198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

60~70年代はガロ・COM マンガの時代

2012-01-23 07:55:19 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
2012年、映画と漫画史研究家の本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介です!(左の画像は、1960~70年代に多くの青年たちが漫画を読むきっかけになったと言われる伝説の雑誌『ガロ』(青林堂)と、右が『COM』(虫プロ商事)の貴重な創刊号です!)


江東区森下文化センターから、横浜の私の自宅へ案内状が届きました。


私の龍馬イラスト展inお江戸 オープニングパーティ@森下文化センター


特別セッショントーク

「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」

2012年1月27日(金)

会場・森下文化センター

2階 多目的ホール

開場 17:00 開演 18:00

前売 1,700円(当日300円増)

出演 南 伸坊(イラストライター)、長谷邦夫(漫画家)
進行役 サエキ けんぞう
日本マンガの黎明期を象徴する二大雑誌をテーマに関係者、作家、愛読者が三つ巴で繰り広げるトークセッション。
龍馬が新時代を切り開いたように、日本のマンガ界では「ガロ」と「COM」がその先駆者となった。
日本マンガに夜明けは来たのか!?

南伸坊・イラストライター

1972~1979年、「ガロ」編集長を務め、マンガというジャンルを越えたサブカルチャーの雄としての雑誌の地位を築く。

長谷邦夫・漫画家

赤塚不二夫のブレイン役として知られる。
「COM」で「バカ式」を連載。
先ごろ上梓した『あるマンガ家の自伝 桜三月散歩道』にも当時の模様が描かれている。

★華麗なる競演!ライブペインティング大会

"お題"をもとに、漫画家がイラスト対決!
どんな珍品が飛び出すか?
乞うご期待。
(作品はイベント内で販売します。売上げは東日本大震災で被災された方々に寄付いたします。)

★ミニライブ サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース

漫画家の"あの人"も歌います。
その他、来場者プレゼント大会、グッズ販売もあります。
出展作家も来場予定!

〈来場予定〉
蛭子能収、後藤友香、島田虎之介、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさく、手塚能理子(「アックス」編集長)他

主催・企画・制作
有限会社パールネット(プロデューサー サエキけんぞう)
イベント協力 青林工藝舎
共催 公益財団法人江東区文化コミュニティ財団/森下文化センター
Tel:03(5600)8666


今年の長谷邦夫先生から私・本間正幸宛ての年賀状の文面は、次の通り。


{あけましておめでとうございます。

震災でアパート地面が割れ、引っ越しました!
その時、入力していたクロニクル

『あるマンガ家の自伝 =桜三月散歩道』(水声社)

が12月22日刊行です。
400字×千枚弱・写16ページの大冊となりました。
お読みいただけたら光栄です。
マンガ単行本も執筆中。
トキワ荘の真実・ファンタジー・パロディ!!!
で一冊。
版元決定で144Pは入稿のこり五月ごろには・・・・と。

長谷邦夫

2012・正月}


日本の漫画を心から愛する読者の一人として、いつも有難いメッセージをいただいてます。
私は、井上陽水さんのアルバム【氷の世界】に収録されていた「帰れない二人」や「おやすみ」と共に長谷邦夫先生が作詞した「桜三月散歩道」の歌とセリフが大好きで、中学生の頃はいつも陽水さんの曲を聴きながら、永島慎二先生の作品世界に没頭し、傾倒していました。

遅れて来た読者である私は、自分が生まれる前に創刊された『ガロ』や、『COM』の中に、日本の漫画の青春時代を感じ、自分の青春時代を重ね合わせました。
各地の古本屋から一冊ずつ、随分と長い歳月をかけて二つの雑誌を集め続けたのです。
私が集め始めた頃は、『COM』が創刊号からの60冊揃で何と20万円もの高値がつく状態。
創刊号だけでも、三万円。(今でも一万五千円の値はつく代物)
小学校五年生の時、私の小遣いは500円。
六年生で600円だった時代です。
私は、マンガ喫茶をオープンした1997年秋に創刊号からの『ガロ』と『COM』、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』をやっと揃え終わり、店の看板としたのですから、『ガロ』と『COM』両雑誌を集め終わるのに20年近くかかった計算になります。
私は、つげ義春先生や水木しげる先生、白土三平先生の初出目当てで『ガロ』を、手塚治虫先生、永島慎二先生、石森章太郎先生の初出目当てで『COM』を集め始めたのですが、同時に『ガロ』で滝田ゆう先生の作品の魅力を知り、『COM』では出崎統先生の「悟空の大冒険」や、連作となる「トキワ荘」系の漫画家さんたちの作品群や、漫画の歴史をより深く知り理解することが出来たのです。
私が、特定の作家だけのファンにとどまる通常の漫画オタクと違い、漫画史全般にわたる作家研究、及びコレクターとなるきっかけを作ったのも、今思えばこの『ガロ』と『COM』の洗礼を感受性が一番強い少年時代に受けたからでしょう。
もし、これから当時の雑誌を集めたり、研究をしたいと思う奇特な人がいたなら、初心者には『COM』を、上級者には『ガロ』をおすすめします。(笑)
『COM』は、冊数も60冊と手頃な分量で、連載する作家陣や流通量もそれなりに(現在は保存状態にもよるけど大体一冊500~千円ぐらい?で、復刊号が三千円目安といった所)安定しています。
それに較べて「カムイ伝」掲載前の創刊間もない初期の『ガロ』は、三号目までが白土三平傑作選集として発行されたため、流通量が極端に少なく『COM』に較べて入手困難。
「カムイ伝」未掲載号や、連載終了後には、流通量がめっきり減ってくる上、掲載されている作家さんの顔触れや、誌面全体の雰囲気がガラリと変わるため、創刊から通して集め続けるのには、本棚のスペースの問題もあり、至難の技です。(笑)
今、私が一番におすすめするとしたら、朝日ソノラマ発行の『マンガ少年』揃いになるでしょう。
けれども『COM』や『マンガ少年』でも、これからはバラでなく、割高でも全巻セットの購入をおすすめします。
何故なら、これまでの市場での流通量をみても、バラで揃えるには、相当の根気と歳月が必要。
購入資金が乏しい20代~30代の若者なら、これからバラで集めても良いかも知れませんが、50代~60代の人には、集め終わってから、楽しむまでの至福の時が、短くなってしまいますので、バラでの購入より全巻揃をおすすめしたいのです。

