オリーブの木という集まりに参加しています。
毎週金曜日、11時に集まり、おしゃべりをしたり、テキストをリーダーのおねえさんが準備してくれるので、それをもってお互いにいろいろを分かち合いをします。
今内容は、サドルバック教会で行なわれる内的癒しの本をテキストに分かち合いをしています。
ここで扱われる内的癒しっていうのが、どういうのがというと、過去に受けた傷や心の痛みから自由になるという過程を聖書に基づいて一段階ずつ進むようになっています。
レギュラーメンバーのお姉さんたちは、宮崎県出身の、三児のママの光世おねえさんと、関西出身のエリおねえさんです。
正直なところ、最初光世さんの言葉が、非常に不思議なイントネーションで、慣れるまでちょっと難しかったです。
東京の人の高低アクセントとは、まったくちがーうんですね。
で、今日、久しぶりのこれまた宮崎出身のカヨさんというお姉さんが久しぶりに一瞬だけ登場しました。
「近くまで来たの、ごめん用事があるからいくね、これみんなで食べて~!」と言っていなくなりましたが、同じ故郷の人ということで、光世さんとカヨさん、イントネーションがおんなじ。
やっぱりなーと思いましたが、のちの光世さん談によると、宮崎に帰ったら周囲の人に「変な発音」と言われたとのこと。ソウル暮らしと、旦那さん(韓国人で日本語を話す)からの影響で、韓国なまりの日本語に感化された宮崎弁になっているそうです…。おそらくカヨさんも同じ経緯を辿っている。
大阪弁のエリさんは、なんとなくやはり面白いです。
大阪弁ってあこがれますねー。
同じ事を話しても、なんとなく笑えるように話せるってことは、これは得です。
今日の内的癒しのテキストで、昔の自分を思い出すことがたくさん出てきていました。
私は、結構幼い頃から家庭で、たのしい存在としての自分でした。
周囲を楽しくさせたり、笑わせたりする存在…、
そして住んでいたマンションでも、年上のお姉さんたちに遊ばれていることが楽しいような子供でした。
年上の遊んでくれるお姉ちゃんたちの大きい服を着せてもらって、ロングスカートみたいにして、写真を撮って「めぐみちゃんアルバム」も作った。
秘密基地では、年少の私のためにトイレまで作成されていた。要するにおねえちゃんたちは、めぐみちゃんに服を着せて演出することを遊びにしており、めぐみちゃんを遊ばせるアジトを作るということを遊びにしていたような風もあった。
そして私は、そのアイドル的立場を十分に楽しんでいたのでした。
常に保護されたり、特別扱いだったり、かわいがられていたり、面白がられていたりしていた私は、年上の人たちと一緒にいることに慣れ切った子供時代でした。
年下の子と遊ぶことはあまりなかったし、世話を焼くよりは焼かれる立場にいつもいたので、そこから抜け出すことが長年ありませんでした。
いくら教会に長年熱心に通って、神様を本当に信じていても、古い自分の育った環境で培った生き方、方法、生活態度はなかなか直せることではありませんね。そして、それ自体は罪だとか、そういうことでもないので直さなくても良いとも言える。しかし、それがあるせいで、神様を見る目が曇り、自分自身の中には恐れや葛藤が常にあるとすれば、取り除かなければならないものだと言えるでしょう…。
オリーブの木も、一応いまはおねえさんたちばかりなので、昔の形態なんですけど、明らかに今は私の内側が変わっています。
韓国に来てから、信仰生活が本当に向上して、安定感が生まれたせいで、「自分がこの席にいないと不安!」とか、「この自分の立場が失われると、この共同体で居場所がない」という恐れがなくなったと感じます。(要するに私は、幼い子供が登場すると、私に集まっている注目が赤ん坊に行ってしまうーってことが恐怖だったんだろうと思う。)
韓国に来てから、神様に無条件で愛されてる神様の子供なんだ~~~~~っていう喜びと歌が湧き出てきました
それは日本で不十分な信仰養育をうけていたせいだったとかそういうことがいいたいわけじゃありません。神様がこの恵みを大きく知らせるために、すべてが大切なプロセスだったと確信しています。
だから、韓国に来て、言葉も不便な中教会学校の先生までやっている…これは、おどろくべき私の変化だと言えるでしょう。
長いこと、子供には興味がありませんでした。
大人になってしまってからは彼らと同化する方法、もしくは付き合わないという方法で、彼らをケアしたり、かかわったりすることから完全に避けてきました。
韓国で自然に子供を教える教師の役割にもすぽっとはまって来られたのは、内的な部分で神様に上げる目線が確実に以前より澄んできたことが理由のひとつだと思います。
あとは、婚約者に出会って、自分もお母さんになる可能性が生じたことと、開拓伝道がビジョンである彼の奥さんになれば、教会で次世代を育成することが重要な使命だと心から思ったことも理由でした。しかしこれは二次的なものだと言えるでしょう。
今日はオリーブの木で、色々な昔話に花が咲きました。
私たちは毎週11時に集まったら、4時5時、寒くなる時間までだらんだらんしてます。
毎週金曜日、11時に集まり、おしゃべりをしたり、テキストをリーダーのおねえさんが準備してくれるので、それをもってお互いにいろいろを分かち合いをします。
今内容は、サドルバック教会で行なわれる内的癒しの本をテキストに分かち合いをしています。
ここで扱われる内的癒しっていうのが、どういうのがというと、過去に受けた傷や心の痛みから自由になるという過程を聖書に基づいて一段階ずつ進むようになっています。
レギュラーメンバーのお姉さんたちは、宮崎県出身の、三児のママの光世おねえさんと、関西出身のエリおねえさんです。
