ミロク文明

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ミロク菩薩(2)伊勢ー白山 道 記事

2013-06-03 00:02:43 | 弥勒菩薩論
本当に健康に成り、心身が美しく成るには、物質面で対応しても限界があります。その先の向上を願うならば、生命力の原点に干渉しないかぎり向上しません。
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*弥勒の救いの真相  2009-12-10
  伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20091210
私たちは、自分の肉体への配慮をします。野菜を食べたり、運動したり、何かあれば健康診断も受けます。肉体のメンテには、お金を惜しまない人が多いです。特に女性の美容に対する情熱と金額は、収入に対して占める割合が大きいです。
しかし、自分の命が来た元(先祖)については、気にも掛けない人が大半です。考えても無駄な事、済んだ事で先祖の存在を忘れています。
私は、これは片手落ちだと思います。その人は、損をしているとも私は思います。なぜなら、その考えは科学的では無い、時代遅れだと思うからです。
本当に健康に成り、心身が美しく成るには、物質面で対応しても限界があります。その先の向上を願うならば、生命力の原点に干渉しないかぎり向上しません。
自分の命と言う物が、太古からの遺伝子を継承し続けている事には、誰も異論が無いでしょう。
自分が生まれても、過去の命を繋いで呉れた人々の痕跡は、肉体と精神の奥にも息づいているのです。
今、私たちは生きていますが、自分の見える肉体だけではなく、この肉体に関わった遺伝子を繋いだ過去の人々とも共に、今、同時に生きていると考える事は出来ないでしょうか?
私が過去記事で説明した(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20080604)様に、過去も現在も未来も同時に平行して存在するのが宇宙の本当の姿です。
自分と言う人間は、誕生に関与した自分の先祖たちと同時に今も生きているのです。先祖の肉体が消えただけで、心は同時に自分と共に生きている訳です。
今の自分の心が病めば、先祖霊も同時に病むのが真相です。
今までは、先祖が病んでいる為の霊障を子孫が受けると言う、被害者的な発想が大半でした。
今生きているのは私たちです。現在、陰陽のバランスが崩れ、この現実界がメインの次元に成ろうとする過去に無い時代に入りつつあります。この今の世界が全ての平行する次元に対して主導権を持つのです。つまり、過去の先祖たちへも、今の子孫の状態が逆に影響する時代が始まっているのです。
これが、今と過去の人類と生き物の一切全てを救う弥勒菩薩(=私たち)の救済の真相です。
今、生きている人々の心が安心していれば、過去の縁ある人々も安心するのです。
だから、今、生きている人間は、責任が重大なのです。
どんなに病弱であろうが、貧乏で惨めであろうが、自分の心が現状への感謝に満ちていれば、自分に縁ある過去・現在・未来全ての存在も安心する訳です。
人類は、遺伝子学的にも原初の二人に収束し到達する事が科学的に判明しだしています。縁ある者からの救いは、最終的には人類全体への救いに到達します。


ここで、弥勒の救いを妨害する魔物が居ます。
それが有料先生の背後に居る霊的存在です。私たちと繋がる過去の人々との絆と繋がりの間に割って入ろうとする所業をします。
他人の有料先生の霊的磁気は、必ず生徒の寿命を縮めます。
異型の血液を輸血すれば死にます。初期の見せ掛けの血圧回復の後に死んでしまうのです
これと全く同じ事が、霊的世界の商売では発生しています。
お金と健康と運気を自ら捨てる事になります。経験の長い有料先生ほど、この真相に気づいています。でも、自分の贅沢な生活と性欲を満たす為に、止めることが出来ないのです。無知な生徒を「食い物」にして生きます。その霊体は、まさに魔物に変化しています。中途半端で未熟な先生だけが、伊勢白山道に反論します。そのような連中は正業に就くこともできない、ただの社会の落伍者であり詐欺師です。
有料で先生と面会する各種のセミナー会(意識改革、瞑想、ヨガ)などで、「見えない世界」を持ち出すものも同じです。自分のオリジナル磁気を阻害して、運気が必ず落ちます。なぜなら、有料のリピーターに「しようとする磁気」がメインで根底に在るからです。これは、先生の媚びる卑しい汚れた磁気です
自分色の磁気を充電するまでに、無駄な時間を要します。
他人の磁気が救う時代は、昭和の幽界と共に既に終わっているのです。 平成に生きましょう。


