metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

2009-03-30 10:26:49 | 教会生活
先週一週間、弟子訓練指導者セミナーというところに行ってきました。

内容は、すごく良かったのですが、長老派の保守的な教団神学校に通っている私にとっては、現場は違う!という大きなショックでもありました。
あと、教団ごとに、自分の教団のやっていることを最高だと思い込んでいる節が無きにしも非ずなので、(と言いつつ、カルビン大好きな長老派は、分派は聖霊の無い人間たちのすること、とカルビンの言葉そのままを強烈に信じている)そういう意味でもカルチャーショック受けました。

神学と実践が結びついてないといけないのですが、
実際は、実践神学、という科目そのものが、現場とちがって実践神学の歴史を学び、今の形式的礼拝にどんな重要な意味があるのかを勉強するものでした。
すでに形式を崩さない場合には、それに意味があることを知れるからいいのですが、私は、「そうでない」という選択肢を考えることを忘れてました。

実践現場での方法を考えるときに基礎になる神学が大事なのであって、すでに壊せないようにすら見える、ある形式に意味づけを与えることが実践、ではないのですね。
どちらにしても、神学や牧会哲学が研究され確立していてこそ、効果や即効性に動かされない方法論に入っていけるので、弛みなく、飽くなき研究と勉強が大事です。



私は幸いにして外国人で、どういう教団の教職者になるというよりも、今は、日本の魂(国を超えて魂の救いだけを目的に)を対象に考えればいいので、気持ちを切り替えることもある意味楽かもしれません。


結婚して三ヶ月経っていないのですが、このセミナー中にまたまた熱を出しました。
二度目の高熱で、しかも、こんな大事なときにTT

夫は結婚前から忙しい人間だと思ってましたが、結婚してからも、忙しい人間です。
私に「忙しいから会えない!」ってことはなくなりましたし、私に関心を払って、優しくしてくれるので問題は何もありませんが、体力が違う!
年上なので、私より疲れるかと思いきや、少ない睡眠時間でバリバリがんばります。やっぱりこういうところは男性と女性が違うのかしら。

スケジュール的には日から月まで、きちんとダブらず入っているのですが、なぜか私だけが疲れてます。そして疲れると熱というパターン。

家事もぜんぜん負担は大きくないのですが、余裕を持って生きていこうと思っています。

めでたいことが大好きな韓国の人たちは
「妻が具合悪くて」とうちの主人が言うと、大体決まって
「おめでたですか?」

おめでたするまえに体力をつけないと。。。


主人は「めでたいのはメグミサンの頭の中」と言ってます。
幸せなので脳がめでたいのは仕方ないかもしれませんが。。。あんまりじゃー

松田聖子さん

2009-03-18 21:50:36 | Weblog
松田聖子は、松田聖子という人を知らない人はいないほど、
有名なアイドル歌手ですね。

最近、改めて聖子ちゃんの昔のうたを映像つきで見たんですけど
かわいいなーと改めておもっちゃいました。

昔持っていたイメージはぶりっ子ちゃんって感じで、
歌も良いのか悪いのか分かりませんでしたが、聞いてみたら結構
いい歌あります。

最近のアイドル(?)の人たちって、アイドルじゃなくてもだけど
芸能人の人たち、みんなみんな結婚する前に妊娠ばっかりで、
変だし、みっともない。

で、赤ちゃん生んでたちまち離婚とかそんな人多すぎ。
とか、タバコ吸ってスキャンダルとか。


聖子ちゃんも後になって離婚しちゃって、最近の人みたいに
ビビッと来ました見たいな感じで再婚したりしてちょっと
あれだったけど、昔の聖子ちゃんの女の子らしさって
もう一度復活して欲しいなって思っちゃいました。

衣装も長めで、セクシーって言うよりは清楚で・・・。

こんな有名人たちが、結局その時代の「人気女子」の
イメージを作っていくものなのかもしれないと思い、
今聖子ちゃんスタイルのアイドルが出てきてもきっと
かわいいとは思われないのかなーと思うと、残念です。

