ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

タイヤ

2019-04-02 14:26:41 | 日記

例年ならば5月の連休明けまでは、雪道になる可能性があるので冬タイヤ(スタットレスタイヤ)のままなのだが、今年はいつも車の定期検査をお願いしている店から「3月中のタイヤ交換ならば無料でやります」と連絡をもらった。

それを聞いて、我が家の車担当の夫は悩んでいた。

タイヤ交換が無料というのもさることながら、3月に予定していた定期検査のタイミングで夏タイヤに替えてもらえば、あとからわざわざタイヤ交換に行く必要が無くなるのが魅力だった。

とはいえ、4月はまだ雪が降る。峠なんて越えようと思った日には、スタットレスタイヤじゃないと危険だった。

悩んだ夫だったが、けっきょく夏タイヤに替えることに決めた。

「もしも雪が降ったら車には乗るな。しばらく峠を越える予定はないから大丈夫だろう」

そう言ってスタットレスから夏タイヤに交換してきた。

翌日は私が歯医者に行く予定になっていたのだが、天気予報では雪の予報はなかった為、予定通り車に乗って歯医者さんへ行った。

ところが、終わって帰ろうと歯科医院を出た途端、ちらちらと雪が舞い始めた。

「道に積もるほどじゃなければ大丈夫」と思いながら運転していたら、雪はどんどん激しさを増して本格的な吹雪になってしまった。

道路にはまだ積もる前だったが、ヒヤヒヤしながら慎重に運転して帰って来た。

やはり雪が降る間、少なくとも4月中はスタットレスタイヤが安心だったかもしれない。

それにしてもスパイクタイヤからスタットレスになって、空気が劇的にきれいになった。

30年以上前の札幌は、スパイクタイヤで削られた路面が大気中に巻き上げられて、初冬や春先の空気は最悪だった。

現在のPM2・5などよりずっとひどかったと記憶している。

車粉で視界がかすみ、雪は黒くなり、雪まつりの雪像も黒くなっていた。

1980年頃の車紛が立ちこめる札幌は、じん肺患者から「鉱山の中と同じ」と評されるほどひどい状況だったそうだ。

鉱山の中と同じ状況があのまま続いていたら、市民に大きな健康被害が出ていたと思う。

しかし、そのような状況を変えたいと立ち上がったのが、北大工学部原子工学科で核融合を研究していた山科俊郎教授(故人)であり、後に宇宙飛行士となった毛利衛さんら研究室メンバーだった。

当時は、はたしてスパイクタイヤが車紛の原因なのか、はっきりとしていなかったそうだが、山科教授らが調べた結果、ピンの芯は超硬度のタングステンカーバイドで、周囲を鉄で覆われている事や、車紛がアスファルトやタイヤのゴム、鉄の微粒子で出来ていることが分かったそうだ。

この研究結果をもとに「車紛の発生原因はスパイクタイヤだ」として学会や論文で発表され、のちに脱スパイクタイヤへと繋がっていく。

車紛は市民が被害者であり加害者でもあるという、新しいタイプの公害だった。

スパイクタイヤが車紛の元凶であると特定した山科教授は、「学者の立場だけで世論を動かすことに限界を感じた」との理由で、83年に市民運動をスタートさせる。

「スタットレスタイヤの使用を推進する会」を母体に「車紛をなくす市民の会」を発足し、札幌市民が市に罰則付きスパイクタイヤ規制条例の制定を求める直接請求に発展する。

市中心部で署名活動を始め、一か月の間に法定数の3倍近い6万人を越す署名を集めたが、独自の条例案は87年の市議会で審議されたものの否決され、代わりにスパイクタイヤの自粛を柱とする市の案が通った。

強制力を伴うスパイク規制は、結局2年後の条例見直しで91年に実現することになった。

当時のことを憶えているが、車紛は嫌だがスパイクタイヤが無くなることは車を運転する者にとっては不安だった。

雪道はスパイクタイヤじゃなければ滑ると思い込んでいたから、スタットレスタイヤしか使えなくなることに不安をおぼえた人は多かったと思う。

しかし、乗ってみるとスタットレスでも大丈夫だった。

すこし早めにブレーキを踏み始めるというコツが分かれば、スパイクタイヤと同じように安全に乗ることができた。

ところで、車紛の解消を目指す動きは、市民運動以外にもあり、それは道内の弁護士有志による公害調停だったそうだ。

「社会的合意が得られた場合、道内のスパイクタイヤの販売は中止する」という調停が86年の道公害審議会で成立し、これがスパイクタイヤ廃止につながって行った。

88年6月の総理府の公害調整委員会では、道内から飛び火した長野県の公害調停を引き継ぎ、車紛に悩む東北6県と道内の弁護士も加わって話し合われた。

結果、タイヤメーカーからの「スパイクタイヤの90年末の製造中止と91年3月末の販売中止」案を受け入れて調停は成立した。

当時、メーカー側は冬道走行の安全性を主張したが、弁護士有志は「ひたすら健康問題で突っぱねた」そうだ。

スパイクタイヤが姿を消して30年近くたち、車紛公害も姿を消してきれいな空気が戻って来た。

当時、冬道走行の安全性の問題を主張したメーカー各社は、その後、競ってどんどん新しい性能のスタットレスタイヤの開発をしている。

人間やればできる・・・安心安全でみんなが笑顔になるものが作れるはずなのに、なぜやらないのだろうか。

ちなみに、この脱スパイクタイヤは被害が深刻化する前に公害を防いだ、希少な例だそうです。

さて、今日の天気は雪。

外は、こんなに感じに・・・

今日は運転せずに家でおとなしくしていよう。


 

 


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