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老子(ろうし)プロフィール

2012-12-17 23:14:20 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
老子 - Wikipedia 伝説では、老子は周を去る際、水牛に乗っていたという
      
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老子(ろうし)は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。

書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。

道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。

中国の言い伝えによると、老子は紀元前6世紀の人物とされる。
歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある。

老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く李氏の多くが彼の末裔を称する。
歴史上、彼は多くの反権威主義的な業績を残したと受け止められている

生誕 不明(紀元前6世紀など諸説あり)
死没 不明
時代 中国・春秋時代(諸説あり)
主な概念 道、無為自然


・史記の記述
老子の履歴について論じられた最も古い言及は、歴史家・司馬遷(紀元前145年 - 紀元前86年)が紀元前100年頃に著した『史記』「老子韓非列伝」中にある、三つの話をまとめた箇所に見出される。

これによると老子は、姓は「李」、名は「耳」,字は「耼」(または「伯陽」)。
楚の国の苦県(現在の河南省鹿邑県)、郷の曲仁という場所の出身で、周国の守藏室之史(書庫の記録官)を勤めていた。
孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)が礼の教えを受けるために赴いた点から、彼と同時代の人間だったことになる。


老子は道徳を修め、その思想から名が知られることを避けていた。
しかし、長く周の国で過ごす中でその衰えを悟ると、この地を去ると決めた。老子が国境の関所(函谷関とも散関とも呼ばれる)に着くと、関所の役人である尹喜が「先生はまさに隠棲なさろうとお見受けしましたが、何卒私に(教えを)書いて戴けませんか」と請い、老子は応じた。

これが後世に伝わる『老子道徳経』(上下2編、約5000語)とされる。この書を残し、老子はいずことも知れない処へ去ったといい、その後の事は誰も知らない。


「老子」という名は尊称と考えられ、「老」は立派もしくは古いことを意味し、「子」は達人に通じる。
しかし老子の姓が「李」ならば、なぜ孔子や孟子のように「李子」と呼ばれないのかという点に疑問が残り、「老子」という呼称は他の諸子百家と比べ異質とも言える。

出身地についても疑問が提示されており、『荘子』天運篇で孔子は沛の地(江蘇省西北)に老子を訪ねている。
また「苦い」県、「(癩=らい病)」の里と、意味的に不祥の字を当てて老子の反俗性を強調したとも言われる。

曲仁についても、一説には「仁(儒教の思想)を曲げる(反対する)」という意味を含ませ「曲仁」という場所の出身と唐代の道家が書き換えたもので、元々は楚の半属国であった陳の相というところが出身と書かれていたとも言う。
『史記』には続けて

『老子道徳経』から推測される老子
・議論
老子が著したと伝わる『老子道徳経』は、『老子』『道徳経』『道経』『徳道経』『五千言』など、様々な名称でも呼ばれる。
この書籍の真偽、元々の形についても老子の実在や時代の判断に直結する事もあり、数多くの主張や議論が行われてきた。
この『老子道徳経』成立期が判明すれば、それは老子が生きた時代の下限と考えられる。

『老子道徳経』(『老子』)がその書籍名を明示して引用された最初の例は、前漢の武帝代に淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が編纂した『淮南子』である。
ここに注目し、『老子道徳経』は先人の金言が徐々に集積され、武帝の時代に形式が整えられて書名が与えられたという説がある。

・老子の社会階級
老子が描く理想的な「小国寡民」国家は、とても牧歌的な社会である。
老子が言う小国寡民の国。そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。
船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もないと、戦乱の無い世界を描く。

民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り、料理も衣服も住居も自給自足で賄い、それを楽しむ社会であるという。
隣の国との関係は、せいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無いという。

このような鮮明な農村の理想風景を描写しながら、老子は政治について説いてもおり、大国統治は小魚を調理するようにすべきと君主へその秘訣を述べ(60章)、要職者などに名声が高まったら返って謙虚にすべきと諭している(9章)。

 『老子道徳経』は5千数百字(伝本によって若干の違いがある)からなる。全体は上下2篇に分かれ、
道經と徳經とを合わせて九九(句句)の八十一篇ある。
   *言霊(ことだま)参照(神言会
図は、仏教で宇宙の真理を現す基本曼荼羅です。八十一体の仏で現します。
   369(9×9=81)真法神・魔方陣・中心の41は【ラ・良真】
 *菊理媛大神(ククリヒメ)・御神徳、調和と結合の神、和解の神総てのものをくくり合はされるをご使命とされる仲直りの神様』とある。
 *良心は「徳=悳」の心

上篇は道経「1章~37章」・・37句・・3+7=10=十
第一章「道の道とすべきは常の道に非ず(道可道、非常道)」で始まる
下篇は徳経「38章~81章」・44句・・4+4=8=八+十=18=3+6+9
第三十八章「上徳は徳とせず、是を以て徳有り(上徳不徳、是以有徳)」で始まる 


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あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
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       国常立の太御神 様 ・現界・肉宮身・個性塊【神美】    
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