metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

考えるだけでハッピーになるくらい大好きな人

2006-07-16 19:28:04 | クリスチャンとしての私
どきっ!ときめく話?うん、確かにときめく話かも。

私には大好きな人がたくさんいる。近くにも遠くにもいるし、一人ひとり本当に大好き。
そんな人たちのことを考えているととても幸せになる。
思い出すだけで幸せをくれる、私の大好きな人たちに、私も思い出されるときに幸せな気持ちを持ってもらえる人になれたら嬉しいな。

私が韓国に来てから、説教の理解ができないときに、説明してくださっている牧師様がいらっしゃるのですが、その方は子供礼拝の牧師様です。
はっきり言って、普段話す言葉はかなり難しく、難解な単語も多い人なので、決して子供牧師だから人に何でも分かりやすく話す人だという訳ではないようなのです。
その方が、本当に忙しい中いつも私のために喜んで時間を割いてくださって、説明をしてくださっていました。伝わってくるものが本当に大きくて、いつもいつも、母語でメッセージを聞くよりも大きな恵みを受け取る時となっていました。

なぜ、この牧師様の話す言葉が、私にとって力を持つのか、なぜ私にいつも新しい感動を与えるのか。

昨日、この方の仕事を手伝って、子供の夏のキャンプのプログラムのデザインをさせてもらいました。その中に、私が常日頃から意味の分からないと思っていた「なぞの単語」が登場しているのを発見!やった~!解明のチャンス!

聞いてみたら、非常におもしろい単語で、直訳すると「『使い』を受ける」。神様に「用いられる人」になるように、ということだった。
表現するときに、「使う」という動詞を名詞に変えた形にして、それを受ける、とするということが分かった。

私の質問に対する応えはそれで十分なのです。

しかし、この牧師様は、
「めぐみ、神様に用いられるって人生がどんなに幸せだろうね、あの使徒パウロがサウロから変えられて、天国にいたる道に仕えるようになったんだよね、だから、めぐみも神様に呼ばれて『使いを受ける』人だね、うちの主任牧師も、元老牧師も『使いを受ける』人だね、そのような人にしていただけるよう、神様に僕達は祈るんだ!あぁ~~~~僕は嬉しい!涙が出るぅ」と言って泣いているのです。

この牧師さんがどんなに忙しいか。。。考えるだけで死にそうになる忙しさの中、私の質問に丁寧に答えてくれるから、よく分かる以上に、この人自身がいつも深い感動と喜びを持って生きていることが、見えるから感動があるんだと思う。伝える人が感動しているから、また、私にその恵みを伝えたくてたまらないから、説明も厭わず、時間を喜んで割いてくださるんだと思った。

神様の事が大好きなんだ。
私が、大好きな人たちのことを考えて幸せになるように、この牧師さんは大好きなイエス様の事を考えると、幸せになっちゃう。
イエス様もどんなに、この牧師さんを嬉しく思っておられるかと思う。

この牧師さんがこんな風にハッピーになっているのを、私は良く見ます。あふれ流れる愛を受けて、その喜びもあふれちゃって、どうしよう!って感じです。

私の人生の目標の姿を持っている牧師さんです。この方みたいになりたいし、この方のハッピーな姿を思い出すと私もハッピーです。ありありと、イエス様が目の前にいるかのように生きている人の姿は、人を立ち上がらせ、感動を与えるものですね。

今日も、幸福に過ごそう!