読者によるマトメ。
●今の自分の心が病めば、先祖霊も同時に病むのが真相。
●この現実界がメインの次元に成ろうとする過去に無い時代。
●今の世界が全ての平行する次元に対して主導権を持つ。
●過去の先祖たちへも、今の子孫の状態が逆に影響する時代。

これが、今と過去の人類と生き物の一切全てを救う弥勒菩薩(=私たち)の救済の真相
今日の記事で「弥勒の世」と「現実界だけになる」ことの意味がつながりました。弥勒の世では現実界の人間の菩薩が発動して他次元の魂をも救うということですね。現実が他次元に転写するということでもありますね。
今まで感謝のみの先祖供養を目指しながらも、どこかで、辛い状況はご先祖のせいという受け身の姿勢がありました。実は、どんな状況も現実次第、現実に生きる人間には神をも全てを委ねておられるのでした。生きる人間が宇宙の責任者なのですね。


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あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
 【主神】天照日の太御神 様  ・神界・内在神(良心)・愛和塊【心柱】
       天の常立太御神 様 ・霊界・自我心・相対塊【活力】
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*【両手を使った完全呼吸法】を行じ身につければ
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ミロク菩薩(1)伊勢ー白山 道 記事

2013-03-25 23:44:27 | 弥勒菩薩論
本当に個人を救ってくれるのは、一人一人に内在する真理の光(内在神)だけだと断言され、それに「向かって行く」ことを何回も仰っていたのです。
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コメント
・仏教、そして神道 (little tree) 2010-04-11 21:41:34
仏教に末法思想というのがありますが、あれは案外本当のことかもしれないなと思います。ひとりひとりの内在神が発露しだしたら、もう外在の神仏は不要になりますから。56億7千万年後
。。。地球の人口が56億7千万人を超えた時期に、地球人がミロク菩薩に成る予言です。
もう、超えていますから、そこら中にミロク菩薩が立ちつつあります。


*窮鼠猫を噛み、楽しみ生きること 2011-05-02
  伊勢ー白山 道 記事全文 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20110502
今朝に感じましたのは、仏典にある
「釈迦の死後、56億7千万年後に末法の時代(まっぽう:仏教が退廃して終わる時)が来る。その時にミロク菩薩が現れて民衆を救う。」
この文中に在る、5・6・7という数字が強く脳裏に来ました。
これは何を意味するかと言いますと、アジア圏ではミロク信仰という未来に救世主が現れる「良い解釈」がされていますが、霊的な真相は実は違うのです。
これは、真逆の破滅「転換」の暗示です。
末法という「仏教が終わる」とは、従来の世界では無いということが暗示されています。
仏典そのものが後世の人たちによる「寄せ集め」ですから、このミロク誕生の下りは、「良くない破壊者グループ」の加筆だと私は感じています。

釈尊が仰った真理は、永遠不滅なものです。

「人は生まれた(神からの一時的な独立)ならば、自己に内在する心(神・内在神)に帰ることが、最高の幸福である。」
というのが教えです。
救世主の誕生と言うような、自分自身を信じる心を捨てさせる、他者に依存させるような話は絶対にしていません。
本当に個人を救ってくれるのは、一人一人に内在する真理の光(内在神)だけだと断言され、それに「向かって行く」ことを何回も仰っていたのです。


この間違ったミロク信仰には、その根底には古代宗教の起源であるゾロアスター教に原因があります。
教祖ゾロアスターは、太陽神をただの精霊では無く、根源的な唯一絶対の創造神として太陽神を位置づけました。
そのために、当時のミトラ信仰(黒い牛を生贄にして性交魔術を使う秘密の太陽信仰)を邪悪な太陽信仰だとして、徹底的に排斥しました。
この時に封印された教義は、遠い未来に必ず「復活する」として、表の世相からは隠れました。
この隠れたミトラ信仰が、仏教のミロク信仰や、原始キリスト教の「交わりの儀式」(ぶどう酒を使う)や洗礼に隠されています。

この古代ミトラの呪縛が、5・6・7という数字の暗示に込められています。黒い牛頭魔神の黙示録です。
まさに仏教が衰退しようとしている現代は、5・6・7の数字には、遊び感覚で注意をしましょう。
数字の言葉遊びです。
例えば、5月6日7時56分7秒。5日6日7日。などの数字のゴロ合わせです。

