長女と近郊にある温泉に行ってきた。
平日のせいかとても空いていて、露天風呂は入ってくるお客さんはいなくて、ずっと長女と二人きりだった。
その露天風呂の側に2本の大きな松の木が並んで立っている。
いつもは松を眺めながら、じっとお湯に浸かっているのだけど、今回は二人だけだったので、前からやってみたかったことをした。
それは(笑われるかもしれないが)、松の木にご挨拶で手を振ってみて、松が果たして振り返してくれるかどうかを実験してみたかった。
実は植物はとても賢くて、人間の言葉や感情など理解するというのを理学博士の故・三上晃氏が著書で詳しく書かれている。
また世界でも「植物は人間や他の動物のような中枢神経系を持たないが、知能を持つ生物と同様に行動する」「植物には感情がある」など、これまで人間が思っていた植物とは違った見方がされるようになってきた。
さて松さんに手を振って、振り返してくれるのかどうか。
最初は微動だにしなかった松さんが、風呂の中から必死に手を振る、変なおばさんにやっと気づいてくれたようで、急に枝を大きく振り始めた。
やった、嬉しい!と喜んだが、ふと「でもこれって風のせい?」と思った。
でも枝を大きく振ってくれたのは目の前にある松だが、2〜3メートル離れて並んで男湯の方に立つ松の木は微動だにしていない。
ということは、もしかして風のせいではなく、男湯の松さんは私に気づいていないのかもしれない。(私は男湯の松からは見えない位置にいた)
というわけで、男湯の松から見える位置までお湯の中を移動。
さっきは動かなかった松に手を振ると、今度はちゃんと枝を振って応えてくれた。手を振っていない方の松は動かずで、やったーと喜ぶ。
じゃあ今度は二本の松さん同時に手を振ってみようと、両手を振ってみる。
すると「お母さん、さっきから何やってるの?」と長女の声がした。
木に向かって手を振っている母を見て、普段はあまり常識にとらわれない行動をする長女も、さすがにおかしいと思ったようだ。
「これはね、松の木さんにご挨拶をしているんだよ。ほら見て、手を振ると枝を揺らして挨拶を返してくれるよ」
そう言いながら両手を振っていると、思った通り二本の松が一緒に大きく枝を揺らし始めた。
それからは長女も一緒に手を振って松の木にご挨拶。
「松の木も手を振ってくれるね」と長女も大喜びで手を振っていた。
知らない人が見たら、さぞかし変な親子だと思われただろう。
実は植物にご挨拶することは、もうずっと前からやっている。
やってみて手を振り返してくれるのは、比較的大きな木の方が多いように思うが、これはまだ実験不足なので確かなことではない。
ちなみに自宅にたくさんある観葉植物たちは、手を振りかえしてくれることはない。
枝や葉を振るには、やはりある程度の風が必要なのかもしれないと思ったが、ふと思うことがあった。
それは自宅で育てている植物たちは、私が捨てにくくならないようにあえて意思表示をしないのではないか、ということ。
植物はどうしても増えていく。もらってくれる人が居れば良いのだけど、いない時は元気な状態であっても捨てなければならない。
捨てる時は、生きているものを殺してしまう罪悪感で一杯になるが、もし植物から意思表示などあれば、もう絶対に捨てられなくなり、家の中は植物園状態になるだろう。
植物は賢いので、それをちゃんとわかっているのかもしれない。
以上、我ながら何をやってるんだと思うが、、、
ところで植物たちの意思表示は大祝詞にも出てくる。
「語問(ことと)ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語(こと)止(や)めて」
( 意訳 )
「言葉を交わしていた岩石や樹木やいっぺんの草の葉までもが沈黙したので」
やはり植物は意思表示ができるのだろう。
ちなみに鉱物(岩石)も言葉を理解して意思の疎通ができると言ったのは、作家の辻麻里子さんで、彼女は石と会話できたそうだ。