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クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

壱岐レポート③方言編

2009-08-27 10:22:21 | 家族の話
ブログの更新が滞っています・・・。

壱岐に行ったのもずいぶん前のことになりつつありますが、忘れないうちに、方言のことも書いておこうと思います。

私は日本語を外国人に教えるための資格の学校に行っていたりした関係上、日本語に関して、時々敏感に反応をします。

壱岐の人たちの方言は大変難しかったのですが、気が付いたことは

① 「~て」を「~ち」と言う。

【東京方言】ご飯を食べて、お風呂に入って

【壱岐語】ご飯を食べち、お風呂に入っち

【東京方言】韓国語ではこれは何て言うの?

【壱岐語】韓国語ではこれは何ち言うと?


② 「~さす」「させる」が、不思議な使い方をされている

普通に東京方言で、「食べる」と言えば良い事をを壱岐では「食べさす」のように使役のような形で使われていました。
たとえば、
ウニが大好きなウチの親族のお姉さまが、ご飯をお代わりしてウニを食べていたときのこと。。

「普段はこんなに食べないんよ。あっちに帰ってから、壱岐のお姉さんすごくよく『食べさす』って言ったらいかんよ」

のように言われました。

これは、「私がすごく良く食べるってことを言わないでよ」

って意味なんでしょうけど、どうして「食べさす」という使役のような形になってあらわれるんでしょうか。。

私は、「めぐみさんにこんなに食べろって勧めたことを言ったらいけない」って意味かと思ってしばらく考えてしまいましたが、違いましたね。

もしかしたらこれは、大阪弁の「壱岐のお姉さんはよく『食べはる』って言ったらだめよ」のような尊敬動詞として使われているんでしょうか?


沖縄のような所に行くと、沖縄方言辞書なども売っているようなんですが、壱岐は辞書はないんでしょうかね。
非常に興味深い日本語でした。

以上二点は、やっと気が付けた壱岐語の法則で、他の言葉は早くて、助詞などが「ん」に変わることが多く、聞き取れない場合も多々ありました。

壱岐レポート② ウニ編

2009-08-15 21:41:31 | 家族の話
ウニ、ウニ、ウニ
と、壱岐に行く前からウニの話を聞かされていました。

東京で100円寿司店に行ったら、本当に元気のないどろっとしたオレンジ色の
何か・・・のように見えるのが、ウニ。。
進んで食べるのは、高いすし屋に連れて行ってもらったときだけ。

そう決めている「ウニ」

夫も、壱岐でウニ食べたら 他のウニ食べられないよって言うし、
おとうさんも「ウニの瓶詰め買うて~ねえしゃんと、お母さんに送ってやったら
ええよ」って言っていました。

そこまで言われる「ウニ」とは?



この写真のウニは、うちのおとうさんの兄弟がやっている漁業のお家で出された
取って置きのウニです。

二日目に食べたものでしたが、実は一日目の昼食もうに丼でした。
はらほげ地蔵という海の中に立つ6地蔵の近くにある食堂を、私たちを
案内してくれた「エイニイチャン」がお勧めしてくださって、
まずは「ウニぶっ掛けどんぶり定食」をそこで頂きました。

二日目は、案内してくれたエイニイチャンがその日の朝、3時に漁に出て
取って来たウニ!
それを、赤外線で滅菌した海水で洗い、出してくれたのが写真のウニです。

これを、ホカホカの白いご飯に乗せます!
惜しみなくたっぷり乗せて、次におしょうゆとわさびを乗せます!
そして、お茶漬けにします。(お茶を注ぐ!)
そしてかっこむ~!

なんて贅沢なんでしょうか…。

その日午後もエイニイチャンが案内をしてくれたのですが、おとうさんが
私のお母さんとお姉さんにウニの瓶詰めを送るからいいとこに案内して
と言ったら、ウニの工場に連れて行かれました。

そこで、アルコール漬けになっているウニは1000円台でしたが、
エイニイチャンお勧めの瓶詰めは、その4倍以上のお値段でした。
でも、おとうさんが私の都会の母と姉にも良いウニの味を教えてあげたいと
思ってくれたのか、せっかく送るんじゃけん!ってそれをクールで直送
してくれました。

おとうさん、めちゃめちゃ やさしいです。


ちなみにそこに行って分かったことは、ウニにも色んな種類があり、
赤ウニ
黒ウニ
紫ウニ
馬糞ウニ!