どうですか?怖かったですか?
以上は、私が想像した現代の怪談話です。
要は、このような陰謀の都市伝説が不安な世の中には、たくさん有ります。これに負けて、不安感を持ってはダメなのです。
これらをすべて、生かされている感謝の心、先祖への感謝、太陽への感謝、の気持ちで消し飛ばすことが出来るのです。
たんたんと自分の今の生活を守り、その中で明るく楽しんで生きて行きましょう。
そうすれば、大丈夫に成るのです。
5月6日7時56分7秒。5日6日7日。などの数字の黙示録を破壊します。

窮鼠猫を噛む(きゅうそ、ねこをかむ)
:追い詰められたネズミが猫にかみつくように、弱い者も追い詰められると反撃する、反撃出来ること。

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コノ世は、「原因」が有って「結果」が生じる法則が貫徹する世界なのです

2012-11-25 15:53:35 | 弥勒菩薩論
・人間は純朴さが大切 2012-10-19 *伊勢ー白山 道 記事
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老子の言葉 (老子道徳経 - Wikipedia)
   第二十八章
(原文、書き下し文、英訳文、現代語訳)
(独自の超訳)
男性的な強さを持った上で、女性的な母性の心を保つことが出来ますと、
その人は社会の成功者と成ることが出来ます。
社会的な成功者と成れば、常に社会貢献を重ねる徳積みを行い、その人は赤子のような純粋性をだんだんと取り戻します。

表面的な他人から見える生活を知られるだけではなく、隠れた私生活でも道徳を守っていれば、その人は社会の模範と成ります。
社会的な模範の人と成れば、さらに徳の有る生活を行い、善悪も白黒も無い中立的な悟りの心境に帰ることが出来ます。
大成功した生活を知った上でも、底辺の時の生活も忘れなければ、その人は真の成功者と成れます。

  *良心は「徳=悳」の心http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13526008
真の成功者となれば、常に徳(良心)の有る心で満たされて、大自然から出る原木のように純朴な人間に成ります。

人間が懸命に頑張って働いて、しかも更にその中でも本当に社会的に大成功した人間が至る姿とは、
赤子のような、大自然から出る原木のような、純朴な人間であると老子が言っています。
社会的な成功を他人に自慢しているようでは、まだまだ小さい成功者に過ぎないのです。
成功する人間、成功出来る人間とは、


(1)強さの中にも、女性的な母性を持つ人間が成功します。
男性でもオバチャンのような世話焼きで、配慮が出来る経営者がいますね。

(2)老子(老子- Wikipedia)は、人間は成功が始まり出して生活に余裕が出来始めれば、徳を積みなさいと言っています。
小さな陰の社会貢献でも良いし、身近なボランティアでも良いのです。
要するに成功するには、徳=善行というエナジーの貯金が必要なのです。

コノ世は、「原因」が有って「結果」が生じる法則が貫徹する世界なのです。
だから成功したければ、成功するための原因=努力すること・善行の蓄積が必要なのです。
原因を自分で創らずに、祈ってばかりいても全然ダメなのです。

今からでも、自分の純朴さを思い出しましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


福録
*コノ世の隠れた一面<1>
     http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13927448
*コノ世の隠れた一面<2>
     http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14093043
*老子「道徳経」と伊勢白山「道」<1>
     http://417hikaru.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142200

ミロクの世 369文明 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅

あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
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*【両手を使った完全呼吸法】を行じ身につければ
    http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diary/?ctgy=6
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世義幼子http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diaryall
ミロク文明人徳得 
  http://blogs.yahoo.co.jp/mirokubunnmeizinn/MYBLOG/yblog.html?m=l&p=1

ミロク文明http://blog.goo.ne.jp/mirokubunnmei1919
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弥勒菩薩 論・A・

2012-11-20 20:54:21 | 弥勒菩薩論
*弥勒菩薩論【A】 (シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅰ])の記事
  
2012/11/20精神世界ランキング 新規登録・192位台?クリックお願いしますね・・♪
ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合「概 要」
  はじめに 目次

