夫の故郷へ行ったついでに観光もしてきた。
道東と言えば湿原、阿寒湖、オンネトーなど見どころ満載?なのだが、鳥好きとしては「丹頂鶴」は外せない。
夫曰く「子供の頃は、カラスと同じように家の上を飛んでいた」と言い「めずらしくも何ともない」と言うのだが、私は釧路で家の上を飛んでいる鶴なんて見たことが無い。
むかし遠くからゴマ粒くらいの大きさの鶴を見たことはあるが、今回はぜひ近くで日本最大の鳥、丹頂鶴を見てみたいと思った。
そこで鶴を保護繁殖している丹頂鶴自然公園へ行ってみた。
丹頂鶴は、江戸時代まで日本各地で(江戸でも)見ることができたが、徐々にその数は減り絶滅したと思われていた。しかし、1924年に再び釧路湿原で発見される。
その後、北海道では丹頂鶴を保護するため土地の買い上げや冬の給餌などを行ってきたが、保護増殖を目的として1958年に丹頂自然公園が開園したそうだ。
丹頂自然公園の中では、金網で囲った敷地に丹頂鶴のつがいが飼われている。二羽の間にいるのは、今年7月初めに生まれたヒナ。
雄と雌が交互にヒナに餌を運んで子育てをしている。
ヒナは約100日ほどで親と同じ姿にまで成長し、来年にはここから野生へと巣立っていくそうだ。
ちなみに現在は丹頂鶴の数は増え、2015年の調査では1600羽を数えたとか。
車を走らせていると、何度か道路脇の原野で野生の鶴を見たので、今はさらに数が増えているのかもしれない。
いつの日か、東京の空を飛ぶ丹頂鶴が見たいなぁ~なんて夢は膨らむ。
それにしても今回の旅行では鶴だけでなく、フクロウもよく見かけた。
・・・といっても作りもののフクロウなのだけど。
迫力のあるフクロウ↓(阿寒湖のアイヌコタン)
可愛らしいフクロウ↓
おや、こんなところにもいた!(ホテルの屋根)
最後に鳥ではないが、馬の絵がとても良かったので載せたいと思う。
神田日勝美術館↓
朝ドラを観ている方なら分かるかもしれないが、ドラマ「なつぞら」で主人公なつの幼馴染の青年画家・山田天陽(吉沢亮さん)のモデルになったのが神田日勝。
美術館で神田日勝の生い立ちや32年間の短い生涯などを読むと、ドラマではほとんど忠実に再現していたのだなぁと思う。
昭和12年、東京で生まれた神田日勝は7歳の時に戦火を逃れるため、戦災者集団帰農計画で拓北農兵隊に加わり、一家で北海道へ渡ってきたそうだ。
国からの援助はほとんどなく、農機具も満足にない中での開拓生活は苦難の連続だったという。
あまりの苦難に東京から一緒に来た仲間たちは次々に脱落して行ったが、神田一家はなんとか入植地の鹿追に定着することができた。
神田日勝は、後に東京藝術大学に進んだ兄の影響で絵を描き始める。
自らを農民画家と呼ばれることを嫌い、「農民である。画家である」と区別して語っていたという神田日勝の絵は、農耕馬を描いたものも多い。
ちなみに有名なのは、美術館の正面にも飾られている後ろ足が描かれていない馬の絵。
描いている途中で病に倒れたため絶筆になってしまったそうだが、ベニヤ板に描かれた馬は、その毛並みの重厚さや独特の雰囲気もあって、未完とは思えないほど完成した絵に見える。
32歳という若さで亡くなってしまったので、作品はそれほど多くは無いが、作品を見て行くと、日勝の力強さ、喜びと悲しみ、苦悩と迷いなどがそれぞれの絵から感じられて、作品の前からしばらく離れられないということもあった。
今年2020年は神田日勝没後50年ということで東京・鹿追・札幌の三会場を巡って展覧会が開かれている。
東京はすでに終了し、現在は鹿追で開催中、9月19日からは札幌近代美術館で観ることができる。よかったらどうぞ・・・