ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

道しるべ

2019-08-14 14:08:59 | 日記

たまたま読んでいた小説の中に「蝋燭の灯りが続く道を(死者が)歩いて行く」というような文章があって、この文章を読んだ時に、ある風景が脳裏に鮮明に蘇ってきた。

それは、もうずっと昔、私がまだ19歳だった頃に見た夢だが、友だちと手をつないで、どこまでも続く一本道を歩いている夢だった。

周囲は真っ暗で何も見えず、自分の歩いている道だけがはっきりと浮かび上がって見えた。

なぜなら、道の両脇に道しるべのように、灯りのついた蝋燭が並んでいたから。

どこまで続いているのか分からない蝋燭のともった道を、私はある友だちと二人、手を繋いで歩いていた。

友だちの手は、まるで氷のように冷たくて、私はその手を離したいと思っていた。

そこで友だちに「忘れ物したから戻るね」と言って、手を離したところで目が覚めた。

あまりにも冷たかった友だちの手。夢から目覚めた後も冷たい手の感触が残っているような気がした。

その友だちとは、小学校の高学年で仲良くなった女の子で、小さい頃から苦労をしてきた為か、とてもしっかり者でやさしくて、いつも両親の代わりになって小さな弟と妹の世話をしていた。

私とは、家の方向が同じだったので一緒に帰ることが多かったのだが、ある時から、なぜかその子は私と二人だけで帰りたがるようになった。

その子は、二人の中に他の子が入ることを嫌がって、いつも私の手をしっかりと握って離さなかった。

両親の愛情にあまり恵まれていなかったからなのか、もしかしたら、そうした不安やさびしさもあって、仲良くなった友だち(私)とべったりくっついていたかったのかもしれない。

大人になった今ならば、その友だちのことを、もう少し思いやれたかもしれない。もっとそばにいてあげれたかもしれない。

でも、そんなことなど一ミリも考えないほど子どもだった私は、あまりにべったりとされることに苦痛を感じ、たまには他の友だちと帰りたいと思ったり、用事もないのに学校に残って、待っていると言う友だちに先に帰ってもらったりしていた。

でも、そんな友だちとの関係も中学へ入ると、ぷっつりと切れた。

それぞれ別の友だちができて、一緒に帰ることも無くなり、廊下ですれ違った時にちょっと挨拶をするくらいになった。

高校へ入った頃には、もう滅多に会うことは無くなっていたのだが、まれ見かけると、彼女の姿は、私が知っている面影は何もないほど変わっていた。

長い髪を金髪に染め上げ、ロック歌手かと思うほどの濃い化粧。当時の不良と言えば、このスタイルと言うほどの定番の不良高校生になっていた。

でも、そんな怖い姿の彼女が、道で偶然会った時に、にっこりと笑って手をふってくれた。その笑顔を見ると「やっぱり何も変わってないや」と安心したのに・・・

高校3年生の秋に、風のうわさで彼女が亡くなったと聞いた。

事故だったが、それも不良になって、そんなことをしなければ死なずに済んだのに、と言うようなものだった。とてもショックだった。

そして、彼女が亡くなって一年が過ぎた頃、彼女に手をつながれて歩く夢を見た。

彼女のことは、その頃にはもうほとんど思い出すこともなかったが、あまりにも彼女の存在が感じられた夢だったので、40年近く経った今もまた思い出している。

ところで今年のお盆は、恥ずかしながら初めて迎え火を焚いた。

地域的なものなのか、お盆の時に迎え火を焚くという習慣がなかったので、今までやったことがなかったのだが、今年はどうしてもやりたくなった。

この小さな灯りを頼りに、ご縁のある亡き人たちが家にいらしてくれたら、こんなに嬉しいことはない。どうして今までやらなかったのか、我ながら不思議に思うほど、嬉しい気持ちになった。

迎え火にしたお線香の小さな灯りが、私が夢の中で歩いた道のように、大きな道しるべになって、家に続く道を照らしているのだろうか。

迷わないように、迎え入れることができただろうか。

お盆の終わりには、ちゃんと送り火をして送ってあげよう。

なんて、お盆になって友だちと歩いた道のことを、ちょっと思い出していた。


 

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