うーん!馬糞に似てるのが名前の由来なのは分かるけど…
こんなにおいしい物にそんな名前付けないで…TT

でも漁師の兄ちゃんは、事も無げに「これが馬糞ウニで!」って
紹介してくれました。
さすがですね。

今でも海女のお仕事は盛んに行なわれているらしいのですが、ウエットスーツは
禁止という区域もあるんだとか。
その理由は女性の方が皮下脂肪があって、長時間潜水できるので、とりすぎて
しまわないために、効率の良いウエットスーツは着用不可ということです。
古いセーターなどを着て、その上にレオタードをつけて、今でもたくさんの
海女さんが活躍中なのだそうです。

お嫁に来て、大人になってから始める方もいらっしゃるとの事。
幼い頃から修行をしなくても、できるんですか?と聞いたら、
物事何でも楽じゃないけど、やる気さえあれば!とお兄さんが答えてくれました。

漁師もきつい仕事だろうけれども、お兄さん生き生きと壱岐を生きています。

壱岐レポート①

2009-08-15 11:25:30 | 家族の話
日本に里帰りしております。
主人の実家、福岡におりますが、
昨日までは、義父の実家のある壱岐に行っていました~!

壱岐ってどこ?
私聞いてみるまでよく知りませんでしたが、福岡の博多港から船で2時間、
離れ島なんですね。

私たちの結婚式のときにも、わざわざ船に乗って向こうから親族の皆さん
きてくださって、一回来い!来い!といわれていました。
私も話に聞く「生ウニどんぶり」食べたさに?ま、あと、船に乗るのも
結構面白いんじゃないかなーと思い、今回舅&嫁 ペアで里帰りしてきました。

本家のなんとか、かんとかを聞いていたのですが、町育ちの私には、
本家も分家もそういう概念自体がないのでピンときてなかったのですが、
本家…というのは、義父の兄弟7人の、一番上のお兄さんの、それまた長男と
そのお嫁さんと、その長男が住んでいるというふうな、血統正しいお家であり、
先祖のお世話やなんやかやと、私の知らない風習がそこにはあるようで、
びっくりしました!

そして、本家じゃないおじさんがたも、壱岐で漁をしている方もいらっしゃるし、
築60年とか70年とかのお家も見せていただきました。

何もないけんね~って言いながら、ウニとかあわびとか出していただいたり、
狭い島やけんね~って言われながら、キレーな海岸や、巨大な岩を見て、
色々堪能して帰ってきました。



あいにくの天気ではありましたが、「左京岩」





はらほげ地蔵
おなかにくぼみがあって、そこに供え物とかを入れるらしい・・
海女さんが前掛けなんかを作って、被せたりしているみたい。
満潮のときには、海のなかに6地蔵が立っている形にみるようです。



本家の前の海から見える神社・・・。
夫に帰ってきてから見せたら、そこに昔は皆、泳いで渡ったんだとか。


私たちはクリスチャンなので、信じるものは違うのですが、田舎の人たちの
宗教観とか暮らしをそばで見ることができたのは良い経験でした。
特にお盆の時期なので、都会では見たことの無い行事をしているようでした。

おとうさんとも、おいしいものを一緒に食べて、色々共有し、
普段は足腰悪くてよく歩けないお父さんなのに、壱岐では、
「勝手知ったる」自分の故郷なので、スタスタ歩いてまして、
さすがだと思いました。

また、次回壱岐レポート、続けて掲載しようと思います~!