私の数少ないカラオケでの十八番は、いつも
「赤いスイトピー」です。

次に歌う時には、もっとあの頃の聖子ちゃん風に行ってみたい、
けど、もう、遅いですかね。31歳では…TT

でも今日は市場の肉屋で
「奥さん、安いですよ!!どうぞどうぞ」
→私の顔をみて
「あっすいません 奥さんじゃないですかね、お嬢さん、どうぞ安いよ」
→私の「お嬢さんじゃありません…」を聞いて
「えー!若く見えますねぇー!どうぞどうぞ!」

まだ聖子ちゃん行ける?照明の暗いカラオケの中なら。

行けば行くほど謙遜

2009-03-15 23:42:03 | 黙想
行けば行くほど、を韓国語で書くと가면 갈수록 となる。

行けば行くほど、謙遜な人になりたい
というのが私の最近の思いです。

年を重ねれば重ねるほど、経験が多くなり、知識も増えるし
自分の目で見たこと、耳で聞いたことも増える。
そして自分がやって、成功したこと、失敗したことも
体験として残っていきます。

そのような経験が積み重なって、自信をもって人に良いと
思うことや、真理と信じることを強く口にする事もできる
のかもしれません。

往々にしてちょっぴり影響を受けやすい私は、説得力のある
人のメッセージを聞いて感化を受けることも少なくないのですが
ただたやすく影響を受けるというだけのことではなく、
最近はこの30年の経験の中で、

Aは効果もなかったし、その中に真理もなかった
Bは説得力もあるし私は納得している

となると、Bだ!Bこそ本物の考え方だ!
などと極端になり勝ちな私を発見します。


そんな中、Aも必要でBも必要で、いろんなケースによって
どちらのアプローチが適当なのかを考えて「かみわける」
分別力が必要なんだよ。
それが与えられるように祈ってみたら…なんていう意見を聞き…。

「私も経験を多くしてからBを見分ける力がついたな」なーんていう
ことが、むしろ非常に傲慢なことで、偏っていること。
いつも謙遜にいろんなことを吸収することが大事なんだ。
祈りが常に必要なんだ。自分が知っているって思ってはいけない
ってことを改めて気づくわけです。



今日はそんなことを考えて、また謙遜について考える中一人の方との
出会いがありました。
主人を日本から韓国に送るときに力になってくださった、もと
日本宣教師の韓国人牧師で、いまはアメリカで宣教師として働きを
されている方です。
韓国にちょっと戻られて、今日、私たちの行っている教会の
夕方5時の礼拝でメッセージをされるということが、当日の朝分かり
夕方の予定を後に押して、主人が私を妻として紹介もしたいという
ことだったので、残ってお会いしました。


その方の謙遜に驚いてしまいました。

日本であったいろいろなこと
苦しんだことや誤解を受けたことなど…
きっと今思い出しても胸が痛むことや、後悔となるようなこともあると
思いますが、自分を正当化するようなお話には決してならず、
日本を熱く、なぜか愛する気持ちが自分の中に流れていること
そして、人間がもう少しましになったとき、
神様をもう少しでも愛するようになった未来のそのときには、
もう一度日本に行って働きたいと言っておられました。
できなかったことが、やり残した仕事がたくさんあるので…と。

また、韓国が日本を助けるのは良いことなのだけれど、
自分の方式でやるのではなく、日本の牧師の下で働きたいと…
おっしゃいました。
日本の先生の指導の下に、韓国人は日本から学び、あえて自分の
方法を捨てて日本式にする、そして日本も韓国からいろいろなことを
学べるような一緒に共存できる教会を思い描いているということを
話してくださって、非常に感動してしまいました。

私の中で、韓国にきてから3年、
韓国式な方法を強力に行使している日本の地にある韓国人教会での
ある意味のショックを忘れられません。

日本の人たちが気にする騒音や、さまざまなことをむしろ進んで
行なっているようにすら見える教会は、日本人のクリスチャンとして
地域の人にこれ以上教会とキリストが憎まれるようなことを
しないでほしいという気持ちを持つしかありませんでした。

そして、短期宣教などを計画するときには、完全に日本の教会の
やり方を尊重するように強調しましたが、その中に、私も、
日本の地にある「日本の教会のやり方に従いなさーい!」という気持ちに
重きが傾いてしまっていた感じがします。

心痛む経験をしながらでも、ますます謙遜でやわらかく、
中立の立場…それはもはやイエス様のお考えとお心を感じさせる
ものでもありましたが、本当に感動し、自分が恥ずかしかったです。

