あなろぐちっく

mintonのスナップと気まぐれつぶやきブログ。コメントは古い日記でもお気軽に。写真の無断利用は厳禁。

テールランプ

2006年03月19日 00時16分19秒 | NOKTON35mmF1.2
今日の午後から振り出した雨は、夕方には本降りとなった。
帰路には単線の電車線路と川を跨ぐようにして、国道が立体交差している。
その坂を上っていくと、前の車のテールランプの赤が路面に反射して、垂直に朱を垂らしたようにひかっている。前の車もその前の車も左右のテールランプがてらりと光る。
運転しながらぼんやりとそれを見ていたら、黄ばんだ光が朱の光とは異なる速さで垂直に落下するように落ちていった。

その光の先を探したら、目線のずっと上の街路灯の灯りであることに気付いた。

自分だけの秘密が増えたようで思わずにんまししてしまった。


明日から北海道。でも天気がとても悪いらしい。
心配です・・・・・

きょうは慌ててるので、既出の写真だったらごめんなさい。そうだったら来週入れ替えます。
木曽の温泉にて撮影。
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WBCその2

2006年03月17日 15時59分31秒 | NOKTON35mmF1.2
昨日WBCで韓国に負けてベスト4進出が絶望的になったことを書いたんだけど、先ほどgooのニュースを見たらアメリカがメキシコに負けちゃったので、日本が2位になったと書いてあった。これでまだ試合ができるね。
それにしても・・・・すごいたなぼた。

きょうの試合でも前回物議を醸した審判が誤審しちゃったらしいけど、メキシコはそれにめげずに頑張ったみたい。

まさかそんなことがってことが起こるんですねえ。


きょうの写真は先週訪れた浅草で撮影したもの。
R-D1をISO1600にして、ND4フィルターをいれて開放気味にして撮影。
CCDノイズとボケの両方ゲットの実験的な写真です。くだらない挑戦ですね^^;
人ごみの中でNDフィルターをつけて撮影してると、赤外線フィルターでの盗撮と間違われそうでスリリングです。

素敵なお嬢さんだったので、後姿をパシャリとさせていただきました。
隣のお嬢さんと二人連れだったけど、ぼくの好みで一人を中央へ。どうもすみません。
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WBC

2006年03月16日 16時23分14秒 | NOKTON35mmF1.2
きょうはずっと打ち合わせで、今パソコンの前にきました。

WBC、韓国に負けちゃったんですね。
くぅ~残念。でも楽しめたからいいかな。


先日nene♪さんに違う椅子を用意するって言ったので、夜の椅子を持ってきました。
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あんかけそば

2006年03月15日 11時25分38秒 | NOKTON35mmF1.2
きょうの昼は何を食べようと考えていたら、ふと父と食べたあんかけそばのことを思い出した。30年前のこと。


ぼくの親は木工業を営んでいて、年に何度か名古屋の貯木場に材木の買い付けに出かけた。

大学時代の長期休みは自転車の旅とJAZZ合宿を除いては、ずっと家の手伝いに信州に戻って家業を手伝った。
小学生の頃から送り状の印刷を手伝っていたし、高校生の頃からは出荷の荷造りは自分の仕事となっていたから、家業の手伝いは当たり前のことだった。
自動車免許を取得すると、材木買い付けのための運転手も当然の流れ。


広い貯木場には直径1~2m長さが5m以上のスプルースの原木が一面に浮かんでいる。
ぼくらはその材木の上に飛び乗って、丸太乗りのように二人で丸太を揺すりながら勢いをつけて、1回転させる。丸太が1回転する間に木の目を見て良し悪しを判断するという作業を続ける。危険な作業である。
数本の買い付けで500万円以上になるので、とても真剣な作業となる。その当時の物価からするとかなりの金額だと思う。
当然ながら気に入った何本かを選ぶのにかなりの時間を要す。

大学3年の頃だったが、仕事が終わって二人で食事をしようと父が言った。
材木問屋の並ぶ地味な町の中の中華料理屋に入った。
父はしばらくメニューを見てから、ラーメンを注文し、ぼくはあんかけそばを注文した。
父が「それはどんなものか?甘いのか?」と訊いた。餡がかかっていると思ったらしい。
「おまえはおしゃれなものを知っとるなあ。父さんはメニュー見てもラーメンしかわからんなあ」と父が言った。
ぼくはどういうものかを説明したけれど、説明しながら申し訳ない気持ちになった。
一時期は少し栄えた家業ではあったが、そのために事業を広げ土地を買い、仕事と支払いに追われていたのであろう。

食に贅をすることもなく仕事に打ち込み、家族のために尽くしてくれた父の生き方が心に染みた。


きょうの写真は数日前の旧山手通りにて深夜3時に道路工事をする人です。
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ベニーグッドマン物語

2006年03月14日 10時40分58秒 | HEXANON35mmF2 1st
きょうはホワイトデー。
朝からずっとふわりふわり、雪が舞ってる。
山はまだらに日が当たりながらも、舞う雪で遠くは霞んでいる。


きょうはクラリネットの話をしよう・・・


昔は深夜放送で名作映画が毎日放映されていた。

音楽やミュージシャンを題材にした映画も数多く、「グレンミラー物語」、「愛情物語」、「アイドルを探せ」を始め、リスト、シューマンの自伝モノなどもあった。
ミュージカルモノも名作がいっぱい。

ぼくは中学生の時にはブラスバンドでトランペットを吹いていた。
中学3年生の夏、広域の中学生ブラスバンドの発表会があり、そこでソロで演奏することになり、夏休み中毎日学校に通って個人練習をしていた。
二つ上の兄の自転車を借りて通っていたが、乗りなれない自転車で、壁に激突してしまった。原因は外装変速機のギヤチェンジは回転させながらしなさいよと言われたことを、負荷がかかった状態にしなさいよという意味かと思った勘違いが原因で、急坂で負荷をかけようとしたらスピードが出すぎてしまったというお粗末なものだった。
発表会直前に唇に20針以上縫う怪我をしてしまい、食事もままならずましてや大会は出られなかった。
父はそれにみかねてクラシックギターを1台持ってきてくれた。
この話は機会があればまたするけれど、管楽器にふれられない毎日が続いた。
その頃見たのがベニーグッドマン物語。

こんな洒落た音楽があるのかとびっくりした。
その甘い響き、ハモリ、メロディ、どれもが別世界だった。

トランペットの演奏はもう無理かなって思っていたぼくは、もう一度クラリネットでやり直してみようって思った。高校に入学するとクラリネットの演奏を始めた。

クラリネットの演奏は楽しかったぁ~
ぼくはその後、肺を傷めて管楽器を吹くことを諦めるんだけど、そこではまったのがギター。


ぼくの人生の縮図はこの頃からあったのかもしれないなあ。
行き当たりばったり。流されるままに今がある。
トランペットが吹けなくなったことでクラリネット、クラリネットが駄目になったことでギターと、失うことで次に出会ってきたような気がする。
人も物も長く付き合いたい性格なので、失うことにとても抵抗がある。失って全てが見えなくなるという臆病さが付いてまわってるんだと思う。

でも、次にはちゃんと別の出会いがあるんだよね。きっとなにかに出会える。きっと見えてくるよ、ね。

今日の写真は昨日撮影した通勤途中の紅梅。数日前には咲いていなかった。
HEXANON35mmF2 このレンズはリバーサルのような深みがある。
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日野コンテッサ

2006年03月13日 11時18分16秒 | D100
先週末の研修旅行の帰り道に石川県の自動車博物館に寄った。
懐かしい車の数々を飽きることなく拝見させていただいた。

父が昔乗っていた車たちのいくつかを見ることができた。
ダイハツの三輪車、マツダの三輪車、日野ルノー、日野コンテッサ・・・・

日野コンテッサは空冷のリアエンジンリアドライブの車。リアエンジンであるために、走行中のエンジン音は案外少ない。これは初代のフォルクスワーゲンビートルも同様だった。

40年前のぼくの生家は車や蓄音機、テレビなど、まだ近所では珍しいものが揃っていたところを見ると、それなりに裕福だったのかもしれないが、父は家族旅行などをすることはほとんどなかった。母はそれ以上にどこにも出かけることがない人だった。

コンテッサに乗せてもらって、数十キロの距離にある諏訪湖に出かけたことがあったが、そのときはこのコンテッサが故障して大変な目に遭った。父は普段は日野ブリスカやルノーに乗っていたのでぼくがコンテッサに乗せてもらうことはほとんどなく、この故障の時と、工場のすぐ近くの家のお嬢さんを乗せた時と、コンテッサからコンテッサに乗り換えた時などほんの数回だけだと思う。
そのお嬢さんは母よりずっと若く綺麗な人だったように記憶している。母以外の女性というものがよくわからない少年だったが、母には言うまいと子供心に思った。父は普段絶対買ってくれない缶ジュースを買ってくれた。その当時長野県限定で発売されていたドクターペッパーというコーラのような飲み物で、缶の1/3も飲んだら胃の中がぱんぱんになった。助手席に座るお嬢さんの膝の上に座り無理してドクターペッパーを飲みながら、ぼくは爆竹を仕込んだ蛙を思い浮かべていた。
「かわいいね」と言われてなにも言えなかったことと、ぼくの体を抱えて「細いね」って耳元で言われたことが記憶に残っている。
もう一度の乗り換えの時は新車のコンテッサを運転し始めて10分ほど経った時に、父が止まっているダンプカーに突っ込んだ。このときの記憶は曖昧だが、家の近くの上松医院で頭に刺さったガラスを抜いてもらったと記憶している。今はダンプカーのバンパーに追突車が潜り込まないようにバーが入っているが、それがない時代だった。
父が怪我をしたという記憶もないし、謝られた記憶もない。自分が車嫌いになることもなかったし、父を嫌うこともなかった。

事故以降しばらく、ぼくは車に乗ることはなく、出歩くよりも一人でいることが増えたように思う。
一人で窓の外を眺めて、そこから見える風景を絵にすることが多くなったと記憶している。

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ギャップ

2006年03月12日 11時54分24秒 | NOKTON35mmF1.2
二日間福井県へ地元の公民館活動の研修旅行があった。
参加者は60歳前後から70歳までがほとんどだった。

バスの中では演芸会の様相を呈し、三波春夫の赤穂浪士を丸ごと演じきる人もいるし、昭和20年、30年代の歌を合唱したりと、それはにぎやかな旅行だった。
しかし悲しいかな、ぼくの知る音楽はどこにもなかったし、楽しめる話しもそこになかった。

年代ギャップということもあるかもしれないが、若い頃に何を体験したかという部分が趣味に影響するんじゃないだろうか。

帰りのバスではさすがに疲れたことと、花粉症が悪化してしまったこともあり、数日前に購入したジャズのブルーノートの6枚組のCDをiPodにリッピングしたものを聴いていた。
ぼくにとっては同じ古いのでも、1960年代辺りのJAZZが心地よく癒される。

小さな会社の息子だった我が家は少しだけ裕福で小さい頃から蓄音機があった。そのおかげで小さい頃から78回転のSP盤でいろんな音楽を聴いていた。母が音楽好きでオルガンがあったので、習ったわけではないが、ぼくもバイエルを弾いていた。
家でギターを作っていたいこともあり、西洋音楽ばかりを聴いて育ったぼくには、演歌はいまだに異質な音楽。心地悪くはないけど長時間だと厳しい。

変わり者じゃないかと自己分析するぼくの性格の根底には、生まれ育った環境の違いも大きいのかもしれない。

きょうの写真は数日前に撮影したもの。深夜3時頃にぶらりと散歩した旧山手通り。
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東京

2006年03月09日 15時49分19秒 | NOKTON35mmF1.2
一昨日は地元で夜に会合があったため、車で夜10時過ぎに家を出て深夜に東京に入った。
午前2時前の渋谷は、夕暮れ時と違わないほどの賑わい。
この人たちは体内時計がないのかしらん。

いつもの公園ではスケボーをする若者達が数名いた。
格好とは裏腹にやけに丁寧な言葉使いの若者だったので少し驚いた。

ぼくも若い頃はスケボーで遊んだなあと、昔を懐かしんだ。

写真はいつもの公園に向かう途中のコンビニの前で撮影。
Nokton35mmF1.2は夜の撮影には最強のレンズとなる。
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祭り

2006年03月07日 17時06分55秒 | HEXANON35mmF2 1st
ぼくが田舎に移り住んで十数年が経つ。
生まれ育った町ではないが、何時の間にか土着になりつつある。
今月末は近くの神社の春祭り。
町内を獅子が歩き、神社では巫女が踊る。
役員になった男達が集まり、獅子ひきの綱を絶対に踏まれないようになどというどうでもいいことを至極真剣に検討し、当日はその役に専念する。

舞を踊る巫女に指名されるのは高校1年生の女子。処女であることが条件であるがこればかりは調べるすべがない。
獅子ひきは小学校高学年の男子数名が指名され、指名された子供は祭りが終わるまで神聖な人として扱われる。送り迎えは祭りの担当が行い、小学校への行き来には地面に足をつけさせないように背負う。祭り当日の出番が終わると、その家は近所や親の同年などを呼び宴会となる。すべての人に酒を振舞い手土産を渡す。親はこの役に指名されることを名誉とする。
獅子の回りにはひょっとこや天狗の面をかぶった男達が踊る。これは42歳の厄年男子の役目。祭りの間は面を外して顔を見られてはならない。
振る舞い酒を飲むのも面をずらして飲むかストローとなる。ここだけの話だが、面をしたままゲロを吐いた人がいたようで、消臭はしてあるのだが臭い面がある。これを二日間の祭りの間被り続けるのはとても苦痛だ。たぶん今年も厄年の男達はそれを避けるがために面の取り合いになることだろう。

外部の人にとっては無意味で面倒なだけの風習が脈々と生き続けている。
今の自分も全てを良しとは思わないけれど、年老いて地域に根付いた時に、そういう風習で人のふれあいを感じ、季節の節目を教えられることが楽しみになるのかもしれない。

きょうの写真は会社から10分ほどの場所。6年2月7日のエディコスタの写真の場所のすぐ近くで撮影。写真からも徐々に春が近付いたことが伝わってくる。
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MINIへの愛着

2006年03月06日 11時45分40秒 | HEXANON35mmF2 1st
ぼくの妻は車音痴で、BMWやベンツはマークでわかるけど、プジョー、シトロエン、アウディはわからない。フォルクスワーゲンでもビートルだけはわかるけれど、それ以外は判別不明。
国産車でも身内が乗っているビッツとフィットくらいはわかるけれど、それ以外はわからない。
そんな調子だから車に愛着などもなく、ホイールはどこかで擦っているし、サイドパネルには擦り傷がいくつもあり、エンジンオイルの交換など興味もなかった。当然ながらワックスをかけるなんて気持ちは生まれなかった。
いままでの車種決定は色も含めてすべて妻任せで来ていたのだが、現在乗っている車はぼくが選定した。
昨年ぼくの車と同系列のディーラーで扱うMINIという車を購入したのだが、今までにない愛着を持っているようだ。この車に乗る人は往々にして思い込みがあって購入する傾向があるようだが、我が家の妻のようにその車を見たこともなくても、すごい愛着がわくのだなあと他人事のように感心している。
常にワックスをかけて、汚れると洗車。常にぴかぴか。車内も常に綺麗で、シンプルイズビューティーで余分なものを置かない。前の車までアクセサリなどがあちこちにぶら下がってたのに、今はそれもなし。
愛着のおけるものに出会うってのはとてもレアなケースかもしれないけど、出会えると人は変わってしまうんだなあと感心している。
仕事や恋愛もきっと似ていて、どれでも大同小異と片付けてしまう人がいるけれど、よい相性の対象が見つかるかどうかで、やる気も愛着も違ってしまうんだろうね。

きょうの写真はHEXANON35mmF2で撮影した妻の車の車内。
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