3月21日に日帰りで東京の西荻窪でおじの卒寿のパーティに出席した
おばからは、パーティそのものも僕が都内に入ることも秘密だからと口止めされていたのでおじとの会話で誕生日ネタから話を逸らすのにちょっと大変な数ヶ月だった
西荻のライブハウスを借り切ってのパーティはおじの会社のスタッフの有志や従兄弟と友人たちや従兄弟の子供たち
乾杯の挨拶に僕が登場しておじはびっくりしていた。
この店でレギュラーで演奏しているジャズミュージシャンの奥さんが隣で音楽話で意気投合。
出し物はアマチュアながら40年続いている叔母がボーカルのジャズバンドの演奏におばの息子の一人もサックスで参加した
別の従兄弟が伴奏して奥さんがジャズを何曲か歌い、他の従兄弟たちの嫁さんがバックコーラスに入った
2時間ほどの演奏で、彼らの友人のプロも参加しての本気の演奏となり楽しい演奏だった
パーティーの参加者は50名ほどで顔を見るのは何十年ぶりの人たちもたくさんなのに、当時の愛称でお互い話してたくさん笑った
翌日は名古屋で打ち合わせがあったので、日帰りの東京だったけれど、とてもいい1日になった
この写真はおじへのプレゼントの花束を作ってもらった西荻の花屋さん
ここの近くのアンティークショップもとてもいい雰囲気で20分ほど店主の方と話し込んだ
ベルナールビュッフェの作品がたくさんあって、次は時間がある時に寄ってみたい
いい街だなあ
僕の好きな街、西荻
西荻のことはまたいつか・・・
iphone13 pro
パーティ会場に入る前に信州に住む妹と新宿で待ち合わせ
お昼ご飯どうする?って聞いたら美味しいオムライスの店を調べてきたというスマホ頼りの妹の後ろを歩いていくとそこはアカシア
妹はオムライスを頼んだ
「ここはロールキャベツ有名だよ」と教えて、僕はロールキャベツをオーダー
一つ分けてあげた代わりにオムライスを少しもらった
僕の東京の思い出話を食事しながらいくつか話した
ずっと信州の妹は「私も東京で少し生活しておけばよかったな」と呟いた
おばからは、パーティそのものも僕が都内に入ることも秘密だからと口止めされていたのでおじとの会話で誕生日ネタから話を逸らすのにちょっと大変な数ヶ月だった
西荻のライブハウスを借り切ってのパーティはおじの会社のスタッフの有志や従兄弟と友人たちや従兄弟の子供たち
乾杯の挨拶に僕が登場しておじはびっくりしていた。
この店でレギュラーで演奏しているジャズミュージシャンの奥さんが隣で音楽話で意気投合。
出し物はアマチュアながら40年続いている叔母がボーカルのジャズバンドの演奏におばの息子の一人もサックスで参加した
別の従兄弟が伴奏して奥さんがジャズを何曲か歌い、他の従兄弟たちの嫁さんがバックコーラスに入った
2時間ほどの演奏で、彼らの友人のプロも参加しての本気の演奏となり楽しい演奏だった
パーティーの参加者は50名ほどで顔を見るのは何十年ぶりの人たちもたくさんなのに、当時の愛称でお互い話してたくさん笑った
翌日は名古屋で打ち合わせがあったので、日帰りの東京だったけれど、とてもいい1日になった
この写真はおじへのプレゼントの花束を作ってもらった西荻の花屋さん
ここの近くのアンティークショップもとてもいい雰囲気で20分ほど店主の方と話し込んだ
ベルナールビュッフェの作品がたくさんあって、次は時間がある時に寄ってみたい
いい街だなあ
僕の好きな街、西荻
西荻のことはまたいつか・・・
iphone13 pro
パーティ会場に入る前に信州に住む妹と新宿で待ち合わせ
お昼ご飯どうする?って聞いたら美味しいオムライスの店を調べてきたというスマホ頼りの妹の後ろを歩いていくとそこはアカシア
妹はオムライスを頼んだ
「ここはロールキャベツ有名だよ」と教えて、僕はロールキャベツをオーダー
一つ分けてあげた代わりにオムライスを少しもらった
僕の東京の思い出話を食事しながらいくつか話した
ずっと信州の妹は「私も東京で少し生活しておけばよかったな」と呟いた
荻窪には若い頃に彼女がいて、阿佐ヶ谷はずっとバイトしていた街でした。
ビュッフェ、もう35年以上も前ですが、買おうと思ったことがありました。