地球の救い方・・・R.シュタイナーの人智学に学ぶ「リスト」
第一章 シュタイナーの弥勒菩薩の講義に符合する出口王仁三郎の足跡     
 ・シュタイナー(1911年9月21日 ミラノでの講義)
・・・知性と美意識と徳性が人間の魂的生活の中に現れてくる過程を把握するために、もう一度、第五、第六、第七、後アトランティス文化期【1】について考えてみましょう。
■コメント:
■【1】第五、第六、第七、後アトランティス文化期について
 ◇シュタイナーによれば、現代とは、遊星の7段階における地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7区分における第五文化期に当たります。
*ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia

 ◇ 一方、出口王仁三郎は、1871年(旧歴7月12日)(新暦:8月27日)生まれで、新暦1928年3月3日、”満56歳7ヶ月”に『みろく大祭』を行なっています。さらに、新暦1948年1月19日、”満76歳5ヶ月”で昇天しています。
これは、1928年から1948年の間に出口王仁三郎が弥勒菩薩として神業の型を示したものであるとされています。
*出口王仁三郎 でぐち おにさぶろう、新宗教「大本」の二大教祖の一人- Wikipedia

仏教において、弥勒菩薩は56億7千万年後に弥勒仏となるとされており、弥勒が菩薩から仏の階位になる型として、5・6・7という数字は、深い霊的意味を秘めています。そして、王仁三郎は、五六七をミロクと読んでいます。
  
 ◇ 五・六・七の数字の示す意味は双方では違いがありますが、ここでは、双方が、弥勒菩薩と五・六・七という数字に、深い意味を暗示していることを心に留めておいて下さればと思います。
 

* 現在の第五文化期に於いて、道徳的な行為に喜びを感じないとしても、知力が損われることはありません。
第六文化期に於いては様子は全く異なってきます。紀元三千年頃から、悪徳は知能を崩壊させるようになります。

知的でありながら不徳である人間の心的能力は、どんどん退化してゆきます。道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になります。
知が全く「徳」に基づくものになるからです。第七文化期に於いては「徳」を有しない知は存在することができなくなります。【2】・・(途中、省略)

■【2】第六、第七文化期における道徳と智の関係について
 ◇ シュタイナーは、一つの文化期が約2160年単位(黄道十二宮と春分点の周期)で、進んでゆくとしているので、第四文化期(牡羊座文化)から第五文化期(魚座文化)に移行したのは西暦の1413年頃だとされています。よって、
       第五文化期(魚座文化) は、1413年頃からの約2160年間、
       第六文化期(水瓶座文化)は、3573年頃からの約2160年間、
       第七文化期(山羊座文化)は、5733年頃からの約2160年間、
と、推定されます。そして、
       第五文化期は「知的でありながら不徳である人間が退化してゆく時代」
       第六文化期は「道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になる時代」
       第七文化期は「徳を有しない知は存在することができなくなくなる時代」
であると説明しています。

 ◇ 一方、出口王仁三郎は、『ミロクの世』について、「善い事をすればよくなり、悪いことをすれば悪くなる世を称してミロクの世と云うのである。

今までの世は悪いことをしても旨く世間を胡麻化すことが出来れば立身出世も出来るし、善い事ばかりをして居ても、虐げれられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かれなければななぬものも数多くあった。これは悪魔の守護する世であったからである。

ミロクの世になってからは最早かかる不合理は許されない。善い事をすればどんどんよくなり、悪い事を企つれば片っ端から打ち砕かれ、悪の思わくは一つも立たぬ正しい世の中になるのである。」と述べています。
 また、『ミロク三会』の説明の中では、「ミロクの三会の世は、言心行一致の神の表わるる聖代を云うのである。」と語っています。

 ◇ 「ミロクの世」の世界観については、言葉と精神と行動が伴った道徳に貫かれた世界であるという点において、双方の観点は非常に類似していることが解ります。


*・・第四後アトランティス文化期に初めて、キリスト存在は宇宙の高みから下って、肉体の中に現われました。現在の第五文化期に於いて、人間は知力を強化することによってエーテル的形姿を見ることができるように進化した人々が、1930年代から1940年代にかけて地上に現われます【3】。
■【3】進化した人々が1930年代から1940年代にかけて地上に現われることについて
 ◇ シュタイナーは、第五文化期において、1930年代から1940年代にエーテル体に存在するキリストを見ることが出来る人々(高次の見霊者)が、地上に出現すると述べています。自身でもゴルゴダの秘蹟を見霊できたシュタイナーが、どうしてこのように語ったのでしょうか?