《『ガロ』執筆主要作家一覧?》

[白土三平]

創刊号(1964.9)より短篇を掲載。
【カムイ伝】連載は1964.12~1971.7。
途中、数回の休載あり。
【カムイ伝】には特集号が発行され、単行本は新書判として小学館から発行された。

[水木しげる]

『ガロ』と水木しげる先生との関係は、NHKの朝ドラ人気作【ゲゲゲの女房】で皆さんもご存知だと思われるので、割愛する。


唯一例外となる水木しげる先生以外の当時の『ガロ』を代表する人気作家は、『ガロ』掲載作品を集めた特集号が増刊号として発行されている。

『つげ義春特集』(1968年)
『異色漫画傑作集』
『滝田ゆう特集』
『永島慎二特集』
『勝又進特集』
『林静一特集』
『池上遼一特集』
『楠勝平特集』
『つりたくにこ特集』
『辰巳ヨシヒロ特集』
『つげ義春特集②』
『つげ忠男特集』(1971年)

参考資料【ガロ曼陀羅】『ガロ』史編纂委員会=編(TBSブリタニカ・1991年7月発行)
「あなたの青春は何頁から始まりますか。
時代もあなたもガロと一緒だった。
四〇〇人もの表現者の軌跡と情念。」
には、巻頭カラーで『ガロ』全表紙グラフィティが、巻末に「作家別『ガロ』掲載全作品リスト」(1964年9月号~1991年6月号分)があり、本文は、『ガロ』ゆかりの執筆者&証言者で構成されている。
青林堂からは、『ガロ』ゆかりの作家たちの箱入り限定などの豪華上製本が数多く発行されている。
『ガロ』で活躍した漫画家さんと言えば、街頭紙芝居から貸本漫画家となり活躍を続けた白土三平先生と【カムイ伝】では影武者となる諏訪栄先生こと小島剛夕先生。
そして戦前の街頭紙芝居の名作【ハカバキタロー】を原型としリメイクした【ゲゲゲの鬼太郎】の作者水木しげる先生が雑誌の柱となる。
『COM』が手塚治虫先生の【火の鳥】を柱に、石森章太郎先生や藤子不二雄先生など、商業誌で活躍するトキワ荘世代を中心に創刊したのとは、明らかに趣きが異なるのだ。
以前、私は

「~街頭紙芝居の『墓場奇太郎』はなぜ『ゲゲゲの鬼太郎』へと変貌を遂げたのか~」

をテーマに、成蹊大学文学部学会編として彩流社から発売された

【明治・大正・昭和の大衆文化】(2008年3月発行)

の中に論文

【少年漫画の誕生とその変貌についての一考察】

を発表しました。(笑)
新書判の単行本として虫プロ商事から発行された虫コミックスのラインナップをみても、雑誌のカラーや、読者対象が異なっていることが直ぐに理解出来るはず。
『ガロ』と『COM』の両誌を舞台に連載し、名作を残せたのは、永島慎二先生くらいだろう。
当時の読者層や漫画家志望者達は、『ガロ』派と『COM』派に分かれていたと言われるのだが、残念ながら私は、リアルタイムの読者ではないので、その辺の事情は知らない。


【私の龍馬】イラスト展inお江戸

2012年1月27日(金)~2月12日(日)

会場:森下文化センター
1階 展示ロビー 入場無料

江東区森下文化センター

〒135ー0004
東京都江東区森下3ー12ー17

Tel:03ー5600ー8666

午前9時~午後9時
*休館:2月6日(月)
http://www.kcf.or.jp


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究となります。


それまでの評論家の漫画研究本と、私が監修した【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本になったから。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】(【ゲゲゲの鬼太郎】の原型)の影響があることをいち早く提唱。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主役のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要だ。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要なのは『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』そして『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
青年誌は、今回の『ガロ』と『COM』そして『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の流れを押さえておけば、入門編ならOKだ。


映画と漫画史研究家


本間正幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする