for the good people. If you do not respect and cherish these examples, you will lose your way though you have some knowledge. This is called "deep truth".
 


*どんなことも見捨てない  2012-10-18  老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121018
老子の言葉 第二十七章 
(独自の超訳)  
本当の良い行為=善行とは、行われたとしても他人には誰がしたのか分からないものです。
真に良い言葉とは、他人を傷付けることがありません。
真に優れた計算とは、ソロバンを弾くような計算ではなくて、心で判断します。
真に優れた家の戸締まりとは、カギを掛けなくても泥棒に入る気自体を起こさせない工夫のことです。
本当の約束とは、契約書などの縛る道具が無くても、決して破ることが出来ないものです。
道具よりも、心同士の約束を取ることを心掛けます。

このようなことを良く熟知している聖人は、
常に人を救うことが出来ます。だから聖人は、他人を見捨てることがありません。
聖人は、どんな物でも上手く使いこなします。だから聖人は、物であっても見捨てません。
これが明知(めいち:真理)を知っているということです。

だからこそ、善人は悪人にとってのお手本となり、悪人は善人にとっての反省材料と成り得ます。コノ世の一切にムダが無いのです。
つまり、どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです
このような心の姿勢が無ければ、どんな知恵者であっても必ず迷うことに成るでしょう。
以上のことを、要妙(ようみょう:不可思議な真理)と私は言います。
原文 
「善行無轍迹。善言無瑕謫。善數不籌策。
善閉無關鍵而不可開。善結無繩約而不可解。
是以聖人。常善救人。故無棄人。常善救物。故無棄物。
是謂襲明。故善人者。不善人之師。不善人者。善人之資。
不貴其師。不愛其資。雖智大迷。
是謂要妙。」 


(感想) 
老子は、物事や人物を「活かす」こと、「再生させる」ことが出来る達人だったのでしょう。
おそらく老子の部下に、どんな使えない人間が入って来たとしましても、1年も経てば有能な部下に変身したことでしょう。
しかし部下には、自分自身が成長したことと、老子が陰で導いて誘導してくれていたことが分からないのです
真に優れた人物が居ますと、その周りの人間も自然と成長するのです。

だから逆に言えば、自分の周りにはダメな人間しか居ないという人は、まず自分自身がどうなのか?を反省するべきかも知れません。
霊的には、「類は同類を寄せる法則」から見ましても、これは十分に言える真理です。

これは家庭内の問題にも言えます。
親が子供を叱って、中には子供に絶望する親も居ますが、ほんとうに子供だけの責任と問題なのでしょうか。
大概は、その親にも問題が有ることが、第三者からはよく見えるものです。
このように考えますと、平凡な家庭であることは何と有り難くて、奇跡のようなことなのでしょうか。
もし自分の家庭が平凡では無くて大変だと思うならば、家族を非難する前に自分自身を静観して見ましょう。

この章の老子の理論から言いますと、家庭に一人でもよいから上記の真理を理解して実践する人間が居ますと、家庭全体が改善して行く可能性があります。
それは子供の一人かも知れないし、祖父母なのかも知れません。
もし、その一人が居なく成りますと、その家庭はガラリと変わってしまうことでしょう。
そうなれば、自分がその大切な一人に成れば良いのです。

そして、一番重要なことは、
どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです」と言うことです。
ここで老子は「愛」という文字を選んでいます。
やはりコノ世は、仕事でも勉強でも他人にも、それを尊び愛して「育てる気持ち」を自分が持つことが大切なのです。
何事にも愛情を持ちましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます 


*他人を上手に活かす人こそ最高の人物  2018-01-15 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180115

参考記事:老子の言葉 第二十七章「どんなことも見捨てない」

「老子の人生論 」第二十七章

最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。

優れた話し方をする人は、他人を傷付けることがありません。

本当に優れた計算力を持つ人とは、計算機を使わずに暗算・思考が出来る人のことです。

優れたフタの止め方や、物の束ね方は、道具を使わないのに、誰も解くことが出来ない。

このようなことが出来る聖人の周囲には、落第生も、役立たずな人間も一切居ません。

聖人の周囲のどんなダメな人も、上手に適材適所に活かされるからです。

これを「真理を知る知恵」と言います。

だからこそ、善人は悪人の先生であり、悪人は善人を手助けが出来ます。

このような悪人をも活かす先生を、どんな優れた学者でも先生を尊敬して手助けをしなければ生けません。

これが出来ない偉い学者は、ただのアホである。

これこそを「深遠な法則」と言います。

(感想)

