metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

「神」の呼び名

2009-04-28 18:02:39 | 神学校
今学期の授業は
月曜 韓国教会史
火曜 組織神学特別講義 預言書 教会成長学
木曜 キリスト教教育 説教学 パウロ書信

となっていますが、韓国教会史は、韓国には珍しく、といっては大変失礼で
すが歴史認識視点が中立の教授先生が来て教えてくださり、ためになる授業
です。

本当に失礼ですが、韓国には侵略の歴史が色濃く残ることを知っていますが、
歴史認識が偏っている人たちが非常に多いです。

それというのもわれわれ日本人が侵略をしてしまったことが原因の一端を
担っているので、申し訳ない限りですが、申し訳ない以上に可哀想な歴史
認識を持ちながら学問をしたり神学をしたり、牧師をしたりすることは、
その人自身が可哀想なだけではなく、その人から習う人、そしてその教会の
メンバーにまで延々と悪い影響を引き継ぎ続けることになるので、非常な害毒を
もたらします。

教会の講壇で神様のメッセージを取り次ぐなら、それ相応の覚悟が必要で、
人の魂に影響を与える仕事を毎週数限りなくし続けているということを
心して覚えなければいけないということを考えました。
それは後に私や夫が教職になったとき、そして今も時々与えられている講壇の
奉仕に臨む時に、覚悟を持って、恐れを持って、祈ってしなければならない
ということも同時に意味しています。

韓国教会史で、私たちが信じているキリスト教の父・子・聖霊の三位一体の
神を各国でどのように呼んでいるかという話が出てきました。

韓国ではハナニムと言います。
中国ではもともと王をさしていた言葉で呼ぶそうです。
日本は神様とか神と言います。

韓国語のハナニムは、昔からシャーマニズムをしていた人たちの霊媒活動の
時に使われていた言葉から派生したそうです。

以前に教会の講壇から説教の中で「日本人は私たちのハナニムを神と呼ぶそう
だ。神は日本で言う雑神も同じ名前で、八百万の神という概念を持っている
日本でいくら神に呼び求めても、本当の神様が聞いてくれるわけがない」などと
いい加減冗談交じりのような言葉を聞かされたことがあります。

結局自分たちのハナニムという言い方がオリジナルだと思い込んで、自分の
民族性の正当さを言いたかったのでしょうが、私にしてみたら、人格的に
であった、聖書で言われる天地創造の神様が神という名で日本語の聖書に
翻訳されているゆえに、その名を呼んでイエスキリストの名で祈っている
ことをこんな風にけなされて腹立たしい思いがしました。

この説教を喜べるのは地球上で韓国人しかいません。
それって、聖書の真実を語っていることですか。

神学をやっていると、言葉では表現しきれない神様を学問で解体しようとしている
ような現状にたびたび遭遇します。そして、人間の限りある知恵であれこれと
いじくっているうちに、結局大きな間違いをしてしまう学者さんたちもいます。

自分の民族を愛することは良いでしょうけれども、それが高じて、他の国、民族に
対して適当な解釈を「自分の分かる範囲の知識で」下して、堂々と講壇から語って
しまうということが見られます。

どこの土地に生まれても、神様の特別な恵みによって信仰を持つに至った
人たちが、知識のないいい争いをしたり、ある特定の民族の人を傷つける
発言をしても、記憶にも残らず過ぎ去っていくということは、本当に、水準
の低いことといわざるを得ません。

この水準にとどまり続けないでほしいです。
これは日本が昔悪いことをしたから、ということが理由でしょうか?
もちろん原因はそこにあるので、そこに謝罪はしたいですが、自らとどまり続けて
その視点でキリスト教の教育をし続けるなら、韓国人は本当に自らの民族を破壊
に導いていると思います。

このような発言は、一部です。どこの大きな教会も同じ水準や概念では
決してありません。一部ですが、私の周りには多すぎます。

私を傷つけないで、という訴えではなく、神様から真の知識を得たいと
自分自身も願い、またこのような傷を負っている説教者も、真の知識を
得てほしいです。
本当に無駄な言い争いや、突っつきあいで、神様のすばらしい福音を曇らせる
ようなことをしないようにしたいです。