正直なところ、最初光世さんの言葉が、非常に不思議なイントネーションで、慣れるまでちょっと難しかったです。
東京の人の高低アクセントとは、まったくちがーうんですね。
で、今日、久しぶりのこれまた宮崎出身のカヨさんというお姉さんが久しぶりに一瞬だけ登場しました。
「近くまで来たの、ごめん用事があるからいくね、これみんなで食べて~!」と言っていなくなりましたが、同じ故郷の人ということで、光世さんとカヨさん、イントネーションがおんなじ。
やっぱりなーと思いましたが、のちの光世さん談によると、宮崎に帰ったら周囲の人に「変な発音」と言われたとのこと。ソウル暮らしと、旦那さん(韓国人で日本語を話す)からの影響で、韓国なまりの日本語に感化された宮崎弁になっているそうです…。おそらくカヨさんも同じ経緯を辿っている。
大阪弁のエリさんは、なんとなくやはり面白いです。
大阪弁ってあこがれますねー。
同じ事を話しても、なんとなく笑えるように話せるってことは、これは得です。
今日の内的癒しのテキストで、昔の自分を思い出すことがたくさん出てきていました。
私は、結構幼い頃から家庭で、たのしい存在としての自分でした。
周囲を楽しくさせたり、笑わせたりする存在…、
そして住んでいたマンションでも、年上のお姉さんたちに遊ばれていることが楽しいような子供でした。
年上の遊んでくれるお姉ちゃんたちの大きい服を着せてもらって、ロングスカートみたいにして、写真を撮って「めぐみちゃんアルバム」も作った。
秘密基地では、年少の私のためにトイレまで作成されていた。要するにおねえちゃんたちは、めぐみちゃんに服を着せて演出することを遊びにしており、めぐみちゃんを遊ばせるアジトを作るということを遊びにしていたような風もあった。
そして私は、そのアイドル的立場を十分に楽しんでいたのでした。
常に保護されたり、特別扱いだったり、かわいがられていたり、面白がられていたりしていた私は、年上の人たちと一緒にいることに慣れ切った子供時代でした。
年下の子と遊ぶことはあまりなかったし、世話を焼くよりは焼かれる立場にいつもいたので、そこから抜け出すことが長年ありませんでした。
いくら教会に長年熱心に通って、神様を本当に信じていても、古い自分の育った環境で培った生き方、方法、生活態度はなかなか直せることではありませんね。そして、それ自体は罪だとか、そういうことでもないので直さなくても良いとも言える。しかし、それがあるせいで、神様を見る目が曇り、自分自身の中には恐れや葛藤が常にあるとすれば、取り除かなければならないものだと言えるでしょう…。
オリーブの木も、一応いまはおねえさんたちばかりなので、昔の形態なんですけど、明らかに今は私の内側が変わっています。
韓国に来てから、信仰生活が本当に向上して、安定感が生まれたせいで、「自分がこの席にいないと不安!」とか、「この自分の立場が失われると、この共同体で居場所がない」という恐れがなくなったと感じます。(要するに私は、幼い子供が登場すると、私に集まっている注目が赤ん坊に行ってしまうーってことが恐怖だったんだろうと思う。)
韓国に来てから、神様に無条件で愛されてる神様の子供なんだ~~~~~っていう喜びと歌が湧き出てきました
それは日本で不十分な信仰養育をうけていたせいだったとかそういうことがいいたいわけじゃありません。神様がこの恵みを大きく知らせるために、すべてが大切なプロセスだったと確信しています。
だから、韓国に来て、言葉も不便な中教会学校の先生までやっている…これは、おどろくべき私の変化だと言えるでしょう。
長いこと、子供には興味がありませんでした。
大人になってしまってからは彼らと同化する方法、もしくは付き合わないという方法で、彼らをケアしたり、かかわったりすることから完全に避けてきました。
韓国で自然に子供を教える教師の役割にもすぽっとはまって来られたのは、内的な部分で神様に上げる目線が確実に以前より澄んできたことが理由のひとつだと思います。
あとは、婚約者に出会って、自分もお母さんになる可能性が生じたことと、開拓伝道がビジョンである彼の奥さんになれば、教会で次世代を育成することが重要な使命だと心から思ったことも理由でした。しかしこれは二次的なものだと言えるでしょう。
今日はオリーブの木で、色々な昔話に花が咲きました。
私たちは毎週11時に集まったら、4時5時、寒くなる時間までだらんだらんしてます。
と一緒になると、めっちは、自分の位置づけに苦労してたみたいだった。うんと年下なら、位置関係が分かるが、一つ年下って、何か、やっかいそうだった。末っ子には、末っ子の苦労があるのね。「みそっかす」がんばれ!
修学旅行の時、他県の生徒から「なんかしゃべって~!」「おもしろ~い。まんざいみたい!」って言われた。
なんもおもしろいこと、言ってへんっちゅうねん!!
それにしても、良い交わりやね。ちょっとうらやましい。
日本語で語り合える、それこそなんでも語れる場所って、必要やよねえ。
でも案外、日本にいる方が難しい。そういう交わりを保って…。
末っ子でも小さい子の面倒みるの好きな人もいるし、長女でも小さい子に関心のないひともいるし。
真ん中も、私は結構大変だと思うけどおきよちゃんはどうでした?
そうですよね、大阪人の人って、まじめな話してるのに、ギャグと思われたり、冗談いってんのか!って切れられるケースがあるって聞きます。
関西人独特のセンスとテンポ、これは決して東京の人には修行しても追いつけないものだと思います。面白いのもうらやましいし、国言葉ってうらやましいです。
日本に行ったら、そういう交わり保つのも難しいって、まさにいえる気がする。
でも、それが必要だという点においては、どこにあっても同じなのにね…^^;