ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

精霊

2017-11-16 14:52:07 | 日記
朝方、夢を見た。

私は、口に釣り針が刺さった大きな魚を手に持っていた。

魚は弱っているが、まだ生きている。

「かわいそうに・・・」と思った。

「早く川に帰してあげないと死んでしまう」と思い、大急ぎで魚を抱えたまま家を出た。

外は薄暗く激しい雨が降っていたが、躊躇している間はない。

一刻も早く釣り針を抜いて川に帰そうと、家の裏庭を走り抜けて川へ向かった。

実際に我が家の裏庭にある森を進むと小さな川が流れている。

ちなみに私は釣りはしたことがないが、魚がいるようで釣りをしている人をたまに見かけることがある。

さて、夢の中に出てきた川は、現実の川の数百倍はあろうかと思うような大きな川だった。

雨が降っているせいか、川の水が濁り川岸も泥状になっていて滑る。

転ばないように慎重に川岸に寄り、そっと魚の口から釣り針を抜くと、手に抱いていた大きな魚を川に放した。

魚はしばらく斜めになった身体で川に浮いていたが、しばらくすると元気に泳ぎ始めた。

よかったと思いながら見ていると、その魚が戻って来て「川に帰れて嬉しい」というようなことを言った。
・・・と、ここで目が覚めた。

変な夢だったな~と思いながらも、そのうちに夢のことも忘れていたのだが、日課の床供養をした後にふと夢に現れた魚を思い出した。

あの夢は、もしかしたら、この地域で釣られて命を落としたたくさんの魚の精霊だったのではなかったのだろうかと・・・

日本では古来から、すべての生き物はおろか物にも命が宿るとして供養をしてきた。

例えば有名なのでは針供養というのがあるが、畜産業や漁業関係者であれば、人間の為に命を失った動物たちの供養をされているのかもしれない。

それはさておき、命あるものであれば尚更、魚とは言え供養が必要だったのかもしれないと思った。

床供養はほとんど毎日のように続けているが、最初は迷って入ってくる人霊の為に供養の線香をあげていたが、最近はこの地域に存在する自然霊や精霊のことも念頭に置きながら供養していた。

私たち人間が北海道のこの地域に住むようになって、まだ日が浅いが、それまでは人が入ることのない豊かで厳しい自然が広がっていたのだろう。

そして、魚も人間に捕まえられることなく自由に泳いでいたに違いない。

供養をいろいろな事柄に結び付けて考えることは良くないが、魚にも命があり無駄に殺生してはいけないのだという思いが、今朝はふと湧いてきた。

そして私は魚を食べるのが好きなので、食べる時は命を頂いていることに感謝しながら食べなければいけないなぁと思った。

これからは忘れずに感謝して頂きたいと思います。

このようなことをブログに書くことは、いつもどうかと悩むのだが、少数の方しか読まれていない気安さで書いてみました。以上





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