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「ゲド戦記」

2006年08月18日 | 出来事
前評判があまりよくなかったので、観ようかどうしようかかなり迷った作品です。
結局、評判がよくない理由を自分の目で確かめたくなって、割引になる日に
観にいってしまいました。(せこい・・・)
以下、映画の内容にも踏み込んだ感想です。


一言で書くと、「何を描きたかったのかさっぱりわからない」

原作の3,4巻を下敷きにしているそうですが、アレンが影に苦しんでいるのは
完全に1巻のゲド自身を反映していますし(シチュエーションが全く違いますが)
アレンとテルーには、原作だと10歳くらいの年齢差があるんですよね。
テルーの火傷痕の表現も半端です。尤も、原作に忠実にしたらこのへんはかなり
きついものがあるので、柔らかくしたのかなとも思えますが。

3巻では北方のエンラッド国から王の使者として、はるばるローク島(ゲドがいる
魔法使い養成学校)の大賢人・ゲドに会いに来たことから話が始まります。
半分近くは海の上での出来事が書かれています。
映画の舞台になったホート・タウンのある島にはわずかしかいなかったんですが。
クモも、あの城に閉じこもっていたわけではなく、西方の島にいます。
そのクモが開いてしまった、世界の均衡を崩す扉をゲドが魔法使い生命をかけて
閉じる、というクライマックスです。
アースシー世界を広範囲に渡って動いていた原作と比べると、ひとつの島だけで
全てを済ませようなんて、なんとスケールの小さいこと。と思ってしまいます。

4巻でテナーが住んでいる場所もホート・タウンのある島ではなく、ゲドの出身地
ゴント島です。まじない女のように、病気に効く薬を処方したりはしていません。

とにかく、今の時代を反映させたかったらしい映画のようなんですが、無理に
そんなことをこじつけなくても、原作に忠実に作っていけばもう少しいいものに
なったのではないか・・・そう思われてなりません。
少なくとも、1,2巻を省いたことで、原作を読んでいない人にはさっぱり
わけのわからない場面もあったと思います。
せめて1,2巻でひとつの映画にして、3,4巻でその続編を作って、の方が
原作『ゲド戦記』を生かせたものになったはず。

だいたい、ゲドが全く何も活躍していません。ゲドの「戦記」ではありませんね。
アレンの成長物語かなんかですか?
テルーとテナーは何のために無理矢理登場したのですか?
ラストまで、???マークが沢山ついた映画でした。

極めつけはエンドクレジット。
原作『ゲド戦記』 アーシュラ・K・ル=グウィン  の次に、なんと!
原案『シュナの旅』 宮崎駿  

これって一体・・・原作世界を足蹴にしてませんか?
宮崎駿監督は『ゲド戦記』の大ファンで、『ゲド戦記』を映画化できなかったから
「風の谷のナウシカ」を作ったと言われていますし、宮崎駿作品の中には随所に
『ゲド戦記』の影響を受けた箇所があるとご本人も明言しています。
だからこそ、今回の映画化に当たっては、自分は作れないとも仰っていたような。
『シュナの旅』の文庫本を持っていますが、あの世界をル=グウィンの世界に、
投影させる意味はなんだったのでしょう。

世界50ヶ国で上映予定とのことですが、この作品をそのまま各国で上映するのは
日本人として少し恥ずかしくなります。
3大ファンタジーの一角ですよ。
あとの2作(「指輪物語」「ナルニア国物語」)は最大限原作を生かそうという
意図が伝わってきましたが、映画「ゲド戦記」にはそれが全く感じられません。

これだけ辛口で書くのも、宮崎駿作品が好きでジブリ映画をほとんど観ている
せいもあります。
今回の映画がどれだけ売れるかわかりません。
次回作がどうなるかもわかりません。
でも次回作は、もっとスタジオジブリ設立の頃の原点に立ち返った作品を・・・
と切に願っております。

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