非常に考えさせられることを、ある人には耳が痛いことを、老子が指摘しています。

・ 俺の部下は役立たずばかりで嫌に成る ⇒ それは、お前こそがダメな上司の証拠である。

・ 私の子供は勉強もせずに、親の言うことも聞きません。
   ⇒ まず、親のあなた自身の生活を見直すべきです。

・ 悪人をも上手に社会で生活が出来るように導く先生 > 偉い権威ある学者たち。

老子らしい意外な視点と、反骨精神が見られる章です。
この章で一番に気になる文章は、最初に有ります、

* 「最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。」

コノ世では多くの人が、自分の実績を残したい、有名に成りたい、と思うかも知れません。
中には自画像や銅像を残す人も居ます。

でも老子は、最高の生き方とは、
・ 自分の足跡を残さない人生。
・ ひっそりと、コノ世を去ることだ。
と指摘しています。

これはアノ世に行きますと、コノ世に自分が残したモノが、どうしても気になる「引力」となるハンディと成ることが有ります。
財産、家族、借金、異性、ペット、会社、・・・・。

他人を押しのけてでも集めたモノが、それを無理に入手する過程で自分の足跡を残したことが、アノ世では自分を縛る重石に変わるのです。
これは、霊界の反射の法則でそう変わります。

ただし、自分の努力で、自然に入手したモノは、問題はないです。
また、ソレに対して自分が執着をしなければ、引力には成りません。

老子は霊的なことを一切言いませんでしたが、その生き方とは、アノ世の法則に合ったものが多く散見されます。
本当の真理とは、どの世界にも通じることが分かります。

近年の小学校では、「学級崩壊」という言葉を聞くことがあります。
授業中も生徒が勝手に走り回る、お喋りを止めない、好きなことをし続ける、などという授業に成らない様子を言います。

これを直すのは、大変なことだと思います。先ず、その子供たちの親とから、先生は話し合う必要が有りそうです。
もし、このようなクラスを、運動か、何か1つの目標、を掲げて1つにまとめて勉強態度まで改善を成し遂げる先生がいれば、どんな偉い大学教授よりも「人間として」優れた人だと心から思います。

もし周囲の人々に対して、自分が不満を持つならば、
・ 先ず、自分自身を見直すことから。

このように思い起こさせる項でした。皆さんの生活の参考に成れば幸いです。

生かして頂いて 有り難う御座います 


老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧

「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール「第一章」道経   ≫「第八十一章」徳経

老子の霊訓 記事一覧

ミロク文明>> もっと見る 記事一覧 新しい順
ミロク文明 初めに戻る 

人気のgoo ブログ!アクセスランキングです。

老子「第二十六章」道徳経

2019-10-18 19:16:27 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
物事を静観することで、多くの心配心や心のざわめきを操縦することが出来る主人に自分が成ることが出来ます
     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
      
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十六章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html

・原文 「書き下し文
重爲輕根、靜爲躁君。「重きは軽きの根(こん)たり、静かなるは躁(さわ)がしきの君たり。 

是以君子、終日行、不離輜重。「 ここを以(も)って君子は、終日行きて輜重(しちょう)を離れず。
雖有榮觀、燕處超然。「 栄観(えいかん)ありといえども、燕処(えんしょ)して超然たり。
奈何萬乘之主、而以身輕天下。「 いかんぞ万乗(ばんじょう)の主にして、身を以って天下より軽しとせんや。

輕則失本、躁則失君。「 軽ければ則(すなわ)ち本(もと)を失い、躁がしければ則ち君を失(うしな)う。

現代語訳
重くどっしりした物は、軽く浮ついた物の支えとなる根本である。
静かに落ち着いた者は、騒がしく動き回る者を抑える主である。

だから立派な大臣は国中を馬車で行きかっても重い荷馬車から離れず、
きらびやかな宮殿を歩き回っても家では静かに落ち着いた暮らしをしている。
ましてや大国の王たる者がその身を天下より軽んじて良いものか。

軽く浮ついていれば支えを失い、騒がしく動き回れば主としての立場を失う。 


英訳文
Heavy things support light things. A calm person controls fussy people. So a good minister goes around the country with a light carriage and a heavy wagon. And he stays calm when he is at home though he works at the gorgeous palace. So a monarch of a large country must not regard himself as lighter than the world. If a monarch is light, he will lose his support. If a monarch is fussy, he will lose his position.
 