それは、第一に、当時の神智学協会が新たな結社『東方の星』を結成し、インドの少年ジダ・クリシュナムルティをキリストの再来であるとしたことが誤解であることを指摘したと考えられます。その後、クリシュナムティは、1929年に「星の教団の解散宣言」してしまったのです。*ジッドゥ・クリシュナムルティ - Wikipedia
そして第二に、これとほぼ同時期に、もう一つ注目すべきことが日本で起っています。それが、出口王仁三郎の行動です。
 
 ◇ 先にも説明しましたが、出口王仁三郎は、1928年(満56年7ヶ月)に『みろく大祭』を行ない、1948年に満76歳5ヶ月で昇天しているのです。。みろく大祭ってから昇天するまでが、1928年~1948年ということで、シュタイナーのエーテル次元に存在するキリストを見るとされる1930年代~1940年代という区切りにほぼ一致しているのです。
 ◇ したがって、シュタイナーの預言した”1930年代から1940年代”に地上に現われる進化した人々とは、出口王仁三郎とその仕組みを担った人を示していると考えられるのではないかと思うのです。


*今から後三千年の間に、多くの人々がエーテル的なキリストを見ることができるようになり、三千年後には、福音書やキリストの生涯の記録を必要としなくなります。その人たちは魂的生活の中に現実のキリストを見るからです【4】。
■【4】『紀元三千年』と『今から三千年後』の文化の違いについて
 ◇ ここでは、”三千年”という言葉が非常に多くでてきますので、多少、補足しておきたいと思います。
シュタイナーは、紀元3000年、つまり現代から約1000年後の第五文化期の終わり頃には、「悪徳は知能を崩壊さえてゆく」としています。
要するに、道徳を顧みない人間は、動物的な本能のままに動く野獣と化してゆくと考えられます。(この問題については、黙示録の666に関わることなのですが、ここでは省略します。)

一方、3000年後とは講義のなされた1911年頃から3000年後ですので、紀元4911年頃ということになり、第六文化期の中期を示すことになります。(【B】の【7】を参照のこと)

 ◇ 出口王仁三郎が神業によって型を示した舞台は、1892年、京都府綾部市の大本の開祖である出口直に艮の金神(国祖・国常立尊)が神懸り、お筆先として神示を綴ったことによって始りました。

この国祖・国常立尊は、大地を修理固成された神であり、この時まで三千年にも渡って退隠されてきたとされています。王仁三郎は、『三千年に実る桃』と題して、「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。」としています。
   
 ◇ よって、人智学でいう地球期の全七文化期という人類の霊的な運行とは別に、三千年単位で運行する神界の仕組みがあるということが、双方の”三千年”という言葉に共通していることが解ります。
ここでは、三千年という言葉を覚えおいていただければ、後でその重要性が解ると思います。


* 第四後アトランティス文化期には、キリストが肉体に受肉したので、人々は肉体的なキリストしか見ることができなかった、ということをはっきり理解するひつようがあります。
現在の文化期に於いて、紀元三千年にかけて徐々にエーテル的なキリストの姿が見られるようになります、キリストが再び肉体の中に現われることはありません【5】。・・(途中、省略)

■【5】キリストが再び肉体の中に現われることはない、ということについて
 ◇ シュタイナーは、キリストは第四文化期に肉体を持ったナザレのイエスに三年間貫いた存在としており、第五文化期にはエーテル体、第六文化期にはアストラル体に、そして第七文化期には人類の偉大な魂の集合体の如き力強い宇宙自我の中に出現すると語っています。

 ◇ 出口王仁三郎は、『キリストの再来』と題して、「(ナザレのイエスに対する酷評を述べた上で)・・・自分の謂うキリストはそんなつまらぬ貧弱なものではない。霊肉体共に安心立命させ、人類の生活に向って、も少し活動力のあるものである。

大本人の中には自分をナザレのイエス、キリストに擬するものがままある様だが、実に迷惑千萬である。自分が嘗て霊界物語に説いたキリストとナザレのイエスとは全然別人であることをここに言明しておく。」と述べています。

 ◇ 以上より、王仁三郎は、第四文化期のナザレのイエスの(三年間ではなく一生の足跡ついて、これを”貧弱”であるとしているので、王仁三郎の云うキリストとは、自我界に現われる次元のキリスト存在であると推測できます。