少し無理をすれば買えたのですが、結局買えず仕舞いでした。
買ってよけばよかったと思うことも何度かありましたが、
「どこに飾るんだよ!」と、自問自答することもありますが、
良いですよね。
中央線の西荻、高円寺、阿佐ヶ谷や世田谷線沿線などは澄み続けたいまちランキングでは上位を独占しています。
結構人気のエリアで、散策マップもあるので若い女性がマップ片手に歩いていました。
僕の知ってる西荻はもっと地味でした。実は親戚が戦前からずっと住んでいる町です。
ビュッフェは写真でみるとなんてことないですが、実物は結構大きくて圧を感じますよね。
我が家も飾る場所が問題です。
東京にいるころにほんのすこしだけしか西荻に行きませんでしたが、父が学生の頃に済んでいた話を時々聞きます。素敵な花屋さんですね。西荻もどんどん変化してるのでしょうか。
今や、還暦を迎えた人はこれを目指す時代になりましたね
長生きも良いのですが・・・元気で長生きしたいですね
西荻はそれほど変化していないような気がします。
なんだかのんびりした雰囲気です。
寂れていないけど、最先端でもない。
普通に生活できる普通の町。落ち着きますよ。
幸いなことにおじもおばもパーティにでられるくらいに元気です。
自分ももうその世界に向かっているので、とにかく健康でボケず家族から疎まれないように生きていきたいと思っています。
健康でボケずにポックリ.究極はこれですね.なかなかそうは行かないのが現実ですが.
西荻はなんかのんびりした感じがありますよね。
昔からそんな感じ。
僕の記憶は親戚に行くだけなのでお店のことはからっきしわかりませんが、半世紀前の面影残ってます。
ボケないってところがすごいですよね。
練馬にいる叔父もまだ89才の現役で、たまにネットなどに名前が登場するので、その度に連絡をすると、死ぬまで現役で頑張るんだそうです。
僕が大学1年の時にクレージーなんちゃらの管楽器の方と接点ができておうちに遊びに行ったりはっぱふみふみなどと言っていた司会や文筆業の方の前妻さんとも知り合いになり、叔母は長いお付き合いをしています。
ジャズが好きで中央線沿いのとあるお店におじ夫婦も顔を出すようになり、そこのマスターなどもお知り合いになりミュージシャンとも知り合いになりました。
おじのリビングにはあるピアニストのグランドピアノが寄贈されていて、以前はジャズミュージシャンの方たちや愛好家の方が集まってホームパーティをしていました。
ギターは僕の家で作っていたことがあり、そのギターを従妹に譲ったところからどっぷりと音楽一家になっていきました。おばもですが、長男もアマチュアながらCDを出しています。
サックスを吹く従妹は若い頃は音楽には興味なかったのですが、40の手習いで始めてどっぷり浸かっています。
音楽は好きになったならいくつになって始めてもそれなりに楽しめますね。
おば様の優しさもご親戚の皆さんの仲良しぶりも本当に素敵ですね。mintonさんの温かいお人柄の原点を見つけたような気がしています。
ジャズもただ聴くだけでなくて、自分も参加してセッションしたら、それはそれは楽しいだろうと思います。それに加えて、従弟たちみんなで同じ趣味に興じるなんて滅多に聞きませんもの・・羨ましい限りです。
こんな風にお祝いしていただけて、おじ様はお幸せですね。
西荻って私は縁がなくて足を踏み入れたことのないエリアですが、mintonさんのお話を伺って、今度訪ねてみたくなりました。
おじとおばには感謝しかないです。
本当にお世話になりましたしこれからもお世話になっていきます。
もしこの二人がいなかったら僕の人生は違うものになっていました。
たくさんの出会いのきっかけをもらいました。
僕の人生の中で一番多くを学んだ時期でした。
普通の田舎出身の大学生のように、普通にアパートに住んで同年代の友人とたわいもない話をして、普通に就職していたら・・・
自分で言うのも変ですが、僕は何も取り柄もないし才能もないんです。そんな自分がそれなりにここまでこれらたのは、人に恵まれたおかげです。