私も言葉を使って奉仕をしていき、また、人を教える奉仕を今後も教会で
していくと思いますが、人を裁くことではなく、このことから学び、また
この一部の韓国教会のために祈っていかなければいけないなと思っています。




いたたた!ピラティス初体験と今日の料理

2009-04-26 00:10:36 | 韓国ライフ
私の出席している日本語礼拝部の働きのひとつとして、
ソウル日本人学校の近くにあるスペースを設けて、
日本人の奥さんたちを集めて交わりや習い事をして
いるというお話を以前から聞いていました。

今週の金曜日、伝道師の素敵な先生に誘われて、
一緒に行って見ました。

普通のマンションに多いときでちびっ子たちが
10人前後集まっている光景はびっくり@_@

普通のマンションなのに、女性たち10人以上が
いっせいにゴスペルを歌ってはもったりしていて、
圧倒されました。

で、私もお手伝いできることがあればいいなー
と思って見に来たのですが、ただただびっくりでした。

朝の10時からピラティスという体操を習い、
引き続いて大音量のママさんゴスペルに参加
してしまいました。

1時間息を吸ったり吐いたりしながら足や腕や
いろいろな筋肉を動かす体操なのですが、
一時間があっという間でした。

朝から思いがけない運動をしてしまい、ぼけ~っ
として家に戻ってきて、食事を作ったら非常な
疲れに襲われ、勉強している夫を退けて布団を敷いて
寝ようとしたら彼の機嫌が悪くなった(ように見えた)。

夜、出かける用事があるといっていたのけど、そのまま
すぅーっと家出してしまいました。

今日起きたら股関節あたりがいた~い!
隣には主人が寝ていました。

一日今日も忙しく、教会で日本語を教えた後、家庭教師
に行って、戻りました。

家庭教師の生徒さんは55歳のとってもきれいな
女性の方ですが、いつも晩御飯のアイディアをくれます。

私が何を作るのかも気になるようでいつも聞かれるので、
気が抜けませんね。

今日はいいピーマンが家にあったので、ピーマンの
肉詰めをするつもりでした。学生さんと食事について
話しているうちに、ハンバーグの話に飛躍。

肉詰めにしないでハンバーグにして、ピーマンはつけ
あわせでも良いかなと気分が変わってきました。

そしてしかも、彼女の言うには、ハンバーグの形
にして味を調えて野菜も混ぜた、焼くばかりのハン
バーグ材料を冷凍しておいて、使いたいときに焼けば
急に準備ができなかったときに使えるんですよ、という。

なるほど、と思い、結局ちょっと多めに牛肉300グラム
をひき肉で買って帰ってきました。 しかも学生さんに、
韓国でナツメグが無いんですけど肉のにおいをどうやって
消しますかといったら、青い唐辛子を入れると良いって
知恵をいただいたので一緒に青い唐辛子もゲットしました。

結局焼いてるうちに、煮込んだほうがおいしそうと思い、
トマトソースを作って煮込みハンバーグになりました。

サツマイモのマッシュのサラダと、煮込みハンバーグ、
大根の味噌汁と白米が今日のメニューでした。

煮込み中の写真です。

ちなみにおいしがってくれたので、冷凍保存の生肉は
結局なしで、すべて焼いてしまいました。

相変わらず体があちこち痛いです。

ピラティス。。。効く。

腕ふるってます!

2009-04-22 14:19:24 | 料理
食べてしまってから、写真を撮っておけばよかった!っていつも思うのですが、
結構料理がんばってますよ~~!