たった3年の間に見たこと、
そして人生30年の間に聞いたことや見たことで
「私は知ってるんだもーん」
という気持ちになっていた部分のすべてを、消しゴムで消したい気分です。

罪、恥ずかしい恥ですがこれらをすべて見通せる方が、私の心を
すべて知っておられても変わらず愛しいつくしみ、なおも導きの
道を用意してくださっていることを感謝して、さらにこの謙遜を
見せてくださる周囲の器から学びたいと思わされました。

感謝です。感動の一日。

翻訳と買い物

2009-03-13 23:43:16 | 韓国ライフ
記事を一個、非公開にしました^^
コメントして下さった方、ありがとうございました~!


さて、私は時々翻訳の仕事をいただいて、家で仕事することがあるのですが、
翻訳、面白い仕事です。
好きな時間に休み休みできるし、内容が面白ければもっと良いし、その中でも
適切な日本語、最も読みやすい日本語に訳すという作業が面白いです。
それらの仕事は韓国人が翻訳したものをチェックするという作業も含まれますが
日本語が上手に話せる人でも、やはり翻訳になると、間違いがたくさんあることも
また、不思議です。
話している中では、十分に日本人なみにぺらぺらなのに、書き言葉となると、
同じ言葉が繰り返されるとだんだん不自然になってくるし、漢字の間違いなどは
日本人でも、大いにやってしまう間違いなので、外国人がすればなおさらいっぱい
発見されます。

私もブログの中で誤字が時々あると思いますが・・・言語というのはなかなか、
その思想や感覚まで含まれてくるので、上手に扱えるようになるのは、
努力と勉強が絶えず必要ですね。(ネイティブも含めてです)


今日は日本語を教えている学生さんの授業がキャンセルになり、一日中
予定が空いてしまいました。
朝からずーっと仕事をしてましたが、思い立って、運動兼ねて出かけよう!
と思って、私の家のある地域から、勉強している学生が集住している地域
まで徒歩で足を伸ばしてみました。

そしたら、お金にそんなに余裕のない学生たちが多い場所であるからでしょう
市場のものが安い~!
ホクホクで100円以下の食パン一斤や、200円くらいの卵10個入りや、どっさり
にら140円相当や、素敵なイカ4はい(冷凍)を370円相当で買って、更に足代をやはり
ケチって徒歩で戻ってきました!

主人は毎日学校で昼夜の食事をしているのですが、明日から週末。
私の計画では、今日予行演習をしたキムチチゲと、ニラのお焼き(イカ入り)
などを考えています!
(先週は、ポトフと洋風チャーハンのオムハヤシ^^)

ちなみにこの安々地域は、外食も桁違いに安いです。
毎週教会の礼拝の後には、海鮮丼280円や、豚キムチ丼300円相当を食べて
大満足です!

互いにすぐれた者と思いなさい。

2009-03-05 10:18:16 | 黙想
Let nothing be done through strife or vainglory; but in lowliness of mind let each esteem other better than themselves. (KJV)


Do nothing from selfishness or empty conceit, but with humility of mind regard one another as more important than yourselves;(NASV)

何事でも 自己中心や 虚栄からすることなく, へりくだって, 互いに 人を 自分よりもすぐれた 者と 思いなさい.(新改訳)

아무 일에든지 다툼이나 허영으로 하지 말고 오직 겸손한 마음으로 각각 자기보다 남을 낫게 여기고 (개역)

무슨 일을 할 때, 이기적이거나 교만한 마음을 갖지 말고, 겸손한 마음으로 나보다 다른 사람을 더 존중해 주십시오. (쉬운)

μηδὲν κατ' ἐριθείαν μηδὲ κατὰ κενοδοξίαν, ἀλλὰ τῇ ταπεινοφροσύνῃ ἀλλήλους ἡγούμενοι ὑπερέχοντας ἑαυτῶν,




この聖書のみことばが気になって、色々と調べてみた。
すぐれた人と思うというのはどういうことだろう?
自分より能力があると思えと言うことか。
しかし、人と人の比較の中で、能力を比べてみたら、
人より上手くできることもあれば、人が上手くできることもある。
年齢の幼い子供と比べれば、当然、大人が力において「すぐれて」
いるのは当たり前なのに、無条件に、人を自分よりもすぐれた者と
思いなさいとは・・・。