九州

2009-07-21 20:15:47 | 家族の話
先週月曜から、今週の月曜まで、夫の実家のある九州に行ってきました。

夫を外国でであった日本人で、身近な人として認識してましたが、九州に行くと
舅の話すことばは、博多弁、夫までもが、ソウルでは標準語だったのに
実家に帰ったら方言ということで、完全私だけガイジン状態です。

お義母さんがなくなって一年になりましたので、実家で記念会を催すという
ことがメインの目的で帰省したのですが、予定が二転三転しました。

当初の予定は、ソウルからKTX(新幹線みたいなもの)に乗り、プサンで
船に乗り換えて福岡行きという予定でした。
それというのも、10年前に横浜の母教会にきてくれた短期宣教チームと
そのとき以来で連絡が取れ、会う約束をしていたから、わざわざ船での
帰省を計画していたのでした。

10年前教会に来てくれたそのチームのうち、女の子二人が家にホームステイを
しましたが、そのとき、母はもちろん、私も韓国語を習ったこともなく、
その二人との会話はとんでもない英語と手振り身振りでした。

韓国に来て3年になり、あるサイトを通じて名前を検索して彼女たちに連絡を
取ることができました^^

会うことを大変楽しみにしていたのですが、結局…韓国で協力関係を持っている
ドキュメンタリー監督が日本の福岡で私たちの滞在と日程がかぶって
集会をするということになり、一緒に韓国で行動することになってしまい、
飛行機での往復になりました。

いつも横浜の実家に帰るときには、成田に着けばそこから2時間近くバスや
電車を乗り継がなければいけないので、韓国と日本が近いと言えども、まぁまぁ
大変ですが、福岡は、というか、夫の実家は空港からも車で20分程度、飛行時間
はきっかり1時間なので、大変大変近いです。

来るなり翌日から、鹿児島へ~
お義父さんのお姉さんが鹿児島に嫁いでおり、毎日毎日一人暮らしのお義父さんは、
私たちが来るとうれしいのと、嫁に九州を見せたい熱意でアチコチ行きたがります。

私も鹿児島は小学校3年くらいのときに行ったきり、一度も行ってないので、
期待感がありましたが海に浮かぶ桜島を見て、うわぁー本当に来たーと
思いました。

関東は人口が多いせいか・・・いい景色の道路は常に大渋滞ですが、九州は
走っても走っても混むことがないですね。
鹿児島ではますます訳のわからない鹿児島弁で、昔の話をしているので、
私はついつい眠くなってしまい、暑いしだるいしでうとうとしてましたが、
お義父さんが満足そうだったので、ヨカッタヨカッタ。

翌日は鹿児島でちょこっと観光して高速道路で福岡に戻ってきましたぁ。

次の日からはお義父さんの確定申告(遅れすぎ)や何やかやで飛ぶように時間が
過ぎて行き、記念会をこなし、週末になったら夫は先に韓国帰り、
そして監督が来て、飛ぶようにスケジュールをこなし、韓国に戻ってきました。。

こっちはこっちで引越しの準備でございます。
毎晩夜遅く、地域徘徊してダンボール収集に励みます。
来週木曜お引越しです。

いのち

2009-04-06 16:34:40 | 家族の話
こんにちは~。

韓国にも春がやってきました。
日曜ごとに礼拝をささげに行っているカンナム教会は、私たちが1月10日に
結婚式を挙げた教会です。あの日は寒くて、来てくれた親族たちも寒さに
凍えていましたが、昨日礼拝に行ったら街路樹が細い種類の桜なのですが
お花が咲いていました。

日本で見るような大木の桜はこの辺にはありませんが、気候が似ていることで
春を思わせてくれる大事な風景です。

木も生きているのね、とうれしく感じます。

スギ花粉はぜんぜんうれしくないのに、桜はうれしいです。


知っているお姉さんが出産してお母さんになったり、身近でお付き合いがある
方も最近出産されて三人目で始めての女の子を授かったり。
私の周りには命があふれています。

我が家にいつ赤ちゃんが来るのかは分かりませんが、結婚して赤ちゃんを
生める環境が与えられたって、まだ赤ちゃんが来ていなくても幸せな
ことですね。

友達も結構多くの人たちが妊娠と出産を経験しています。

女性として、その体の変化がどんなだったのかを考えると、正直怖い思いが
先立ったりもします。
体力に自身の無い私は、気分だけは幸せを想像しますが、実際の妊娠は
大変だろうなぁーと考えてしまいますね。