*隠れて支えている物事を大切に  2012-10-17 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121017
老子の言葉 第二十六章
(独自の超訳)
 重いモノには、それを支える軽いモノがその根底に陰として必ず存在するものだ。
大木を支えているのは細かい根っこであり、大国を支えているのは一人一人の弱い人間に過ぎない。
しかし、軽いモノが多く集まればこそ、大きな重いモノを支えることが可能に成ります。

物事を静観することで、多くの心配心や心のざわめきを操縦することが出来る主人に自分が成ることが出来ます。

このようなことを理解している聖人は、一日中ずっと行動しましても、働いてくれる荷物を積んだ馬車の側を離れようとはしません。
下で働く人間や動物たちの労働の御蔭を知っており、またこれが自分の財産を守ることを知るからです。
また聖人は、きらびやかな光景や豪華な宴席に迎えられましても、下々の人たちのことを忘れずに超然として心が左右されることがありません。

ましてや、一国を代表する人間は、天下の物事に軽々に左右されてはいけません。
代表者の行動が軽ければ支える人々を失い、心が落ち着いていなければ、その立場を失うことに成るでしょう。

原文 
「重爲輕根。靜爲躁君。
是以聖人。終日行。不離輜重。雖有榮觀。燕処超然。
奈何萬乗之主。而以身輕天下。
輕則失本。躁則失君。」  



(感想) 
大きな物事には、その下の陰で支える軽い物事の御蔭が在るとは、日本人にはとても理解しやすい真理です。
このように考えますと、一見はムダだと思われるような物事も、大きな物事を支える役目をしていると言えそうです。

例えば会社組織の場合では、効率を上げるためにムダだと思われた社員を全員クビにしたところが、有能な社員も後から順番に辞めて行って立ち行かなく成った会社もあります。
その理由は、会社には評価されない下仕事をする人間が居なくなったために、有能な社員がそれをすることをアホらしがって辞めたのです。
つまり、ムダと思われていた社員が嫌な仕事をしてくれて「いた」のです。しかし、そのような事は会社側からは見えませんから、評価がされなかったのです。
有能な社員と、ムダとされてしまった社員も両方いてこそ役割分担が出来て、会社が機能して「いた」わけです。

老子はこのことを、「重」は「軽」により支えられていると看破しています。
さらに老子は自分ならば、
「荷物を運ぶ馬車の側を離れることをしない」と言っています。
老子が社長ならば、末端で働く人間の側にいて会話を欠かさないと言いそうです。
そのような行為が、自分の立場と財産を結果的に守ることに成ることを知るからです。
ほんとうにすべての人間模様を熟知した知恵から出る言葉です。
老子は、多くの代表者や責任者たちの栄枯盛衰を何回も見たのでしょう。

今日の話は、国の代表者や政治家、経営者だけではなく、家庭を持つ主婦にも「夫」にも言える話です。
(1)子供や老人たちが存在する御蔭で家庭が成り立つことを改めて知ること。
(2)家族の小さな声にも耳を傾けること。
(3)他家や知人たちの豪華な生活に惑わされないこと。パーティーなどの豪勢な場に出ても、家庭で待つ家族の存在を忘れないこと。
(4)もし、そのような栄華に惑わされて軽い行動を自分がすれば、家庭を失うことに成ることを知ること。

このように老子のたとえ話は、現代社会でもキレイに当てはまります。
このように真理というものは、数千年を経過しても生きています。

生かして頂いて ありがとう御座位ます   


 重い者ほど、下に座ること  2018-01-03 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180103
参考記事:老子の言葉 第二十六章「隠れて支えている物事を大切に」   
「老子の人生論 」第二十六章

