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ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

元気な理由

2004-08-11 08:30:10 | ブログ
同僚に「おばさん化している」と話すと、遺伝子学を学んでいた彼女は、こんな仮説を立ててくれた。

人は、遺伝子を残すために生きている。おばさんと呼ばれる世代はその最後のあがきをしている。と

なるほど、産婦人科の先生に「生殖能力はは40歳ぐらいまで。それ以降は確立が落ちる」といわれた。
遺伝子としては、「ぜひ自分を残したい」と、たくさん生殖行為が出来るよう、元気の元を出しているのだろう。

女性の皆さん。突然元気になりだしたら、それは遺伝子の最後のあがき。
遺伝子を残すか残さないか、それはあなたしだい。

男性の皆さん。突然元気になりだした女性を見たら、要注意!!
遺伝子を残すために、自分の意思なく行動していること有り。
特に若い男性。優秀な遺伝子ほど狙われます。

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ふたりめの母

2004-08-04 07:08:36 | ブログ
結婚すると新しい両親が出来る。どうしても実家の両親と比較してしまう。同居していればなおさらのこと。

実家の母はフルタイムで働き、家事も育児も完璧ではないものの、しっかりこなしていた。車の運転も出来たため、自分の行きたいところには自分で行き、行動もすばやかった。

夫の母は「サラリーマンの妻」であった。何でも「お父さんに聞いて」と自分で物事を決められない人だった。
買い物も、義父の機嫌を見ながら、車を出してもらい出かけていった。どこかへひとりで出かけることも無く、家事をこなしていた。

母親とは質問したら、答えまたはヒントを与えてくれ、素早い判断をし行動的な人だと思っていた。そして、それが子供や家庭を守ることだと思っていたし、夫婦は対等な立場であると思っていた。
だからそこまで「お義父さんについていきます」的な考えには驚いた。専業主婦の考え方なのだろうか?と

不幸は訪れた。義父が定年目前で舌ガンになり、手術した。頼る立場から、頼られる立場になり、オロオロするばかり。そこで次に頼ってきたのは私たち夫婦にである。親子なんだから当然かもしれないが。義父の退院。私たちとの別居。そして義父の死。と短い時間で物事がすぎた。

1番びっくりしたことは、義父の四十九日の法要の朝、前夫は急性腸炎になり、私は病院でばたばたしていた。これでは法要に出られないと義母に電話したところ「遅くなってもいいから来てちょうだい。何やっていいのか判らないから」と言われた。親族だけの法要である。事情を話せば、問題ないはず。
苦しがる前夫を病院に残し、法要へ向かうと「来てくれて良かった。何も判らないの」と義妹と笑っていた。
生きている息子のことは心配じゃないの?

私たちの離婚。そして前夫の死亡。ショックで何も言えない私に「私何もいらないから、荷物処分してくれない?私どうしたらいいか判らないから」の言葉。私、片づけましたよ。彼の大切にしていたバイクや車、そして物置の部品の数々、それに部屋の服や本、家具に至るまで。もう関わりたくないと思いながら。

今でも時々「手紙届いてます。取りに来てください」と留守電が入っています。そして会うと必ず「いつでも遊びに来てね」と言われます。社交辞令だとは思いますが・・・

私は自分の食べる分ぐらいは働いていないと不安です。なぜなら人は信用できないから。どんなに愛している人でさえも・・・


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責任

2004-08-01 02:11:31 | ブログ
恋愛白書の結婚の意味って何?にトラバです。

「どうしてあなたは結婚しましたか?」と聞かれたら「する気はありませんでした」と答えてしまう。
20歳から27歳の結婚式まで、私は毎日、前夫の家(もちろん両親も妹さんもいる)に通い妻していた。
おかげで、親戚の方とも、またご近所の方とも顔なじみだった。
私にとって結婚とは、実家に戻れなくなることだった。

そして離婚。前夫の死亡。1ヶ月もたっていないのに、私は妻でないために肩身の狭い思いをし、何も受け取ることができなかった。唯一残されたものは、私名義で作ってしまった借金。

たった1枚の紙切れなのに、この1枚がとても重要である。

結婚とは、「相手の人生も背負うこと」と誰かが言っていた。
確かに。結婚相手によってそれぞれの人生は変わってしまう。

今の世のなか、未婚者が増えたのも、少子化が進んだのも、すべて「責任を取りたくない」という思いがあるのではないか。
自分のことは自分で出来る。他人のことまで干渉したくない。とはかっこいい言いかた。干渉したくないのではなく、自分にいやなこととかかわりたくないのだ。

あとは「家族」という意識が強くなり、「赤の他人」という意識がなくなることも忘れてはならない。

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母親

2004-07-30 01:40:02 | ブログ
母親とは、いつから自分が母親であることを認識するのだろう。
10ヶ月も自分と一緒に暮らす胎児。
「この子を守れるのは自分しかいない」と思うのだろうか?
経験のない私にはわからない思いがあると思う。

さて、母親と私、最近になってやっと意思疎通が取れるようになった。
母は、私が小学校に上がると同時にお勤めを始めた。
家には、私の曾おばあちゃんも同居していて、仕事、家事、育児、介護とすべてをこなしていた。
冬になると真っ赤になり、あちらこちらが割れてしまっている母の手を見るのが辛かった。

私の離婚騒動で、母の妹の家にしばらく居候になっていた。
そんな時、おばからこんな話を聞いた。
「あなたは小さいときから手の掛からないいい子だった」とお母さんは言っていたわよ。

違う。私は、毎日忙しく働きまわっている母親に声を掛けられなかった。
声を掛けて時間を取らせるのはいけないと子供心に感じていた。
だから、母親に甘えてじゃれつくことなどなかった。

先日、アパートに帰ると冷蔵庫に食材がいっぱい入っていた。
一人暮らしで忙しい私のために、時々母が差し入れをしてくれる。
その中に私の嫌いな「らっきょの漬物」がびんいっぱいに入っていた。
母は私がらっきょに箸をつけていなかったことに気がつかなかったのだ。

姪っ子が生まれ、その子と私の年齢差が、ちょうど母親と私の年齢の差である。
母偉かった。今の自分にこんな子がいたら私は・・・
それから母への感謝の気持ちがわき、今やっと親子関係が出来てきている。
定年して毎日実家にいる母、母親が家にいるのはいいな。と感じながら、甘えている40歳目の前の娘である。

だるだる日記の母になれている?
父親的生活の母との夏にトラバです。

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七夕から教わるもの

2004-07-08 01:21:27 | ブログ
☆Happy Smile☆ の今日は七夕☆にトラバ

そうです今日は七夕です。七夕のお話はminako先生が話してくれたように、働き者だった織姫と彦星が結婚したとたんにイチャイチャしすぎて、仕事をおろそかにしたため、離れ離れにさせられ、年に1度しか会うことができない。と言うお話ですよね。つまり男や女に夢中にならずに、しっかり働きなさい。と言うのが教えです。

年に1度しか会えない話なんてとてもドラマティックな感じがしますが、本当はすごく現実的!それを子供に話してどれだけ理解できるのか?

今年も雨の七夕です。織姫と彦星はまた会うことができません。たぶん二人とも別の良い人を見つけて、遊びほうけているのでしょう。1度男女の楽しい思いをした人は、そんな1年に1回なんて我慢できませんよ。

私のところも旧暦の七夕。そのときには夜の富士山と天の川が見える、私の大好きな場所に行きます。ひとりで・・・


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