ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

丁寧な暮らし

2019-04-05 17:38:07 | 日記

その日、私は朝からとても急いでいた。

午後に人と会う約束があったので、それまでに終わらせたいことがたくさんあったのだが、こういう時に限って物事がスムーズに進まない。

お米を研ごうと計量カップで量っていたら、手元が狂ってお米を床にこぼしてしまった。

やってしまったーとがっくりしながらお米を拾い集めていると、カバンの中に入っている私の携帯が鳴った。

お米を拾うのを中断して、電話に出よう思ったのだが、今度は電話が見つからない。

確かにカバンの中から音はしているのだが、いつも入れている場所に入っておらず、思わずカバンをひっくり返して中身を全部出してしまいたい衝動にかられた時にやっと電話が見つかった。

しかし、見つかったと同時に切れてしまった。

履歴を見ると家族や知人からではなかったが、気持ちが急いてた為か、普段ならかけ直しなどしないのに、この時は急用だったらどうしようという気持ちになってかけ直してしまった。

相手は金融機関の担当者で、私がすぐにかけ直したことにえらく恐縮してセールストークを始めた。

どうして私は電話をしてしまったのだろうという後悔の念で一杯になりながら相手の話などもう耳に入らず「はいはい」とから返事をしながら、早く電話を切りたくて仕方がなかった。

「今、急いでいるので」と途中で担当者の話をさえぎって電話を切り、再びダッシュでこぼれたお米を拾いに台所へ戻った。

家のことを済ませると、今度は家族に頼まれていたことをする為に車で外出した。

約束の時間までに間に合わせるように用事も早く終わらせなければいけない。

そう思って車を走らせていたら、あろうことか道が渋滞。

いつも渋滞などするような道ではないのに、よりによって急いでいる時になぜこんなことが起こるのかとイライラしながら進んでいくと、パトカーが何台も止まっているのが目に入った。

事故だった。

二台の車が道の片側で止まっており、一台は前の方がぐしゃぐしゃにつぶれていた。

ここでやっと我に返った。

あの事故を起こした車は、もしかしたら自分だったかもしれないと思った。

朝から忙しくしてイライラした気持ちが、やることなすことの全てを雑にさせていた。

お米をこぼしたり、かけ直さなくてよい電話をしてみたり、他にも実はいろいろとあったのだが、とにかくやることなすこと全ての歯車が狂ったように上手くいかない日だった。

今ここに気持ちが無かったから、すべてのタイミングが外れていたのだと反省した。

「今この瞬間に生きる」という事は、よくスピリチュアルな本に書かれていたりするが、昔はその意味が分からなかった。

今この瞬間に生きろと言われても、実際、今、生きてるし・・・と思ったりしたものだが、その意味がやっとわかるようになってきた。

それが正しいのか否かは別として、自分なりの解釈をすれば、今を生きる事とはひとつひとつのことを丁寧に生きるということではないかと思う。

日々の暮らしとは何気ない無意識の集積であり、それが積み上げられていって幸運や不運といった出来事につながるのではないかと思う。

だから今やっていることに気持ちを集中すること。そして丁寧に暮らすこと。

お米を量っている時はそこに集中する。

携帯電話を仕舞う時は丁寧に、カバンの中の定位置に戻すことをしていれば、ないないと慌てることなく電話を手にして、ゆっくりと相手先を見て、必要がなければこちらから連絡することもなかった。

そんな風に丁寧に暮らしていると、いつの間にかタイミングが合ってきて、急がずとも時間に遅れることもなく、流れに乗っているような心地よさを感じるようになるのだ・・・ということを思い出した。

というわけで、今日からは丁寧な暮らしを心がけるべくゆっくりとハーブティーを飲みながら、このブログを書いている。

ややっ大変もうこんな時間。急いで夕飯の支度をしなければ・・・

な~んてね。大丈夫、大丈夫。今日は朝に準備を済ませているからゆっくりできるのよ。

 

 

 

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