夫が、結婚してからメキメキ太ってしまう韓国のお友達の男性陣を見て、
そして、うちのせまーい台所を見て、そんなに料理しなくて良いから!って
結婚前に言ってましたが、なんとなく、うちで食事って聞くと、がんばりたい
気分になります。
栄養や、大切な二人の食事の時間ですから^^

本当に初めのころはスーパーでおかず買って味噌汁だけって感じで
それでも不満は無かった彼ですが、いろいろやり始めて、今になって
それはもうできない雰囲気です。

先々週ははじめての夫婦大戦争後の「和解の宴」としてサムゲタンを
やってみました。
知っているオンニが韓国人の旦那さんと結婚してこちらに来ているのですが
オンニに電話をして「昨日喧嘩しちゃったぁ~」とぐだぐだしゃべっていたら
オンニが「美味しいものでも準備して帰りを待って、仲良く食事でもしてみて」
と、アドバイスをくれました。
「何がいいかなぁ?」という私に提案してくれたのが「サムゲタン」でした。

結婚のお祝いにいただいた圧力炊飯器についてきたレシピにサムゲタンが
あったことを思い出し、炊飯器でもしかしたら簡単にできる?
と思い、確認。

「もちごめを三時間くらい水につけた後、内臓を取り除いた鶏の腹につめる」
と書いてあり、時間ぎりぎり(そのとき4時だった)!
買い物にさっそく行って、若鶏600円を一羽ゲット。(安い。)
もち米と必要材料を集めて家に帰り、さっそくお米を水につけるところから。
いざ時間が経って鶏の腹にお米とナツメ、にんにく、その他を詰めて火を
入れる段階になりました。

若鶏を取り出したら、リアルでした。
頭を取られた首が力なくダラリンしていて、ひぇーと思いながら、つめて
「楊枝で閉じる」と書いてあったのですが、楊枝が無く、赤い糸を持ってきて
裁縫する要領で縫ってみました。

鶏さんを手術したみたいでした。

炊飯器に入れてサムゲタンのボタンを押して1時間強待ったらまるで
外食で1200円ぐらい払うようなサムゲタンが出来上がりました!

王子をお迎えしたら非常に驚いてましたが、簡単にできたことは言いませんでした。

というわけでいろいろと奮闘努力をしています。

先週はビビンパプ。
ぜんまいと豆もやしのナムルとひき肉と、ゴマの香りのするコチュジャンの
たれで、大成功でした。見た目もきれい!
その前はジャジャンパプ(韓国料理です。黒いカレーのような。。。)
その前はイカの入ったパジョン。

本当に写真に収めてなくて残念~!
ちなみに今日はあまった野菜をナムルにして保存して、今は夜のために
カレーを作ってます。

たまたま行くはずだった講義が休講になり、久しぶりに一日家事です。
クリーニング屋さんに行ってコートを三着出しました。
「ほりえです」といったら「コリエ」とハングルで書かれました。
服の裏にある素材の表示を見て、私のコートが日本語だったので日本人と
分かったらしかったです。読んであげて、最後に名前の訂正をしました。
衣替えの季節ですねぇ。

友達を失う

2009-04-18 00:35:34 | 神学校
昨日、学友を失いました。
正確には失っていないのかもしれませんが、
どちらにしても、この共にしてきた学びの空間を去っていきました…。

イ ジョンホン
彼は、本当にたった一人の私が気楽に付き合える学校の友人でした。
いつから仲良くなったのか分かりませんが、一年生の一学期目は、
なぜか…マッチョな体のくせに、体が悪くて?休学。
夏休みのギリシャ語の特別講義から現れましたが、並々ならぬ語学の領域での
天才振りを発揮。

次の学期も目立った交流は無かったように思いましたが、期末試験の時に
何かを助けてくれたことをきっかけに、気楽につるむようになりました。

うちの学校は、同じクラスに女性がほとんどいません。
99パーセントが男性で、しかもその8割は30~60代(幅ありすぎですね)
です。30代っていっても、なんかオジサンにおい漂う人々ばかりで、
友達って…いないんですよね。。