重いモノが、軽いモノの上に居ては生けません。それは安定性がありません。
重いモノは、軽いモノよりも下方にへりくだり、下座(しもざ:下の座席)に居るべきです。

静かに居るモノが、騒ぐモノよりも勝ちます。

だからこそ聖人は、一日中も旅をして疲れていましても、馬と荷物から離れてくつろいだりしません。
自分よりも働く馬を大切にして上座に置き、荷物を守ります。

そして、どんなに社会で成功しても、超然としていて、ヨソ見をしません。

ましてや無数の部下を従える国家を代表する人物(王様、大臣、社長、競技者など)が、軽々に自分の本分以外のことにヨソ見をすれば、自分を支える部下たちを失い、自分の地位・立場も失います。

(感想)

最初の言葉、「重は軽の根本である」。
実はこの言葉で立ち止まり、2週間も沈思黙考していました。

読み方次第では、
・ 軽い者(子供、下の者、弱者)よりも、偉い立場の人間が重要だ。
と真逆の解釈を誘うような表現を、あえて老子がしています。

でも、下方の内容を読めば、その深意は、
・ 偉い立場の人間は、ヨソ見もせずに下座にいなさい。
ということが分かります。

老子は、自分の文章を早合点(はやがてん:よく聞いたり確かめたりしないうちにわかったつもりになること)して解釈するような慌て者の学者を、戒めとしておちょくるような、逆説で表現する内容が他の章でも散見されます。
どうして、逆説で、包み隠して、老子は書いたかの時代背景を考えて2週間もこの章を保留にしていました。

要するに、2500年前の支配体制の下では、ましてや国の図書館に勤務する官僚だった老子は、社会を風刺する内容は露骨には書けません。もし見つかれば、逮捕・死刑かも知れません。
だからこそ、最初に「重は軽の根本である」と偉い人達を持ち上げておいて、そして下方に読み進むほどにじんわりとクギを刺して行く章だとも言えそうです。
でも、このブラックな風刺を理解するには、読み進めることが出来る学識が要る訳です、笑。

最後は王様にまで、
・ 軽をないがしろにすれば、その立場を失う。
・ 本業以外のことに精を出せば、終わるぞ。
と戒めています。
当時としては、老子は非常に危険な親父だったとも言えそうです。
今の時代でも、なかなか言えないことが多いですから・・・・。

今の経営者にも、本業以外の投資・異性。または、異業種などに傾注することが改革、会社の為、と勘違いをする3代目が多いです。
気が付けば、本業を失うパターンです。長く会社を支えた社員たちも離れて行きます。

軽いモノの下にどっしりした重しが有れば、非常に安定します。
上の軽が大きく揺れましても、下の重りが必ず元の位置に絶対的な力で戻します。
軽がどんなに右往左往しましても、軽を安定させて助けます。

・ 重い者ほど、下方に座ること。

家庭にも大切なようです。
老子の真理は、重力の法則にまで叶っています。

生かして頂いて 有り難う御座います 


老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧

「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール「第一章」道経   ≫「第八十一章」徳経

老子の霊訓 記事一覧

ミロク文明>> もっと見る 記事一覧 新しい順
ミロク文明 初めに戻る 

人気のgoo ブログ!アクセスランキングです。

老子「第二十五章」道徳経

2019-05-01 00:00:29 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
時代の流れ、 『令和:れいわ』の典拠は― 時(とき)に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(や)はらぎ、梅(うめ)は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。

《現代日本語訳の一例》※太字は新元号に直接関わる語。 時は初春(しょしゅん)の令(よ)い月(※この場合『令』は“物事のつやがあるように美しい”の意)であり、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉おしろいで装うように花咲き、蘭は身を飾る衣ころもに纏まとう香こうのように薫かおらせる。

     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。

      
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十五章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html

・原文 「書き下し文
有物混成、先天地生。「 物有り混成し、天地に先んじて生ず。 
寂兮寞兮、獨立不改、周行而不殆。「 寂(せき)たり寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず。
可以爲天下母。「 以(も)って天下の母と為すべし。

吾不知其名、字之曰道。「 吾(わ)れその名を知らず、これに字(あざな)して道と曰(い)う。
強爲之名曰大。「 強(し)いてこれが名を為して大と曰う。

大曰逝、逝曰遠、遠曰反。「 大なれば曰(ここ)に逝(ゆ)く、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。 
故道大、天大、地大、王亦大。「 故に道は大、天も大、地も大、王もまた大なり。