サルトルという哲学者が現代人のことを、自由と言うのろいに縛られている
と言ったと聞きました。

結婚前に子供を授かって育てて幸せな家庭を築く人もいっぱい見ましたが、
そうじゃないケースもいっぱいあると言うことを改めて、つらい思いで考え
ます。

私が日本語を教えに行っているあるご婦人は、結婚してから10年間の
不妊に苦しみ、病院通いをして、ようやく双子を出産したそうです。
だからその方は、先生も早く^^っていつもおすすめしてくれます。

以来、赤ちゃんのことをちょっと考える機会が増えました。

自分の思い通りに子供がほしいときに簡単に妊娠できるとは限らない、
この大切な命の問題について、自分の都合や、経済的なことや環境や、
または何か優先したい欲望などで先延ばしにし続けたとして、後で
いつでも赤ちゃんがやってくるとは限らないんだよね…と。

私たち家族にとって大事な事、幸せなことであり、親たちにとっても
大変な喜びになることだから、良く祈って考えていかなければいけないなと
改めて感じさせることでした。
神様のゆるして下さっている時間を、自分勝手な心配や計画や考えだけで
先送りにしていたら、それはよくないことかも。。
赤ちゃんに最善の環境を用意してあげることは、大事なことですけどね。
でも、もしいのちが送られてきたら、それは私たち夫婦への神様からのOK
ですよね。ここに信仰をもって進む勇気が要求される・・・。

また、その日本語の生徒さんがおっしゃることは、韓国は血筋を大事にするため、
男の子じゃなければ堕胎をしたり、障害児だったらおろしたりということが
行われるケースがあると言う話も、頭がクラクラするくらいショックでした。

私は女の子として生きてきて、とっても幸せだったし、今も女性として
幸福真っ只中なのに…女の子だったら要らないなんて。
そのまま殺されてしまった、小さな私の姉妹のように思える命たちに対して
本当に胸が痛みました。

自由に何でもできること、
法的に何にもひっかからないからしてもいいのか。
自由という呪いに自分も縛られている意識がないかどうか?

この中絶問題だけではなく、私も見えないところで何かを殺したり、
誰にも気づかれない罪を犯している可能性もあるということを、
今一度考えます。

とにかく何にしても、神様が私を女性としてこの世に、この両親の元に
この家庭に生まれさせてくださったことに感謝しますし、おなかの中で
大事に育ててくれた母にありがとうと言いたいです。

体がつらかったり気持ち悪かったりする10ヶ月を乗り越えて生んでくれた
ということと、無事に生まれてこられたこのことは、赤ちゃんができたから
生んだという偶然や、当たり前のことではなくて、本当にスペシャルだったんだ、
特別なことだったんだと思えるから感謝です。

価値のある命なのに、愛を受けることができないで育つ人もいることを
聞いたり見たりして知っていますが、その悲しみ、私には理解することが
できないかもしれないけれど、でもそれでも、価値があるいのちだという
ことを知ってほしいです。

そういうことを伝えられる人間になれるよう、そういうことを伝えられる
心を持てるようにがんばります。

今週は受難週ですね。
イエス様の十字架と復活のいのちあふれる奇跡を味わう一週間になりますように。

母の公式は「みどりのコロコロ×3=母」

2008-08-22 00:07:55 | 家族の話
実家で過ごしていたこの10日間、ある思い出の品を見た。
それは、母の首飾りです。

私が物心つく時分~小学生低学年ごろかな。。。
母が好んでつけていたネックレスでした。
母に抱っこされるといつも目の前にそのネックレスがあって、幼い私は「おもしろいな~」といつも思って目の前にそれを見ていたのでした。

それだけ印象的なデザインだったということ。

金で、鳥かご状に作られた球体の中に、みどりの宝石がコロコロと三つ入ってゆれています。
その三つのみどりの宝石も、まん丸とか、カットとかの石ではなく、やわらかい不恰好な丸が三つ。
子供が目をハートにして面白がりそうなネックレスでした。

「ねぇ、あれある?」と聞いたら母が出してくれました。
みどりの宝石は、ハワイでしか取れない溶岩?らしい。

改めて見ても、変わることの無いみどりのコロコロは、金のかごの中に仲良く入って揺れてました。
懐かしいなぁ。

私は。。。子供を抱くとき何をつけようかなぁ。なーんてまだまださきだけど!

