用事があって日本に電話してみて知った。
休日返上して働いていたのか、秘書の方が出られて
「今日から実は年末休暇なのですよ」
年末なんだよねぇ~・・・。
韓国は旧正月なので、この1月1日はそんなに正月の雰囲気はありません。
と言っても旧暦の元旦だからって、おせちがスーパーに出るわけでもないし、雅楽春の海とかが流れてるわけでもないので、全然お正月ってのはないんだよね。
つまんな~い。
昆布巻き、栗きんとん、こもち雑魚、数の子
たべたぁーい。
年末、日本から来ている留学生の人や、先輩達も帰国しちゃったりすると、普段一緒に生活してるわけでも、しょっちゅう会ってる訳でもないのに、(っていうかたまにしか会わないんでしょ。)すっごく寂しい。
ひとりで異国に来たときは元気だったくせに、おいおい、なんだよぉ。
今年も終わっていくということで、感謝なことを思い出したいと思います。
感謝なことは私の価値観や信仰を新しくする、とてもフレッシュな体験が沢山あったこと。
これは主に今年の前半に目覚しかった事だった。
神様は大きな方なので、新しく知ることが沢山あって当然だった。
感動的な、新しい出会いって感じでした。
しかし、これらの事も、自分できちんと祈りながら判断して消化しなければダメということも後半ではよく知った。
これは目覚しくフレッシュな体験に、すこしストップをかけるものでもあって、私的にはちょっと痛い感じだったけど、将来的にはとても感謝な経験になっていくと思う。
大事な事は、これを学んだという事実じゃなくて、なので、これから具体的にちゃんと自分の目で見て、自分で祈って、聞き分けていく霊的力、判断力をつけるためにトレーニングが必要で、実際にそれを行っていくところに意味があります。
ますます、厳しい展開になってきてますが、神様の弟子としては当然のことだね。
韓国の讃美でこんなのがあります。
세상을 보고 사람을 볼때
世を見たり人を見たりするとき
만족함이 없었네~
満ち足りるものがなかったね
나에 하나님 그 분을 뵐때
私の神様 その方に会った時
나는 만족 하였네~
私は満ち足りたんだよね~
저기 빛나는 저 태양을 보라~
その輝く太陽を見よ
저기 서있는 저 산을 보아라~
その聳え立つ山を見よ
천지 지우신 우리 여호와
天地を造られた 私たちの神
나를 사랑하시니.~
私を愛してくださったから
나에 하나님 한분 만으로 나는 만족하여라.
私の神 お独りだけが 私を満ち足りたものにする
동남풍아 ~~~
東南風よ~
불어라~~~~
吹け~
서북풍아~~~
西北風よ~
불어라~
吹け~
가시밭에 백합화
人生の苦しいいばらの中の 白百合
예수 향기 날리니
イエス様の香り とんでくから~(香るから~)
할랠루야 아멘
ハレルヤ アーメン
この歌は、音をお伝えできないのが残念ですが、聞いたらびっくりするような、日本で言う演歌調?
なんとも伝統的雰囲気の讃美なわけで、歌詞が伝える迫力も、私のイメージでは「根菜」=ごぼう系?の力強さを感じます。超勝手な解釈ですが。
どんな風が吹いたとしても、倒されるどころか、イエス様の香りが香れ~というくらい、確信のある信仰の強さが欲しいです。
人から通して学ぶことも多いけど、最終的に自分の命を神様に従わせていく献身の道は、自分の選択と神様の恵みの中で成就されていくものです。
人は、各自の働きにしたがって、集まっては散っていきますが、神様の愛と、その愛によって立たせられた私の存在というのは、決して動かされない確かな中に置かれている事を改めて確認します。
この歌を聴きたい人は、帰国している時に私にお願いしてください。
「ごぼう系」で歌います!
休日返上して働いていたのか、秘書の方が出られて
「今日から実は年末休暇なのですよ」
年末なんだよねぇ~・・・。
韓国は旧正月なので、この1月1日はそんなに正月の雰囲気はありません。
と言っても旧暦の元旦だからって、おせちがスーパーに出るわけでもないし、雅楽春の海とかが流れてるわけでもないので、全然お正月ってのはないんだよね。
つまんな~い。
昆布巻き、栗きんとん、こもち雑魚、数の子
たべたぁーい。
年末、日本から来ている留学生の人や、先輩達も帰国しちゃったりすると、普段一緒に生活してるわけでも、しょっちゅう会ってる訳でもないのに、(っていうかたまにしか会わないんでしょ。)すっごく寂しい。
ひとりで異国に来たときは元気だったくせに、おいおい、なんだよぉ。
今年も終わっていくということで、感謝なことを思い出したいと思います。
感謝なことは私の価値観や信仰を新しくする、とてもフレッシュな体験が沢山あったこと。
これは主に今年の前半に目覚しかった事だった。
神様は大きな方なので、新しく知ることが沢山あって当然だった。
感動的な、新しい出会いって感じでした。
しかし、これらの事も、自分できちんと祈りながら判断して消化しなければダメということも後半ではよく知った。
これは目覚しくフレッシュな体験に、すこしストップをかけるものでもあって、私的にはちょっと痛い感じだったけど、将来的にはとても感謝な経験になっていくと思う。
大事な事は、これを学んだという事実じゃなくて、なので、これから具体的にちゃんと自分の目で見て、自分で祈って、聞き分けていく霊的力、判断力をつけるためにトレーニングが必要で、実際にそれを行っていくところに意味があります。
ますます、厳しい展開になってきてますが、神様の弟子としては当然のことだね。
韓国の讃美でこんなのがあります。
세상을 보고 사람을 볼때
世を見たり人を見たりするとき
만족함이 없었네~
満ち足りるものがなかったね
나에 하나님 그 분을 뵐때
私の神様 その方に会った時
나는 만족 하였네~
私は満ち足りたんだよね~
저기 빛나는 저 태양을 보라~
その輝く太陽を見よ
저기 서있는 저 산을 보아라~
その聳え立つ山を見よ
천지 지우신 우리 여호와
天地を造られた 私たちの神
나를 사랑하시니.~
私を愛してくださったから
나에 하나님 한분 만으로 나는 만족하여라.
私の神 お独りだけが 私を満ち足りたものにする
동남풍아 ~~~
東南風よ~
불어라~~~~
吹け~
서북풍아~~~
西北風よ~
불어라~
吹け~
가시밭에 백합화
人生の苦しいいばらの中の 白百合
예수 향기 날리니
イエス様の香り とんでくから~(香るから~)
할랠루야 아멘
ハレルヤ アーメン
この歌は、音をお伝えできないのが残念ですが、聞いたらびっくりするような、日本で言う演歌調?
なんとも伝統的雰囲気の讃美なわけで、歌詞が伝える迫力も、私のイメージでは「根菜」=ごぼう系?の力強さを感じます。超勝手な解釈ですが。
どんな風が吹いたとしても、倒されるどころか、イエス様の香りが香れ~というくらい、確信のある信仰の強さが欲しいです。
人から通して学ぶことも多いけど、最終的に自分の命を神様に従わせていく献身の道は、自分の選択と神様の恵みの中で成就されていくものです。
人は、各自の働きにしたがって、集まっては散っていきますが、神様の愛と、その愛によって立たせられた私の存在というのは、決して動かされない確かな中に置かれている事を改めて確認します。
この歌を聴きたい人は、帰国している時に私にお願いしてください。
「ごぼう系」で歌います!