域中有四大、而王居其一。「 域中(いきちゅう)に四大(しだい)あり、而(しか)して王はその一に居る。 
人法地、地法天、天法道、道法自然。「 人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。


現代語訳
なにやら漠然と混じり合った物があって、それは天地より先に生まれ出た。
音も無く静かで形も無く、何ものにも頼らず存在し何の変化も無く、どこまでも広がって行きとどまるところが無い。
それは万物を生み出す母の様なものだ。

私はそれを何と呼んで良いのか解らないので、仮に「道」と名づけた。
あえて別の言い方をするなら「大」と呼べるだろう。

「大」であればどこまでも広がって行く、どこまでも広がって行けば果てしなく遠くまで到達し、果てしなく遠くまで到達すればまた元の位置に帰ってくる。
つまり「道」がこの「大」の性質を持つように、天も「大」であり、地も「大」であり、王もまた「大」である。

この世界にはこれら四つの「大」が存在し、人を統べる王はその一つであらねばならないのだ。
人は地を模範とし、地は天を模範とし、天は「道」を模範とし、「道」はそのありのままの姿のままでいる。 


英訳文
There is a mixed one that has been born before heaven and earth. It is silent, formless, independent, unchangeable, vast and unlimited. It is the mother of all things. I do not know its name, so I call it "the way" for convenience' sake. Or "the great", it can be called. "The great" is unlimited. So it can reach anywhere, then returns to the original place. "The way" is "the great". Heaven's nature is "the great". Earth's nature is "the great". King's nature is also "the great". There are four "the greats" in the world. A king who rules the people must be "the great". People follow earth. Earth follows heaven. Heaven follows "the way". "The way" follows its nature.
 


*大いなる母性  2012-10-16 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121016
老子の言葉 第二十五章
(独自の超訳)

なにか混沌として混じり合ったモノが宇宙の始まりに存在しました。
それは、天地が生まれる以前から存在しています。
それは、静寂として独自に存在しており、新しく変わるという事も無く、
あまねくすべてに浸透して存在しています。
それは、この世界の宇宙を生み出した大いなる母と呼ぶべき存在です。
しかし私たちは、その正体を知ることが出来ません。

だから私は、この存在を「道」と名付けます。
さらにどうしても名付けるならば「大」とでも言いましょう。
この大いなる存在は、どこまでも拡大して行きます。
拡大して行けば、どこまでも遠くに達します。
そして、ほんとうの遥か遠くに達し切れば、また縮小して戻って来ます。

だから、道は大であります。
天も大であります。
地も大であり、
人間(生物の王様)も大であります。
この世には四つの大いなる存在があります。
人間もその重要な一つを占めています。

人間は、大地にそって存在します。
大地は、天にそって存在します。
その天は、道(大いなる母性)にそっています。
道(大いなる母性)は、自然のあるがままにそって存在しています。 


原文 
「有物混成。先天地生。
寂兮寥兮。獨立而不改。周行而不殆。
可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道。
強爲之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反。
故道大。天大。地大。王亦大。
域中有四大。而王居其一焉。
人法地。地法天。天法道。道法自然。」 


(感想) 
二千年以上前に生きた老子が、現代宇宙学における宇宙誕生の仮説である「ビッグバン」を描写して説明しています。
つまり、今世紀、しかもこの半世紀に生まれた人間にしか、老子の言っている内容は理解出来なかったと言うことです。
「無限に拡大して、達し切れば縮小に転じる」
大昔の人間は、このような表現をどう思ったのでしょうか?

もしかして、老子が現代社会を標準として、その言葉を残したとするならば、大きなドラマを感じます。
しかし、どの時代の人間が読みましても、これは今の時代だ、自分のことを言っている、と思える奥深さと大いなる普遍性が老子にはあります。

そして重要なことは、老子が頻繁に「道」と呼ぶ内容の正体を、
宇宙、大いなる母、母性、・・・・とにかく「母」という文字で表現したことです。
人間の女性も、生まれ、子を生み育て他者を食わせ、・・・・そして母性の象徴である乳房も含めてシボンで行きます。
女性も、宇宙と同じなのです。