*・・仏陀の階位は物質界に於いてのみ到達し得るものです。死後キリストに出会うことのできる魂も、物質界に於いてのみ獲得できるものです。菩薩は物質界に受肉し、そこで仏陀の階位へと上昇します。そして、仏陀は再び地上に受肉する必要がなくなります。

今まで話してきましたようなキリスト理解も、物質界に於いてのみ得られるのです。そして、今から三千年の間に、人類は霊的なキリストを見る力を物質界で獲得してゆくことになります。

物質界に於いて、キリストを理解する条件を作り、霊的なキリストを見る能力を用意するのが人智学の使命です。・・ 

■コメント:
 シュタイナーが、この講義を行なった1911年の当時、41歳となった人物が日本の京都府綾部市を拠点に活発な宗教活動を開始していました。
その人物こそ、大本教・出口王仁三郎です。 
私は、シュタイナーの語る弥勒菩薩についての講義を読み解くうちに、大本で神・霊・現の三界の型を示したとされる出口王仁三郎の足跡との間に、非常によく一致しているものを感じました。

そこで、以下にシュタイナーの講義文中に【■コメント】で示した内容と、出口王仁三郎の言動との関連性を示し、その謎を解き明してゆこうと思います。だたし、ルドルフ・シュタイナーの神智学の秘教講義の内容と、出口王仁三郎の「水鏡」「月鏡」「玉鏡」という、いわゆる「三境」の内容等を扱っていますので、ドイツと日本の秘教的な叡智を織り交ぜた少々難解な内容となることをお許しいただければと思います。
(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅰ])の記事より
(弥勒菩薩論【B】につづく)
弥勒菩薩 論・C・
弥勒菩薩 論・D・

(1911年9月21日 ミラノでの講義)
『仏陀からキリストへ』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 書肆風の薔薇 弥勒菩薩より

弥勒菩薩 論・B・

2012-11-17 18:58:00 | 弥勒菩薩論
*弥勒菩薩論【B】 (シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅱ])
2012/11/20精神世界ランキング 新規登録・192~位台?

(弥勒菩薩論【A】のつづき) (1911年9月21日 ミラノでの講義)
*・・・「徳」の発展は地球の進化の衝動とは少し異なります。

ゴルゴダの秘蹟が生ずる前、仏陀の後を継ぐ一人の菩薩が地上に受肉し、ゴルゴダの秘蹟の準備をしました。
ナザレのイエスの生まれる一世紀前に、この菩薩はパンディラのイエス(神智学では、エッセネ派教団を霊的に指導する使命をもっていたとされる人物)の中に受肉しました。
仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスと、キリストと呼ばれる宇宙存在に三年間貫かれたナザレのイエスとは、別の存在です【6】。

■コメント:
■【6】仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスについて
 ◇ シュタイナーは、インドの古い伝説で、弥勒は、釈迦が浄飯王の子として地上に下る以前に、霊界で菩薩の王冠を手渡されたと述べています。
この時から弥勒は、弥勒菩薩として地上に下り、人類の進化に特別の任務を帯びるようになったというのです。

そして、ナザレのイエスの100年前に、タルムード文献に登場するパンディラの子、イエス(イエス・ベン・パンディラ)として、エネッセ派教団を指導し、テラペウス教団とエッセネ派の動きを霊的に指導する任務に着手したといいます。
このパンディラのイエスは、エッセネ派の教義の中に神の冒涜を見た者たちによって、涜神者、異端者として告訴され、石で撃ち殺されて着に吊るされ、処刑された上に汚辱を加えられたとされています。

 ◇ さて、出口王仁三郎は、大本教において五六七殿(みろくでん)で布教活動をしますが、第一次大本事件での弾圧され、蒙古に渡って十字架に磔にされ、銃で処刑される寸前に救われ、第二次大本教事件で二度目の弾圧を経験しています。
また、こうした弾圧の原因も、言論の自由が侵されていた当時の軍国主義に対立したとして、不敬罪に問われたためなのです。

また、王仁三郎は、釈迦は一切を無として神の存在を説かず、イエスは父と子と精霊を説いたため母の要素が欠落しており、どちらも不完全極まりない教理であったと述べています。

 ◇ 弥勒が菩薩という使命を受けて後の、パンディラのイエスとしての人生は、出口王仁三郎の弥勒菩薩の型と、非常に類似しています。
さらに、神の真理を語ったがために、冒涜者としての扱いを受けた点も、非常に似ていると言って良いでしょう。