アクセサリーが好きで、かなりの数を持っているけれど、好きでかわいいおもちゃのようなものを購入してしまうことが多くて、これと言う決まったアクセサリーは私は決めてない。
指輪だけは今は、ペアリング一個だけをつけているけど。

オシャレというほめ言葉も時々かけてもらえる私だけど、違ったオシャレもイイナ。
香水も決まったものだけ。
アクセサリーも、私を思い出してもらえるようなひとつを決める。

今は常に気分とその日の服とか、行き先に合わせて全てを変えてます。
でも、そういうのじゃないってのもイイナと、みどりのコロコロを見て思いはじめました。

そういえば・・・、ふと思い出されたのだけれど、横田めぐみさんが、拉致された後に、「お母さんは柑橘系の香水をつけていて」のようなことをお話されていたということに対して、お母様もコメントされていたことがあったっけ。
めぐみさんにそのように言われたことで思い出したけれど、一時期そういう香水をつけてましたと言われてた気がする。

みどりのコロコロのネックレスを見ても、家族のほかの人は「そんなのあったっけ」と思うかもしれないのだけれど、私だけが知ってる「=ママ」という公式なのかも。
めぐみさんの思いの中には、きっとその香り=お母様だったんだろうな。

オシャレ云々、よりも、とても大切な親子の共有した風景にあった柑橘の香り。
私の幼い風景には金のかごの中にみどりのコロコロです。
あのネックレスを見ると、その時の風や光、坂道のぼこぼこまで思い出せそうな気がする。

幸せ涙

2008-07-28 01:43:58 | 家族の話
彼のおかあさま召天から、もうすでに二週間が経とうとしています。
回復しつつあります。

先週教会学校のこどものキャンプがあって、そこでかなり。

まず一つは、こんなこと言ってはなんだけど、気がまぎれました。

月曜から水曜までは、何か仕事して、忙しくて辛くなって、部屋に戻ってきて、おかあさん思い出して泣いて、自分の幸せ思って、もっと泣いて、なんか、悲しいのと、幸せだった分、亡くなって残念っていう思いもあって、なんか良く泣いてたし、ピアノも弾く気になれず、重要な用事以外は家に引きこもりたい気持ちでいっぱいでした。
木曜の朝からキャンプに行きましたが、泣いていられるわけないですよねぇ。
子供連れて、ものすごいスケジュールで、かわいい子供たちは私をめんどくさくさせるほどに「めぐみせんせーめぐみせんせー」って来てくれて。
幸せでした。

このキャンプでは、大人、教師が、子供に先立ち、積極的に遊び、讃美し、礼拝をささげることで、子供を引っ張ります。
なので、三十路めぐみせんせい・・・水着まで購入して参加しました。

泣いてる余裕があるわけなく、ひそかに讃美の中で感動と、言い知れないおかあさんへの郷愁を感じてましたが、三日間、怒涛の中で、癒されました。

キャンプのめぐみは別の記事で書きたいと思いますが、とにかく、元気になって来れました。

彼は韓国に戻ってきまして、今は、自分は回復しましたが、福岡に独りでいるおとうさんのことを心で心配する時です。
自分が元気になったからって、OKじゃなくて、自分が悲しい時期を通ってきたことを肥やしに、もっと人を気遣う・・・「人」っていうか、大事なおとうさん。気遣える私となりたいです。
神様の愛情を頂いて、深い同情と痛みをもって、新しい家族のためにとりなしの祈りをささげる時としたいと思います。


おかあさんが天国に行って何がそんなに悲しいか。
天国に行くことは、悲しくないはずですけど、涙が出て止まらない理由も色々考えました。
彼の故郷に行って、島の親戚の人たちも出てきて、昔の話しになるのですが、少年だった頃の彼の話もリアルに聞けたりして、やっぱりとても素敵な人だとおもいました。今が素敵な青年であることは、自分が交際してるんだから当然素敵なんですけど、少年の頃から、なんて立派に育ってきた人なんだろうって思うようなことばかりでした。