老子は宇宙の四大要素として、人間、大地、天、宇宙の母性、を挙げています。
四つの中に、人間が入っていることの重要性と、その責任を感じます。
人間は、自分のことも、他人のことも大切にして生きて行かなければ生けません。
それが大いなる母性を助けることに成ると、私は思えてなりません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます  


 大きな母性が大切  2017-12-12 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20171212
参考記事:老子の言葉 第二十五章「大いなる母性」 

「老子の人生論 」第二十五章

天と地が生まれる前に、混じり合う渦(うず)を巻くような「流れ」だけが有りました。
それはとても静寂な「流れ」であり、広大な渦を巻くが、決して壊れることが無い安定した存在でした。

だから、それを全てを生み出す母性と呼びます。
でも私には、その名前に本当は何がふさわしいのかが分かり得ません。
あえて別の呼び方をするならば、私は「道」と呼びます。
では道とは何か? と問われれば、道は「とにかく大きいこと」を意味していると言いたいのです。

本当に無限に大きければ、どこまでも遠くに続く道です。
でも、本当に大き過ぎる道ならば、また元の場所に戻るのです。
道は本当に大きい。だからこそ、その中に在る天も大きいし、地も大きいし、人間も大きな大切な存在です。

人は地に従って生き、地は天に左右され、天は道(大きな母性)に従います。
そして大きな母性は、自然な大きな流れの渦に従います。

(感想)

2500年前に生きた老子が、銀河の渦の流れを正確に描写しています。
宇宙原初の様相を、
・ とても静寂な流れが渦を巻き、決して壊れることが無い安定性が有った。
とまるで見て来たように描写し、しかもその性質は「大きな母性」だと表現してます。

老子は、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した物理学の「中間子」の存在も、ハッキリと指摘して道徳経(どうとくきょう:81章から成る老子の言葉のこと)に残しています。

なぜ老子は分かったのか?
これのヒントも実は言っています。
・ 部屋の机に座りながらも、道(真理)が分かれば、遠くのことも「既に知っている」状態に成る。
と示唆しています。

これは私には良く分かります。
これを言葉で説明しますと、勉強して知識を「覚える」必要が有るのだ、と思われがちです。
でも本当の感覚は違うのです。脳の真相は違うのです。

知識を覚えるのでは無くて、「思い出す」という表現が近いと思います。
だから勉強する時も、「覚えなければ生けない」という先入観では、なかなか勉強が進まないでしょう。

それよりも効率が良いのは、新しい知識を読んで「思い出すつもり」で謙虚に勉強をしますと、
・ 知識が身に付く。
・ よく脳に馴染んで、忘れない。
という視点を参考にしてください。

デジャヴ(既視感。初めて来た場所なのに、なぜか見たことが有る光景。初めてなのに体験した感じが有ること)
という現象は、勉強の知識でも実は有ることなのです。
「コレ知っている」「有る有る」
という感覚は、勉強への拒否感の壁と、勉強への嫌な先入観を失くさせます

ところで、人間には母性が大切ということが、よく分かる項でもあります。
この宇宙の始まりは、「母性の渦」からだったのです。
私達も、自分の心に「母性の渦」を意識することで、

・ 何かを産み出すことが出来る。
・ 新しい事を大きく成長させる、成功させる。

これを応援する最高の思い方は、自分の母性を意識して大きくすることなのです。
他人にも、仕事にも、経営にも、家族にも、とにかく自分の母性の心で向き合えば、必要な「思いやり」が見えて来るものです。
それが対象を大きく育てます。
そして、その御蔭が自分にも帰って来るということです。

* 日本もテロに注意します。
・ 公共の場所、人が集まる広場では、ゴミ箱から離れて、避けるように歩くこと。
・ もし駅のトイレの中に、不審な荷物が置いてあれば、速やかに立ち去ること。

生かして頂いて 有り難う御座います  


老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧

「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール「第一章」道経   ≫「第八十一章」徳経

老子の霊訓 記事一覧

ミロク文明>> もっと見る 記事一覧 新しい順
ミロク文明 初めに戻る 

人気のgoo ブログ!アクセスランキングです。
2019.04.29(月) 2867164ブログ中 21386位 187PV |115UU
 2019.04.21 ~ 2019.04.27   21419位 1171PV |702UU