*パンディラのイエスの中に受肉した菩薩は何度も地上に出現します。
そして、今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送るのです【7】。・・(途中、省略)

■【7】今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送ることについて
 ◇ シュタイナーの言葉から、単純に弥勒菩薩が弥勒仏に至るのは、
      紀元1911年 + 3000年後 = 紀元4911年頃になると推測されます。
つまり、弥勒菩薩が弥勒仏の位階に達するのは、第六文化期の中期から後期であり、第七文化期に、「道徳」に貫かれた地上天国としての「ミロクの世」が訪れると推測できます。

 ◇ 出口王仁三郎は、1928年がこの時であると語っていますが、弥勒菩薩の御魂が王仁三郎に神懸り、「弥勒仏の”型”を開始した年」であると解釈するべきです。
また、それ以前の大本教内での”型”は、さらに縮小された雛型とみることが妥当かもしれません。
 
 ◇ 以上の理由は、【D】の【20】を参照ただければ、十分に理解していただけると思います。


*・・今日の霊学の内容は、浄飯王(じょうぼんのう)の子である菩薩が仏陀となった時に説いた東洋の霊智とは変わることころはありません。
釈迦牟尼仏の説いた教えを実現するのは次に仏陀になる菩薩の仕事だと言われています。

この菩薩は全世界に、真のキリストを啓示する光の智を伝えることになります。パンディラのイエスに受肉した菩薩はキリスト衝動の偉大な師となりました。
このことは、菩薩ヨサファットがいかにキリスト教の師バルラームから教えを受けていたかを伝えている。『バルラームとヨサファット物語』明瞭に示しています。

将来、弥勒仏となるこの菩薩を、東洋の神秘学者は「善をもたらす者」と呼んでいます。
今日の人間にはその概念を持つことができない程の高次の段階の言葉の力が弥勒仏の中に存在することになる、と神秘学は考えています【8】。

■【8】高次の段階の言葉の力を持つ弥勒菩薩について
 ◇ シュタイナー自身、母音と子音の解釈を西洋的に説明しており、アイウエオの母音を木星・火星・土星・水星・金星に関連させ、母音を霊的なものとし、子音を物質的なものだとしています。
さらに、魂は母音によって表現され、霊的な高次元世界に移行すると、子音は消え、母音だけで歌われる宇宙の歌が聴こえるのだといいます。
シュタイナーは、こうした叡智を舞踊芸術オイリュトミーとして芸術・教育・治療に役立てました。

 ◇ 出口王仁三郎は、山口志道の言霊学を「体としての大本言霊学」、中村孝道の言霊学を「用として大日本言霊学」と位置付け、この双方を統合した言霊学の偉人です。

大本の本部、綾部の金龍海には、言霊の五大父音を象徴する五つの島が造られ、その湖面には言霊の水茎文字が現われるとしたといいます。
大正八年(1919年)には、その湖畔に言霊閣を建立し、七十五声を象徴する言霊の鈴と天津金木が鎮斎したといいます。

その他にも王仁三郎の言霊に関する逸話は実に多いのですが、それは言霊によって神を示し、信仰を広めたと表現しても過言ではない程、言霊学に根ざしていたのです。
また、その王仁三郎自身も、一霊四魂を代表する音声は、アオウエイの五大父音である。宇宙の根本の造化作用は、要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果なのである・・・。」と述べています。

 ◇ 出口王仁三郎の言霊学を学んでゆくと、その複雑さと共に、王仁三郎の言霊の力をすることができるはずです。
母音を霊的なものとするシュタイナーが語る弥勒菩薩の特長を、王仁三郎が存分に発揮していたことは明らかです。


*高度の霊的感覚器官によって世界の進化を知覚することによって、三千年後に弥勒仏が説く教えを知ることができます。
その説法は、象徴的な形で語られますが、人類はまだ十分に成熟していないので、弥勒仏が語るような言葉を語ることはまだできません。

 仏陀は、正しい意見、正しい判断、正しい言葉、正しい行為、正しい見地、正しい努力、正しい記憶、正しい確認の八正道という形で、偉大な智を与えています。
弥勒仏の語る言葉には霊力があり、それを聞いた人の中に「道徳」的衝動が喚起されます。
聖ヨハネがキリストについて「そして言葉は肉となった」と書いたのに対して、弥勒仏の福音は「そして肉は言葉となった」と記されるでしょう【9】。

