ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

来客で思い出したこと

2014-10-27 16:20:22 | 日記
以前、定期的にうちへやってくる某宗教団体の方がいた。

いつも2~3人できちんとした身なりをして各家々を回って歩いている。

いつものことなのでインターフォンごしにやんわりとお断りするのだけど、たまたま玄関に居たためドアを開けたことがあった。

すると、ドアの前にはきちんとした身なりの年配の女性と20代後半か30代前半といった感じの男性が立っていた。

丁寧な言葉使いで「悲惨な世界情勢や昨今の世の中の状況をどう思いますか?」と話し始めるのは、大体みなさん同じ。

そして神について語り始めるのも同じ。

いつもはすぐにお断りしていたので、最後までお話を聴く事は無かったのだが、今回は「なぜ彼らは、こんなにこの宗教にのめり込めるのだろう?」という興味が湧いてきて、話を聴く事にした。

色々な話を聴いたが、やはり私には違和感を覚える。

そして、その違和感は彼らの信じる事と、私の信じている事に決定的な違いがあるからだと思った。

この宗教を信じている方は神を自分の外にいると信じていた。

そして、私は神は自分の中にいると信じている。

どちらが本当なのかなどといった議論をする気持ちは全くなかったので、「あなたの話は尊重します。否定する気もありません。でも、私は自分の中に神がいると信じています」とだけ話した。

男性の方は、なにか私の話に興味を持たれたのか、その後も度々うちへ訪ねて来られる様になった。

うちへ来る時は必ず他の信者の方と一緒で、けっして一人ではこないし、玄関先で10分くらいお話をするだけなのだが、私に色々な質問をしてきた。

例えば「あなたは神の存在を信じているのですか?」とか。

もちろん信じているからこそ神は自分の中に・・・いや人は誰もが神を内在させていると思っている。

「信じていますよ」と答え、「貴方の中にも神はいるのですよ」と男性に話したら、急に顔色を変えて「いえ、私の中に神はいません」ときっぱりと否定された。

ただ、それ以外は非常に好青年だった。

何度もうちへ来られたが、いつも礼儀正しいし、とても素直だった。

もしもうちの娘が適齢期ならば、こんな人がお婿さんだったらいいなと思ったほどだが、残念なことに宗教にのめり込んでいることだけがマイナスか。

そこで「なぜ貴方はこの宗教に入ったのですか?」と聞いてみた。

すると「両親がもともと信者だったのです。小さい時から集会に連れて行かれたり、親と一緒にこうして家々を回って歩いたりしていました。だから大人になって、この宗教を信じることは自然なことでした」と男性は言った。

彼はもう職業として、この宗教団体で活動しているようだった。

たぶん、彼はこの先もずっとこの宗教団体で活動を続けて行くのだろう。

そして、こうして家々を回って布教と信者獲得の活動をしていくのだろう。

もうひとつ、私が決定的に違和感を覚えることは、宗教団体として活動をすることだった。

組織を作れば、当然上下関係が生まれるだろう、組織をもっと大きくしたいと思うかもしれない。

そして何より救いを求めて来たかもしれない信者さんが、永遠に救われることが無くなる。

なぜ救われないかというと、自分の外に救いを求めるから。

自分の外に救いを求めている間は、絶対に心の安らぎは訪れない。

これは私が経験済みなので間違いないと言える。

何度かうちに来て宗教のことや神のことなど話し、私の意見を聞きたがった好青年は、ある日やってきて「転勤になりました。これが最後です。ありがとうございました」と言って帰っていかれた。

以来、彼は一度もうちへ来ることはなくなった。

今日もどこかの町で、彼は布教活動をしているのだろうか。

朝から来客やらせールスの電話が続き、それが静かになってやっと落ち着いた昼下がり、ふと思い出した事だった。






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