ミロク文明

新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
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老子「第二十八章」道徳経

2020-07-12 01:06:46 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
男性的な美点を知って女性的な立場を保つ様にすれば、全てを受け入れる谷間になれる。
全てを受け入れる谷間になれば、真実の徳から離れる事なく赤ん坊の様な安らぎを得られるだろう。

     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
    
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十八章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
知其雄、守其雌、爲天下谿。「その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る。  
爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。「 天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。  

知其白、守其黒、爲天下式。「 その白を知りて、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。  
爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。「 天下の式と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。  

知其榮、守其辱、爲天下谷。「 その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷と為る。 
爲天下谷、常徳乃足、復歸於樸。「 天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足りて、樸(ぼく)に復帰す。 

樸散、則爲器。聖人用之、則爲官長。「 樸散(さん)ずれば則(すなわ)ち器となる。聖人はこれを用いて、則ち官の長となす。 
故大制不割。「 故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かず。 

現代語訳
男性的な美点を知って女性的な立場を保つ様にすれば、全てを受け入れる谷間になれる。
全てを受け入れる谷間になれば、真実の徳から離れる事なく赤ん坊の様な安らぎを得られるだろう。

秩序の整った善性を知って混沌とした悪性をも包容すれば、万物の模範となれる。
万物の模範となれば、真実の徳に反することなく善も悪も超えた境地に至る事が出来るだろう。

輝かしい栄光を知ってドン底の屈辱を忘れずにいれば、全てが集まる谷川になれる。
全てが集まる谷川になれば、真実の徳で心が満ち溢れて切り出したばかりの丸太の様な純朴さに帰る事が出来るだろう。

その丸太を細かく切り分ければ、様々な用途に用いる事が出来る。
「道」を知った聖人はその様な人材を上手く使って人々の上に立たせる。
だがそれら人の上に立つ人々のさらに上に立つ様な人となると、丸太の様な純朴さを保ったままの人が良いのだ。  


英訳文
If you know masculine virtues and keep feminine virtues, you can become a ravinethat accepts everything. If you are such a ravine, the true virtue will be with you and you can get peace of mind like a baby. If you know goodness and tolerate badness, you can become a model for everything. If you are such a model, you can return to the stage over good and bad with the true virtue. If you know honor and never forget dishonor, you can become a valley that gathers everything. If you are such a valley, your mind will be filled with the true virtue and you can become like a raw wood. If you cut a raw wood into pieces, you can use them for various uses. The saint who knows "the way" appoints such people as leaders. But as a leader of the leaders, the saint like a raw wood before cutting is the best.  


*人間は純朴さが大切   2012-10-19  老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121019

老子の言葉 第二十八章 
(独自の超訳)
男性的な強さを持った上で、女性的な母性の心を保つことが出来ますと、
その人は社会の成功者と成ることが出来ます。
社会的な成功者と成れば、常に社会貢献を重ねる徳積みを行い、その人は赤子のような純粋性をだんだんと取り戻します。

表面的な他人から見える生活を知られるだけではなく、隠れた私生活でも道徳を守っていれば、その人は社会の模範と成ります。
社会的な模範の人と成れば、さらに徳の有る生活を行い、善悪も白黒も無い中立的な悟りの心境に帰ることが出来ます。
大成功した生活を知った上でも、底辺の時の生活も忘れなければ、その人は真の成功者と成れます。

真の成功者となれば、常に徳(良心)の有る心で満たされて、大自然から出る原木のように純朴な人間に成ります。
要は、人間が成功を真に極めて至る最後の姿は、原木のような純朴な人間なのです。
従って、初めから純朴な人間が居れば、その人は社会に役立つ器と成れるでしょう。
もし聖人が純朴な人々を使うならば、組織の責任者に登用します。
そうすれば、社会は丸く収まります。

原文 
「知其雄、守其雌、爲天下谿。
爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。
知其白、守其黒、爲天下式。
爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。
知其榮、守其辱、爲天下谷。
爲天下谷、常徳乃足、復歸於樸。
樸散、則爲器。聖人用之、則爲官長。
故大制不割。」 


(感想) 

人間が懸命に頑張って働いて、しかも更にその中でも本当に社会的に大成功した人間が至る姿とは、
赤子のような、大自然から出る原木のような、純朴な人間であると老子が言っています。
社会的な成功を他人に自慢しているようでは、まだまだ小さい成功者に過ぎないのです。
成功する人間、成功出来る人間とは、

(1)強さの中にも、女性的な母性を持つ人間が成功します。
男性でもオバチャンのような世話焼きで、配慮が出来る経営者がいますね。

(2)老子は、人間は成功が始まり出して生活に余裕が出来始めれば、徳を積みなさいと言っています。
小さな陰の社会貢献でも良いし、身近なボランティアでも良いのです。
要するに成功するには、徳=善行というエナジーの貯金が必要なのです。
コノ世は、「原因」が有って「結果」が生じる法則が貫徹する世界なのです。
だから成功したければ、成功するための原因=努力すること・善行の蓄積が必要なのです。
原因を自分で創らずに、祈ってばかりいても全然ダメなのです。

