天気が良かったので小樽へ行ってきた。
小樽はコロナの影響をかなり受けている町。
コロナ以前は、海外を始めとして大勢の観光客が訪れていたが、今は通りを歩く人の数は少なく閉まっている店も多かった。
これまで海外からの観光客が多い小樽の中心部を歩くことはあまりなかったが、今回は久しぶりに歩いてみて、賑わいのあった頃とのあまりの落差に飲食店やお土産さん、観光業の方々が気の毒になった。
ところで小樽が観光の町として有名になったのは、昭和61年に小樽運河が整備されてからだそうだ。
たしかにそれまでの小樽運河は、どんよりと濁った水が溜まっていて、お世辞にも美しいとは言えない場所だった。
昭和50年代後半はまだ観光客も少なく、現在のようにたくさんの店が並んでいるような町ではなかったが、お寿司や海産物の美味しい店、それからレトロな喫茶店などがあって、友人同士でたまに遊びに行くのが楽しみな町だった。
でも小樽が観光都市となって海外から観光客がたくさん来るようになると、自然と足がむかなくなり、小樽は車で通り過ぎるだけになった。
小樽に海外から観光客がたくさん来てくれるのは、道民としては嬉しいことだが、昔のように気軽に遊びに行こうと思えなくなったのも事実で、経済的に見れば良いことなのだろうけど、個人的には落ち着かない場所になったという感じだった。
でも小樽は好きな町なので、今のこの閑散とした状態が良いとは決して思わないが、これをきっかけに何度でも来たいと思うような落ち着いた観光都市に進化して行くといいなぁと思う。
さて、小樽の中心部を抜けて祝津にも行った。
祝津といえば小樽水族館やニシン御殿だが、私にとって祝津といえば小学校の遠足を思い出す。
今から50年近く前、小学校の遠足で行ったのが祝津だった。
もしかしたら小樽水族館の見学が目的の遠足だったのかもしれないが、それは全く記憶になく、今でも記憶に鮮明に残っているのは、みんなでズボンを捲り上げて海へ入ったことで、これが本当に楽しかった。
海に入って何をしたのかというと、浅瀬に打ち上げられた昆布を拾った。
拾った昆布は、そのままお土産として家へ持ち帰ったのだったが、昆布出汁にして母が味噌汁を作ってくれたのが嬉しかった記憶がある。
みんなでシートを広げてお弁当を食べた場所は、今は大きな石が積み上げられ、そのまま海へ入っていくことができなくなっている。
すぐ横では、海岸に塀らしきものを作る工事がされていた。
時間の流れが、景色をゆっくりと変えていく。
50年前と変わらないのは、今も浅瀬に打ち上げられる昆布だった。
それを見て、拾いたいという気持ちが沸いてきたが、もう海に入っていく元気がない私も50年でずいぶん変わったと思う。
祝津パノラマ展望台から見た風景。丘の右手にある住宅がニシン御殿。手前の海に沿った建物が小樽水族館。50年後は、どんな風に変わっているのだろう、、、