英語では、よりまさった者と思う、重要に考える
韓国語では、やはり、よりまさった者、そして、尊重する
ギリシャ語の原語聖書では、上回る、優勢な、すぐれた、まさった・・・。


私たちは、人に能力がある事を認めるだけでは、神のみこころを満足させることが
できないと感じる。
なぜなら、私(たち)の心には、人が自分よりも能力があると思うと、とたんに、
妬みや羨やむ思いが入ってくるからだ。

人に能力があることを認め、なお、一つ志のうちに、互いを尊ぶことがなければ、
神の共同体は壊れてしまう。

このピリピ2章3節のみことばの教えの後には、このような心構えはキリスト・
イエスのうちにも見られるものだと出てくる。

キリストは、使命に従って、神のみ姿を捨て、神のあり方を捨てられないとは
考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人と同じようになられた・・・
のだが、使命と十字架の救いの働きに身を投じる中に、常に、人を尊重する
考えがあったということを意味している。

13節にも、神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです、と出てくる。

志、使命に従うところに、常に、人を尊重し、すぐれた者と思う気持ちが
なければ、その働きはむなしい。
自己満足や、自分の志をまっとうするために生きるのであれば、神のみこころ
を決して喜ばせることはできないだろう。
自分の能力、そして人の能力、どれもが、一つ志=神のみ心にしたがい、神を
喜ばせ、神のみ名があがめられる=の中にあってこそ、互いに尊敬しあい、
尊重しあい、神の目線で「すぐれた」と思うことができるようになるのだと
考える。

生命を愛し、その存在の尊さを知ることが、どんな働きにも先立つべきでしょう。

マハナイム

2009-03-01 02:17:48 | 教会生活
短期宣教レポートからちょっと離れて・・・

結婚して主人と同じ教会に、毎週出席するようになりました。
以前の教会でも、色々働きは続いていますが…

主人の教会のメンバーを中心にしている、海外宣教の祈り会
マハナイムに、自動的メンバー化されまして、今日はそこに
行ってきました。

8時に集まってから、なんと
「今日はインチョンでやります!」
えぇ~、おなかぺこぺこなんですけど。

韓国の展開の速さと、腰の軽さ、動きのすばやさは、すばらしい。

インチョンにある、メンバーのお宅で祈祷会&ご飯だということで
そこから出発したら、車が混んで、ついたら9時50分。
そこから食べて、祈り終わったら12時・・・。

そこから帰って家に着いたら1時。

夫は今日福岡から帰ってきたのに、早々、大変なスケジュールでした。

さて、この祈り会、知らない宣教師の人たちが送ってくださる祈りの
手紙を読んで、祈るという地味な祈祷会なのですが、非常に非常に
海外宣教を祈る理想的な会で、感動しました。

海外宣教部、という部に所属して、色々祈ったり、自分のもといた
教会でしてたりしましたが、なぜかなぜか、会議ばかりをしていました。

このマハナイムという組織は、教会の部ではなく、自主的な集まりで
聖霊に語られて、この宣教師を応援しよう!とか、献金しよう!
ということが、自由に行われています。

宣教師だったらこんな風に応援されたい・・・

と、思いましたが、その思いにはっとさせられます。

宣教を祈りで応援する
宣教師を応援するとき、

宣教師本人に、こんな風に応援されたいと思われる形が、
一番良いのだろうなぁ、と。

自分らの手の中にいろんな情報を持つことや、教会の一組織を
運営するということよりも、月に一回、送られてくる祈りの手紙を
一枚の紙にまとめて、印刷して配って、回し読みして祈る・・・だけ。

インドや、いろんな国において、導かれようとしている人たちの
名前が登場するが、ハングルで表記されている、難しい名前の、
その国の人人。

どんな方なのか分かりませんが、尊いいのちのために働いている
宣教師の先生が、その人を思い、手紙を書いて、またまたそれを
タイプして配る、この集まりの中心世話役の人にも、頭が下がります。

うちの主人がそこに入っているいきさつは、良く分かりませんが、
この日本人夫婦を、今後も親しく、神にあって応援していこうという
ハートが感じられて、祈りの応援予備軍であり、今現在は共に
世界のために祈る仲間…に出会いました。

マハナイム。
月に一回の、バイタリティーあふれる祈り会です。
来月、また~。