朝方に夢を見た。
玄関の呼び鈴が鳴ったので出てみると、数え切れないくらいたくさんの人がいて、その人たちが家に入ってくる夢だった。
夢の中では、その方々は親戚や縁のある方なのだという認識を持っているが、よく知らない顔が多い。
まあいいかとリビングへ戻ると、皆さん思い思いにくつろいでいる。
「お茶を出そう。湯呑み茶碗は足りるかな」と人数を数えているところで目が覚めた。
変な夢だったが、もしかしてこれまで供養してきた先祖の方々がきてくれたのかもしれないと、その日の朝の供養では「ゆっくりくつろいで行ってください」と語りかけた。
ところで夢を見て数日後、妹から一枚の古い写真が送られてきた。
そこにはまだ若い私の両親の姿があり、懐かしい母方の祖父母や叔父や叔母たち、それからよく知らないたくさんの母方の親戚たちが写っていた。
今から六十数年前の両親の結納の時の写真で、父が結納の品を持って母の実家を訪れた時に撮られたようだ。
妹によれば、妹の旦那さんが出張で泊まることになった旅館が、偶然にも母方の親戚がやっている旅館だとわかった。
その旅館が親戚だと知っていた妹から話を聞いた旦那さんが、旅館に着いてから「妻が親戚です」と話したそうだ。
すると母のいとこになる大女将が「子どもの頃に(私の実家に)遊びに行ったことがある」と言って、この古い写真を下さったのだという。
写真に写る旅館の女将だった叔母さんは、すでにこの世にはいない。
あらためて写真を見れば、もうほぼすべての方が亡くなっていると思われた。
宇宙の長さから比べれば、まばたきにも満たないわずか六十数年あまりの間に、大多数の方が逝ってしまうことに人間の寿命の儚さを感じるが、そういう自分もこの先、六十年後は完全にいないだろうし、三十年後だって生きている自信はない。
そんな短い人生を、写真に写る人たちも私たちと同じように悲しんだり喜んだり怒ったりと、色々な想いを持ちながら、さまざまな人生を生きただろうことを思うと「みなさんよく頑張りましたね」という気持ちになった。
人間の一生とは、まるで旅をしているかの様なものだなあと思う。
それは過酷な旅であるのかもしれないが、旅を終えてひとときの休憩をとる場所が霊界と言われる場所であり、その後にはまた新しい旅に出るのかもしれない、、と空想している。
と言うわけで、長らく連絡を取っていなかった親戚から写真をもらったことから、見た夢のことを思い出してしまった。
なんの関連もないのかもしれないけれど、、、