同じ教会から通っている子達は、外国人の私を助けるどころか、自分の
ことで精一杯なので、一緒に居るだけで申し訳ない気分になり、ぜんぜん
付き合えませんでした。

ジョンホンは、何かというと私を助けてくれもしましたし、私も、彼の
多少アホなところに突っ込みを入れたりして、親しく過ごしました。


それが、昨日、一緒にお父様も通って勉強しておられるのですが、二人で
現れて、「家庭の事情で学校に来られなくなった」と挨拶されました。
ジョンホンは、前の晩にも私に「預言書の授業の課題やった?送ってよ~」
なんていうメールを送って来て会話していたのに、一晩で何があったのか
分かりませんが、急に二人で学校を去っていきました。

私としては、いきなり前に立ったその友達に何を言って良いのか
さっぱり分かりませんでした。

韓国人の皆さんは肩をたたいて慰めたり、男性同志なのでハグしあったりして
励ましてましたが、私としては、何もいう気にも、する気にもなれません
でした。
涙を流しているジョンホンを見て、私が英語の授業で泣いたときに励まして
くれた彼の姿を思い出しましたが、私は彼を励ますこともそばに行くことも
できませんでした。

後でデンワしようと思って夜にデンワしましたが、デンワもとらず。
メッセージに返事もなく。

今の私には祈る今年かできませんし、今後気軽に頼れる友人、連絡できる
友達を失って、正直心細くもあり、そして残念でなりませんが、
共に居てくださる神様を私も信じて、神様にゆだねるしか方法がありません。

彼が私にしてくれたことで、一番私にとって嬉しかったことって何だろう
って考えてみると、ただ一緒に居て、面白いことを笑って時間を共有して
負担にならない友人関係だったと考えます。

なにかものすごい実になる話とか、学術的にスゴイ話とか、本当に尊敬で
きるすばらしい実績とか、そんなのよりも、一緒に食べてしゃべって
笑ってバスに乗って帰って、一緒にアイス食べた、そんな感じ。

他の誰かは私を外国人だからと難しがることもある。
また、他の誰かは、外国人の私に通じないコードの韓国語を使うため
会話ができない。
私の遅い韓国語を待ってくれない人もいます。
その中のどのタイプでもなかった、お友達が居なくなってしまいました。

でもこれからも私は私でがんばろう。
ジョンホンにはジョンホンの道があり、私には私の道がある。
それぞれに行くべき道があるので、それを歩むしかありません。
これからは、私も、隣にいる人の話を聞いて、気張らずに多くを共有できる
隣人になってあげたいです。彼がさりげなくしてくれていたように。

み言葉の黙想-配慮 Ⅰコリント

2009-04-17 08:58:01 | 黙想
日々いろいろなことが起きて、いつもブログ(日記)に残しておこうと思うのですが思ったように記事をアップできません…。とっても残念です。

コリント人への手紙を読んでの黙想です。
これはイエス様昇天後の使徒の時代、コリント教会の信徒へパウロが宛てた
手紙です。

コリント人への手紙第一では、人を配慮することがたくさん書かれています。
当然の権利であったり、間違っていないことであっても、「あなたがたのこの
権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい」、そして
「彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪をおかしているのです」と書かれています。

ということは、キリストは、人々の間で、もっとも弱い人のためににも
いのちを捨ててくださり、彼らを大事にしておられたという十字架の意味が
連想されます。
もしも私たちが、自分の義を優先して、人の思いや気持ち、弱さに
まったく配慮しないで行動を決定していこうとするならば、その行動が
間違ってなくても、キリストが悲しまれることになるんだということが
分かります。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
コリントⅠ 6:20

の本当の意味は、杓子定規で正しい、正しくないを判断して、正しいこと
だけを自身を持ってお前が行えばよろしいというすすめでないことが
分かります。

代価を払って買い取られたからこそ、同じように代価をもって買い取られる
尊い人々の思いや、弱さを配慮しなさいという事だと思います。

神を愛することと、人を愛すること。
これをひとつの次元で考える、ということは、易しいようで、時に複雑です。

なぜなら、神を愛して、神の義だけを追い求めるならば、自分を憎み、
人の行う罪ある行動をも憎み、社会を憎み、とうとう私たちは山にこもるしか
道が無いんじゃないでしょうか?

