ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

老い

2017-11-27 16:09:58 | 介護
夫の甥が家族を連れて遊びに来てくれた。

短い休暇を利用して帰省したそうだが、夕方の飛行機で帰らなければいけないそうで、時間が無い中どうしても子供をおばあちゃんに見せたいと我が家へ寄ってくれた。

突然の甥一家の訪問におばあちゃん(お姑さん)は驚いていたが、もうすぐ一歳になる曾孫を見て涙して喜んでいた。

甥は母である義姉からおばあちゃんの最近の様子を聞いたらしく、心配して来てくれたようだった。

お姑さんは物忘れが進み、先日は鍋を火にかけていることを忘れて危うく火事になる所だった。
鍋から煙があがって、部屋の中が白く霞んでいるにもかかわらず、それに気づかずにテレビを観ていたということがあったので、義母が料理を作る時は外出しないようになった。

また便の漏れもますます多くなっている。

今年になってから、お姑さんはいろいろな面で一気に老いが進んだと思う。

そんなわけで心配して来てくれた甥一家と短い時間ではあったが楽しい時を過ごし、義母は帰って行く甥たちを来た時と同様に涙々で見送ったのだった。

さて甥の乗った車が見えなくなると、義母は私に向かって聞いてきた。

「あれ(曾孫)は孫かい?」

「曾孫ですよ。孫は〇ちゃん(甥)のほう」

「そうかい。孫は〇かい」と言うと、今涙で別れたばかりの曾孫は忘れたかのように、昔の思い出が今の話のように語られる。

「娘たちが孫を預けて遊びに行くから、私は4人の孫の面倒を見たの。大変だったわ」以下、孫の世話をした日の話が続いていく・・・

義母は最近のことを憶えられなくなり、憶えていることも限られた昔の出来事になってきた。

義母にとって特に忘れられない出来事だけが、これまでの人生の膨大な記憶の中で、切り取られた一枚の写真のように残っているのだと思う。

例えば小さな孫達の世話をして大変だった日という事もそうだが、最近では戦争の頃の思い出を話すことが多い。

空襲が始まり、逃げ遅れた義母が隠れた木の下で爆弾が次々に落ちるのを見ながら、一緒に逃げた友人が命を落とすという体験は強烈な記憶として残っていることは想像に余りある。

また、先日も義母が唐突に「戦争に負けた日、私なんであんなに泣いたんだべ」と言った。

日本が戦争に負けて号泣した自分という記憶はしっかり残っているが、その時の悲しみや悔しさのような気持ちまでは記憶にとどめていないのだろう。

しかし悲惨な戦争体験は、最後まで記憶の中から消えないのかもしれない。

ある時は「汽車の切符がぜんぜん買えなくて苦労した。お母さん(私のこと)もそうだったかい?」と言うので、いつの話だろうと思ったら、やはりそれも戦時中の話だった。

その当時、私はまだこの世にいなかったのでなんとも返答に困ったが、義母は別に私の返事を待っているわけではなく、延々と思いつくまま昔話は続いていく。

何度聞いたか分からないほど繰り返される同じ話の数々だが、その話の種類が徐々に少なくなっていることに最近気づいた。

それが分かった時、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまった。

人間、年老いていくのは仕方がない。記憶が消えていくことも仕方がない。
いずれは身体ごと、この世から消えるのだから・・・

義父母と一緒に暮らして12年あまり。

義父がいなくなり、そして義母もこの先、自宅で看ることが困難になれば施設への入所も考えなければならない。

「義父母との同居は大変だ~」と思ったことは今まで数えきれないほどだが、それもこの先それほど長くないかもしれないと思うと、嬉しさよりも寂しさや悲しさをより感じることは、一つ屋根の下で一緒に暮らしてきた年月がそうさせるのかもしれない。

そして、もうひとつは自分も歳をとったということだろうか。

「老いる」ということを、亡き父や義父母を通して見せてもらっていると思う。






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