ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

覚え書き・・・父のこと(続き)

2017-06-19 17:16:40 | 介護
「お父さんの具合、なんだか良くなったみたいだね」と妹と喜び合って帰宅した翌日、朝早くに病院から電話がきた。
「お父さんがあまり良くない状況なので、すぐに来てください」とのことだった。

病院からの呼び出しは、この頃になると頻繁に来るようになっていたのだが、それは私たち家族が「何かあったらすぐに連絡をください」と病院に伝えていたから。

信じられないことだが、家族によっては「亡くなってから連絡をください」とおっしゃって面会にも来ない方がいるそうだ。
家族の間で何があったのか知らないが、亡くなってから・・・とは、あまりにも悲しいことだなぁと思う。

それはさておき、病院から連絡が入って、再び急いで病院へ駆けつけると、父は昨日よりも苦しそうに息をしていた。
昨日は呼びかけるとこちらを向いてくれたのに、その日はまったく反応はなく、薄目を開けたまま、ただただ荒い呼吸を繰り返すだけで、素人がみても「これは危ないかもしれない」と思うほど父は衰弱していた。

様子を見に来てくれた看護師さんに「父はどうなんでしょうか?」と聞くと、「ちょっとこちらへ」と言って病室から出てから少し離れた廊下まで行くと小声でお話をしてくれた。

「病室だとご本人に聞かれるかもしれませんから。もしかしたら、ここで話していることも聞こえているかもしれませんが」と看護師さんはおっしゃってから、父の状態がかなり緊迫していること、もういつ亡くなってもおかしくない状態になっていることなど話してくれた。

看護師さんからお話を聞きながら、この看護師さんも人は死期が近づくと魂が肉体を離れて、遠くで話している人の会話を聞くことができると思っているのだなと思っていた。

人が死ぬと魂が肉体を離れるということは、疑う余地もないくらいにその通りだろうと私は思っているのだが、今回はやはりそうだったと思えることを体験した。

父の遺体を葬儀会場の和室に安置して、来ていただいたお坊さんに枕経を唱えて頂いている時のことだった。
枕経とは死後初めて死者に聞かせるお経のことで、死者が不安にならないようにというような意味があるのだとか。

枕経を聞きながら、布団に寝ている父に向って私や妹が手を合わせていたのだが、何気なく父の方を見ると、父の胸元に薄い影のようなものが立っていた。

その影は徐々にはっきりとなり、頭、肩が見えて、足の方も見えてきて、それははっきりと人の形と分かるようになった。

「お父さんだ」と思った。不思議と驚くようなことでもなく、手を合わせながら薄い影である父の姿をぼんやりと見ていた。

よほど隣にいる妹に教えようかと思ったが、それはやめた。

読経の最中にそんなことを教えたら、せっかくの厳粛な場がぶち壊しになってしまう。

現に父は自分に向けられてお経が読まれていることを知っていて、(たぶん)神妙な顔で自分の遺体の横に立ってお経を聞いていた。

父が亡くなった直後と言うことで私は悲しくて仕方がなかったが、なんだかそれが可笑しくて気持ちが和んだ。

薄い影の父は読経が終わると見えなくなってしまったが、それから実家にお参りに帰るたびに父の気配を感じる。
亡くなった時より若返って、にこにこ笑いながらリビングの椅子にすわっていることが多いのだが、寂しいことにその気配も日を追うごとに無くなってきている。

この世にいるのは49日まで・・・49日は笑顔で父を送ってあげようと思っている。





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