だけど、神を「愛する」ということは、「律法を守ることで義を確立しなさい」
ではなく、神の愛を知り、神と交わるということだと思います。

他の宗教では神と交わると言ったら、不気味な霊媒師が霊の交流をするような
ものがイメージされるのかもしれませんが、私たちの神、キリストイエス
を信じるキリスト教会で言われる神様との交わりは、「たたり」とか「罰」
とかを伝達するものではありません。
私たちに恐れを与えるような存在ではなく、愛に始まり、愛に終わる、
愛なる神様。

だから、私たちは山にこもったり、孤立して義を求める者になるのではなく
社会にあって、生活をしながら、キリストの愛を自ら黙想し、体験しつつ
実践を持って証しして生きています。そのように努力をしています。

人を配慮しないことがたくさん見られます。
まず、聖書を学んで、それを実践しなければならない、クリスチャンの私たちが
人を互いに配慮したり、仕えあったりすることに欠ける場合もあります。


あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を
現すためにしなさい。
コリントⅠ 10:31

これも、クリスチャンの中では非常に有名なみ言葉ですが、「食べること、
飲むこと」を、個人的な食生活の基本をして捉えて、「よーし。私は今日から
食べるにも飲むにも神のためにするぞ」などと決断してしまうことが
あると思います。それもみ言葉の正しい適用だと思いますが、コリント10章は
正餐式と、当時のユダヤ社会の「偶像にささげられた肉」の取り扱いについて
扱われている部分です。

文脈と背景を考えると、自分の利益を考えるのではなく、他人の利益を
心がけることを基準に、その問題に対しなさいというのがメッセージの
本質です。

ということは、個人的な生活で常に神の栄光をあらわそうというすすめ
というよりは、「あなたがたの」弱い人への配慮そのものが神の栄光に
なるということを言っていると読むことができます。
あなたがたとは、私たち、クリスチャンたちです。


信念を貫くことが神の栄光になることもある。
弱い人を配慮することが神の栄光になることもある。

しかし、私たちの信仰生活は、やみくもに自分の満足する礼拝をただ
熱心にすることが本質なのではなく、その輪の中に居る人、そしてその
輪の外に居る人への配慮も、信仰生活の重要な核である、と言えると思います。

私の配慮を必要としている人は、今日、誰でしょう?
また、私たちの配慮の無さで傷ついた人はいないでしょうか?

イエスさまを信じて、教会に通っている人「たち」として、また、
そのクリスチャン(個人)として、両方の側面から、配慮を黙想しています。

受難週→イースター

2009-04-12 22:14:58 | クリスチャンとしての私
波乱万丈な一週間でした。

まず、電車やバスを乗り継いでほぼ一時間の距離にある、私たち夫婦が参加している教会の特別早天祈祷会に二人で出席しようと、一週間努力しました。

私は二回いけませんでしたが…。

そこに行くためには、開始が4時50分なので、4時に起きて、なおかつ交通手段が無いため、タクシーに乗らなければいけません。
礼拝は毎朝すごくよくて、恵まれて、早起きはそんなに苦にはなりませんでした。

しかし、主人は忙しい毎日で疲れがたまっていたのか、だんだん無口になり、私を傷つけるようなことばかりを発言し、行動したために、週末に私が大爆発して夫婦喧嘩になりました。