改めて彼を尊敬もし…自分がこういう人の所にお嫁に行くって幸せなことだと思いました。

少年の彼は、仲の良いご両親の元で大切に育てられ、ご両親は彼の前では決してけんかしなかったといいます。
彼が中学生でキリスト教の信仰をもってからは、筋の通った信仰を守り通して、きっとその姿にご両親も一目置いていたんじゃないかと思います。
遠く韓国に行くことも、おかあさんが納得してくれて送り出してくれたことは、彼の姿勢、息子としての姿勢、また、クリスチャンとしての歩みの姿勢が良かったから、両親が彼を信じて送ってくれたんだと、はっきり分かりました。

その後、両親も同じ神様をはっきりと信じるようになって、クリスチャンになりましたが、おかあさんは彼と同じように筋の通った信仰を守り通して天に召されて行きました。

親としても素敵な方たちで、息子としての彼も素敵で、その愛情と信頼関係を思うと、とてもいい家庭だという風に思えました。
そんな幸せと、別れの辛さと、懐かしさと、その家庭の素敵さと、おかあさんへの尊敬と、彼への尊敬と、愛情と、感動と、もう全部がごちゃまぜになって、涙涙ってなってしまっていたんかなぁと思います。

でもって、その、島(おとうさんの出身)の親戚の人たちは、それはそれで、かなり面白かったです。
葬儀の席で面白いってのも微妙ですが・・・。
まず、言葉がよくわかんない。
方言というより、外国語です。
彼らも「言葉も通じないのに、どこにも行けん」みたいな感じで、船で一時間の福岡を外国よわばりしています。
気質もすごい面白い人たちで、嫁に行く前にこんなに親戚の人に出会って、しかも、まぁ、「メグミチャンメグミチャン」と、歓迎されました。
「次はめでたい事だからな!結婚式楽しみだ。はっは~!」
と言う感じで大笑いされました。

と言うわけで、幸せなのは幸せです。
これからのおかあさんを思い出す涙は「幸せ涙」となることでしょう。

オモッタヨリモ

2008-07-23 23:36:41 | 家族の話
彼のお母さんが亡くなった事にショックを受け続けている私です。

何を見てもお母さんを思い出すことばかりで、涙が出ます。
福岡にいる彼は色々いそがしくしているようで、あまり母について考えないのが幸いで、と言っていて、逆にひとりでこっちに戻っている私を心配してくれています。

逆になっちゃったね、と言いながら。

月曜から本日までほとんどまともに何も手につかず、廃人化していますが、そのうち立ち直ります。

よ~く考えても、天国に行かれたお母様のことを悲しむ必要はないのだけど、ただ、もう会えないし、メールもやり取りできないし、私達の結婚喜んで励みにしてたおかあさんを思うと結局、なんとなく涙がでるし、寂しいですね。

こんなことでは、私本人の親が死んだときにはどうなることか。
もう嫌って言うほど長生きして欲しいものです。

夫になる人にも、嫌って言うほど長生きして欲しいものです。

みんなで一緒に天国にあげられる日があったらいいな。
長生きしてる間に。

天からのはげまし

2008-07-19 23:03:32 | 家族の話
私の婚約者のお母さんが水曜日に亡くなりました。
慌てて木曜日の朝彼は日本九州へ。
私も夕方の便で追って向かいました。

思いも寄らない、急なことでした。
先週、体調が一時回復して、退院してから、すぐの召天でした。

「私は大丈夫だから二人仲良くね」
と送ってくれたメッセージが繰り返し思い出されます。

今回の交際と、婚約までの間、おかあさんからは、本当にたくさんの愛を受けました。
ひとり息子を信頼している姿も立派でしたし、
私がお嫁に来ることをとても喜んで私を可愛がってくれたことを感じます。
たった数回しかお会いできなかったのですが、初めから、嫁に来る来ないを超えて、「仲良くできそうね^^うれしいわ」という感じで接してくれたお母さんの思いが懐かしく恋しいです。

二人仲良くね、と言って大事な息子さんのお嫁に来ることを認めて喜んでくれたお母さんに、これからも孝行できるように、そして、お父さんにも倍以上の愛と孝行で仕える夫婦になれるようにがんばります。

私と家族になることを望んでくださったおかあさんの思いを今、心にいっぱいに思い出しています。


博多弁は難しいんですが、博多弁で天国から励まされる気がします。
「私が見とうけんね、泣かんと、皆なかようね」
こういう感じかな。。

おかあさん、私がんばりますね。