(3)逆に言えば、貧乏であろうが無力であろうが、ニートであろうが、その人が本当に真に純朴な人間であるならば、人生を懸けて大成功した人間と同じなのです。
人生で大いなる一周をして「原点」に戻って来る人間と、純朴さゆえに初めから「原点」に留まる人間のような関係です。

もし自分の子供が勉強が出来なくても、とても素直で純朴であれば、親はその子供の純朴さが消えないような育て方が大切です。
なにせ本当の社会的な成功者が最後に至る姿を、最初から維持していることは人間としての真の財産なのです。

人間は、どんなに金持ちであっても、最期の最後は「たった一人で」「財産を置いて裸で」アノ世に帰って行くことが確定しています。誰もこれを避けることが出来ません。
このことからしましても、上記のようなことは老子の理想論に聞こえるかも知れませんが、真実だと感じます。
今からでも、自分の純朴さを思い出しましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます  


 善徳貯金が増す生き方   2018-02-03 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180203
参考記事:老子の言葉 第二十八章「人間は純朴さが大切」 

「老子の人生論 」第二十八章

強い立場の人間が、弱者に寄り添って生きること。
そういう人に、世間の人々は自然と集まって来ます。

世間の人々が集まって来る人間に成れば、その人徳は更に常に増して行きます。
そして人徳の大きい人物ほど、赤子のような純粋な人に帰って行くものです。

賢く生き抜ける知恵を持ちながら、それでも真面目に愚直に生きる道を行く人は、
社会の人々から尊敬される模範と成ります。

他人の見本と成る人は、常に人徳を備えた生き方を行い、
本人が知らない内に究極の善徳に向かって自然と進みます。

名誉が有る立場の人間が、常に下っ端の人間の立場で生きていますと、周囲の人々が自然と慕って集まります。

世間の人々が自然と集まる人物に成れば、その人の人徳は増して行き、
素朴な原木のような人物に帰って行くものです。

原木とは、伐採されますと、役に立つ道具に変わるものです。
だから聖人は、原木のような人物を見つけますと、そういう人を国家の仕事に就かせます。
そういう人には、役割を決めた仕事の制限を致しません。
自ら何にでも役に立つように働くからです。

(感想)

この章で老子は、人徳と善徳の重要性を繰り返し述べています。
人徳と善徳が増して行く人ほど、
・ 赤子のような純粋な人に。
・ 原木のような、何にでも役に立つ人材に。
自然と進んで行くのです。

しかも、その継続はコノ世の究極の心境(悟り)にも自然と至る可能性が示唆されています。
人徳と善徳が増す生き方とは、

* 強い人なのに、弱者の立場で生きる謙虚な人であること。

* 能ある鷹(タカ)が爪を隠す生き方、をする人であること。
高度な知識と知恵を持っていても周囲に見せずに、愚直に生きる人。

* 会社の役員であっても、新入社員に交じって勤務するような人。

このような人物の人徳と善徳は、増して行く一方だと老子は述べています。
しかも、その人はコノ世の究極に至る可能性を示唆しています。

でも、このような生き方の何が良いのか? がピンと来ない人もいることでしょう。
別に、そんな生き方をしたくない。
ああ、そうですか、立派ですね。
で終わる人もいることでしょう。

でも、老子がわざわざ述べることには、そんな表面的なことだけで終わらないのです。
上記のような生き方こそは、
・ 自分の死後の行き先を決める。
・ 来生に生まれ出る自分自身の環境と条件(家庭・金運・健康・運勢・実現力など)を決定させる。
これが霊的に言えます。

魂にとって誰もが欲しがる善徳貯金と、魂の自由度を決める因子を、上記のような生き方が「決めて行く」ことを知って置いて頂ければ幸いです。

* 今生の生き方、今の自分の生き方が、来生を決める投資であること。

これに気付いていない人が大半です。
済んだ過去や過去生ばかり気にする人は多いですが、自分の来生を心配する人は少ないです。
自分の来生を想像すれば、今の自分の生活を自然と正すことが出来ます

悪事などは、来生を信じている人には出来ないことです。
死ねば終わりを信じる人は、どんな悪事でも可能であり、善徳よりも栄華・快楽を選択します。
でも、そういう人は、自分が今生に「生まれた」という事実を見ることです。
そうです、来生も必ず生まれ出ます
これは、ある意味では恐ろしいことです。

すべては、ムダに成りません。
今生の生き方の全てが、カガミに反射するように「左右が逆に反射して」(自分が置かれる立場のこと)出現し、来生を創造します。
カガミに自分が映るように、寸分違わず、完璧に、来生に映像化・物質化します。

これを否定する人は、カガミに自分が映らないように出来ますか?
無理なのです。もう物理的な宇宙法則だからです。

自分の未来と来生を心配する人は、素直に成って、上記のように老子が示唆する人徳と善徳が増す生き方を、自分なりに挑戦することを参考にしてください。
決してムダには成りません。

生かして頂いて 有り難う御座います  


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