喧嘩というより、私の大爆発で怒り心頭だったのですが・・・。

「ひろちゃんは何にも考えてないと思うけどね!」
と言ったら
「うん。何にも考えてないよ。そんなことで傷つかないよ僕は!」
と言われ、
「私は傷つくのよ!」

見たいな感じで、大変なことになりました。


自分のやってる言動を、受けている者と行なう者は違う人間なので、考えてみたら埒のあかない言い争いでしたが、一晩別々に寝て、翌朝、お互い謝りました。

そこで、聖書を読んでいて思うことは、ひとつは、

怒りっぽい者と交わるな
争い好きな女を避けよ

などというみ言葉はたくさん出てくるのですが、

無神経な夫はいけない
女性を傷つける男性は避けよ

は、無い…TT

別に私の場合、怒りっぽいのではないのですが←私の言い分では。
溜まりに溜まったものが爆発するに過ぎないのですが、
怒ることは裁かれて、無神経なのは良いのか…。

などと多少悔しい思いをしました。

しかし、お互い罪びとだなぁと思います。
私たちが大喧嘩になったのは金曜日の夜
イエス様が十字架にかかられたことを記念する受難日でした。

神様に仕える働き人夫婦の受難日は、ちょうど4月10日で結婚三ヶ月目で
大爆発の記念日になってしまいましたが、こんな私のためにイエス様が十字架にかかって死んでくださったということを一晩、一人ぼっちで考えました。

イエス様ありがとう。。!


今日はいのちのイースター。
朝5時半に市庁前で復活の礼拝をささげに夫婦で行ってきました。
相変わらずお疲れモードの主人ですが、私が手を引っ張ってあげて帰ってきました。
これから一年の目標は、怒らない妻…。
がんばります。

いのち

2009-04-06 16:34:40 | 家族の話
こんにちは~。

韓国にも春がやってきました。
日曜ごとに礼拝をささげに行っているカンナム教会は、私たちが1月10日に
結婚式を挙げた教会です。あの日は寒くて、来てくれた親族たちも寒さに
凍えていましたが、昨日礼拝に行ったら街路樹が細い種類の桜なのですが
お花が咲いていました。

日本で見るような大木の桜はこの辺にはありませんが、気候が似ていることで
春を思わせてくれる大事な風景です。

木も生きているのね、とうれしく感じます。

スギ花粉はぜんぜんうれしくないのに、桜はうれしいです。


知っているお姉さんが出産してお母さんになったり、身近でお付き合いがある
方も最近出産されて三人目で始めての女の子を授かったり。
私の周りには命があふれています。

我が家にいつ赤ちゃんが来るのかは分かりませんが、結婚して赤ちゃんを
生める環境が与えられたって、まだ赤ちゃんが来ていなくても幸せな
ことですね。

友達も結構多くの人たちが妊娠と出産を経験しています。

女性として、その体の変化がどんなだったのかを考えると、正直怖い思いが
先立ったりもします。
体力に自身の無い私は、気分だけは幸せを想像しますが、実際の妊娠は
大変だろうなぁーと考えてしまいますね。

サルトルという哲学者が現代人のことを、自由と言うのろいに縛られている
と言ったと聞きました。

結婚前に子供を授かって育てて幸せな家庭を築く人もいっぱい見ましたが、
そうじゃないケースもいっぱいあると言うことを改めて、つらい思いで考え
ます。

私が日本語を教えに行っているあるご婦人は、結婚してから10年間の
不妊に苦しみ、病院通いをして、ようやく双子を出産したそうです。
だからその方は、先生も早く^^っていつもおすすめしてくれます。

以来、赤ちゃんのことをちょっと考える機会が増えました。

自分の思い通りに子供がほしいときに簡単に妊娠できるとは限らない、
この大切な命の問題について、自分の都合や、経済的なことや環境や、
または何か優先したい欲望などで先延ばしにし続けたとして、後で
いつでも赤ちゃんがやってくるとは限らないんだよね…と。

私たち家族にとって大事な事、幸せなことであり、親たちにとっても
大変な喜びになることだから、良く祈って考えていかなければいけないなと
改めて感じさせることでした。
神様のゆるして下さっている時間を、自分勝手な心配や計画や考えだけで
先送りにしていたら、それはよくないことかも。。
赤ちゃんに最善の環境を用意してあげることは、大事なことですけどね。
でも、もしいのちが送られてきたら、それは私たち夫婦への神様からのOK
ですよね。ここに信仰をもって進む勇気が要求される・・・。

また、その日本語の生徒さんがおっしゃることは、韓国は血筋を大事にするため、
男の子じゃなければ堕胎をしたり、障害児だったらおろしたりということが
行われるケースがあると言う話も、頭がクラクラするくらいショックでした。

私は女の子として生きてきて、とっても幸せだったし、今も女性として
幸福真っ只中なのに…女の子だったら要らないなんて。
そのまま殺されてしまった、小さな私の姉妹のように思える命たちに対して
本当に胸が痛みました。

自由に何でもできること、
法的に何にもひっかからないからしてもいいのか。
自由という呪いに自分も縛られている意識がないかどうか?