■【9】弥勒仏の福音は「そして肉は言葉となった」と記されることについて
 ◇ シュタイナーは、弥勒菩薩ではなく、3000年後に弥勒仏と存在の福音について述べているのでこの言葉の真意は、その時が来るまでは解らないのかもしれません。 

 ◇ 出口王仁三郎は、大本の言霊学で「新約聖書のヨハネ伝首章には、言霊の秘事を漏しあり。」
として、「(要約すれば)宇宙万有の主宰の全大主神は、言霊を以って天地を創造し、経綸を創めたことから、万民の安堵せしめる神国を招来するためには、軍事や教育、政治、宗教では絶対に不可能であり、天津神の八咫の鏡、すなわち言霊の妙用に他ならないのである。」と述べています。

 ◇ 以上の王仁三郎の言葉は「言葉は肉となった」という解釈とは異なるものの、肉体を持った人間が善言美詞を常とすることによって、万民が安堵できる神の国(ミロクの世)を招来するために必要不可欠であることが解ります。
それは、ある意味では、霊的次元への上昇であり、肉が言葉になることではないでしょうか?


* 弥勒仏の説法は、キリストの力が浸透したものです。
弥勒仏の生涯はキリストの生涯と同じ型をとるであろう、ということが霊的な探求の結果から明らかにされています【10】。

■【10】弥勒仏の生涯はキリストの生涯と同じ型をとることについて
 ◇ この内容は、上記【6】のパンディラのイエスを参照していただければ、いっそう深い理解が得られると思います。
 
 ◇ 大本では、1921年2月12日に第一次大本事件が起り、1924年2月に蒙古に向かい、1927年5月17日に第一次大本事件が免罪となっています。
王仁三郎はこれを『ミロクミロク』と題して、「大本事件初まって満三年にして蒙古に行き、又満三年を経て無罪となる、前後七十二ヶ月、即ち三十六ヶ月と三十六ヶ月、ミロク、ミロクである。」と語っています。
さらに、王仁三郎は蒙古に行き、そこで十字架に縛り付けられ、キリストの『型』を示します。そして、九死に一生を得て帰国するのです。

 ◇ つまり、これは、シュタイナーの語る「キリストの型をする弥勒仏」の見解と、「蒙古で十字架に架けられることを『型』として示した」という出口王仁三郎の見解という、双方の主張する弥勒仏の姿と、その『型』が見事に一致してるのです。


*古代に於いて、人類の師となるべき偉大な人物が世に現われると、その人物は若い頃から特別の才能と魂の資質を現したものでした。

とはいえ、人生のある時期に至って、人格を一変させるような導師も存在します。

そのような人類の導師の自我は、人生のある時期に肉体の外皮から去り、別の存在の自我がその肉体に入るのです。イエスはこのような導師の典型です。
イエスが三十歳の時、彼の自我は肉体から離れ去り、代わって、キリスト存がイエスの内部を占領しました。
弥勒菩薩はどの転生に於いても、この型の生涯を送ることになります【11】。

■【11】弥勒菩薩はどの転生に於いても「三十歳頃に別の自我が入る」型の生涯を送ることについて
 ◇ 出口王仁三郎は、京都府亀岡市の穴太の農家に生まれ、13歳で小学校を中退し代用教員となり、22歳で園部の牧場で働き、25歳の時穴太で精乳館を開業します。
そして、27歳の時に高熊山に導かれ、一週間の修行をし、その後に床縛りなどで霊界の全貌を知悉すると共に、自己の使命を自覚するようになってゆきます。

28歳で初めて綾部の出口直を訪問し、29歳の時に再び綾部に行き、30歳で出口直の末娘である出口澄と結婚します。この頃、王仁三郎にはスサノオの使命を担うようなります。
そして、長らく誤解と非難を経て、15年後の45歳になってはじめて王仁三郎がミロクの大神様であることが、大本で認められることになります。

 ◇ 王仁三郎は、27から28歳の頃、極めて深い霊的体験を繰り返し、30歳前後からスサノオノ尊という(シュタイナー云う)「別の存在の自我」が肉体に入り、その『型


(弥勒菩薩論【C】につづく) 
  (1911年9月21日 ミラノでの講義)
【『仏陀からキリストへ』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 書肆風の薔薇 P96弥勒菩薩】より