この中絶問題だけではなく、私も見えないところで何かを殺したり、
誰にも気づかれない罪を犯している可能性もあるということを、
今一度考えます。

とにかく何にしても、神様が私を女性としてこの世に、この両親の元に
この家庭に生まれさせてくださったことに感謝しますし、おなかの中で
大事に育ててくれた母にありがとうと言いたいです。

体がつらかったり気持ち悪かったりする10ヶ月を乗り越えて生んでくれた
ということと、無事に生まれてこられたこのことは、赤ちゃんができたから
生んだという偶然や、当たり前のことではなくて、本当にスペシャルだったんだ、
特別なことだったんだと思えるから感謝です。

価値のある命なのに、愛を受けることができないで育つ人もいることを
聞いたり見たりして知っていますが、その悲しみ、私には理解することが
できないかもしれないけれど、でもそれでも、価値があるいのちだという
ことを知ってほしいです。

そういうことを伝えられる人間になれるよう、そういうことを伝えられる
心を持てるようにがんばります。

今週は受難週ですね。
イエス様の十字架と復活のいのちあふれる奇跡を味わう一週間になりますように。

新しいステップ

2009-04-04 23:09:41 | 韓国ライフ
韓国に来て3年・・・
2006年の4月18日だったか。韓国に渡ってきたのは。。。

丸3年に近い月日が経とうとしています。

韓国で出会った人々、初めて韓国に来た私を助けてくださった人たち、
いろいろなことを思い出します。

韓国人しかいない、保守的な教会に2年半以上いました。
その教会に宣教師として来たので、一般信徒というよりは、多少違った
立場で…。それゆえの苦しみもあり、また、得たことも、いただいたケア
保護、特権もたくさんありました。

結婚してから、家族で同じように動こうと、その教会からは主日は
出て、主人の通っていた教会で礼拝をささげ、午後は日本語礼拝を
行なっている別の教会に足を運び、と、合計で3つの教会に仕えたり
奉仕をしたり礼拝をささげたりしています。

韓国教会において韓国人と同じように信仰生活をしたことは、
非常に大きなチャレンジともなり、訓練にもなり、人が短期間
では決して体験することのできない貴重な経験をできたと思います。
語学的にも鍛えられる年月でした。

しかし、ある一種のメガチャーチ規模の大きな教会での牧会哲学や
牧会方法や、そのようなものを学べる韓国でのメリットは受けて来れ
なかった一面もあったんだなぁと最近思っています。

韓国では先日行ってきた弟子訓練セミナーなどをはじめとして、
成功した牧会を公開して教えてくれることに仕えてくれる教会が
いくつかあります。

去年サミル教会の教会学校セミナーに行ってきた事もそのひとつでは
ありましたが、本当に学べる機会が多くあることと、このように提供
することをもって、世界の教会と教職者に奉仕してくれていることに
感謝をします。

今年から奉仕の形態も大きく変わり、今まで触れることのできなかった
日本人を対象にした組織的な伝道やケアや、聖書研究などの奉仕も
開かれようとしています。

その中で、今まで大事にしてきた奉仕もいくつかは整理をしなければ
ならなくなってきている段階でもあります。

そして自分の体調を考えても、何かを整理しなければ、次のことを
はじめられない現状でもあります。

新しいステップがすでに見え始めているのに、準備がまだできていない
私ですが、次に開かれる場所も大事に、そして今までの整理も心をこめて
祈りをもってしていきたいと思います。