metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

お客様

2006-11-25 22:19:22 | クリスチャンとしての私
かぜっぴきの私は、少々気分も暗くなりながら午後は家にずーっといました。
体調が悪いと、心もちょっと暗くなり気味。
しかも、ずーっと熱も下がらないし。ちぇっっ

夜8時を過ぎて、教会のどんせん(年下の友達)が遊びに来てくれた~
嬉しいね~こういうときの訪問!
しかも、日本語版「생명의삶」を持って。
この本は、聖書を読むときに色々アドバイスをしてくれる聖書ガイドのようなものです。日本にいるときは日本語版はありふれていますが、ここでは普通には売ってない貴重品。
出版元の書店が実は近くにありそこで見つけたとの事。

あれこれと1時間半ほど話をして、今帰っていきました。

暗くなってる場合じゃな~い!

訪問も嬉しいし
これを見て「オンニを思い出した」と言って買ってくれたどんせんの存在が嬉しかったです。

さ~て、明日の準備(明日も日本語の先生)でもしよう。
日本語先生の顔と、宣教師の顔と、ただの日本人の若者の顔、そして月曜日には恐怖の試験が待っている語学学校の生徒の顔。
色んな顔ごとに役割がありますが、神様により頼んで行こうと思います!

悪循環から良循環へ

2006-11-05 19:23:14 | クリスチャンとしての私
特別早天祈祷会を経て、今日は、韓国中央教会はサンクスギビングデー、収穫感謝礼拝でした。
講壇にはかぼちゃなどの麗しい収穫物が、いけばなとともに並びました。

特別早天祈祷会で、祈る事の大切さを改めて教えられて、今日も引き続き、「サムエルを得る時まで」祈るということで、説教がされた。
祈っても祈らなくて太陽の光を浴びるけれど、祈っている人には感謝が生じる。祈らなくても三食食べられるけれど、祈っている人にとっては食事が持つ意味が違う。
その通りだと思いました。

ここに来て、半年が過ぎた。
初め来た時には、ただただ、連れて行かれるところに連れて行かれて、どこに行くのかも、何しに行くのかも分からずに、教会の教職者の人に連れられてうろうろしていた。

その後、中学生の日本語教室が始まったり、日本人の信徒が送られてきたり、色んな自分なりの仕事も生じてきた。
もともと外国人の宣教師である私は、教会の教職の人とは役割もできることも違うのですが、みんなはチームワークを取って仕事をしているのに、自分だけ常に個人でしなければいけないことも、時々寂しかった。

母が来て、初めて部屋で話を沢山する機会に恵まれた。ひとりで暮らしていると、独り言以外は家でしゃべる機会はなく…。小さなことも楽しく笑って、母がいなくなったときには、来てもらわなければ良かったと思うほど寂しくなってしまった。

けれど、祈っていて、寂しさや時に、楽しさも、自分の「感じ」に過ぎないことを知っていった。
寂しい感じがする、孤独だ、などと思うことによって、どんどん性格や視線が内向きになってしまい、本来受け取る事のできるものを受け取れない状況に追い込まれていると気付いた。本当の世界を見られずに、むなしい自分の感情や思い込みの殻の中に閉じこもっているようなものだなと、その「悪循環」に神様は気付かせてくれたみたい。

そしてまた、楽しさも、時々、楽しさの殻の中に閉じこもるって言うのはへんな言い方だけど、それも、本当の世界を見ている事にはならず、すべて、各自の「感じ」や「感情」から生み出される自分の世界に過ぎないとも思う。楽しいって思うのはいいことだけどね。

なので、あえて祈る時に「寂しくないようにしてください」という単純な祈りをするようになった。本当は父なる神様と一緒にいる、世界で一番祝福された神様の子が、寂しいなんて事があるわけないのだから。
色々な感情から自分を守ってくれるようにと神様に祈るようになった。

神様はそれにもちゃんと答えてくださった。
今日は、新しく来た日本人の女性の信徒の人と一緒に礼拝をささげ、つつがなく通訳できた事も感謝だった。
その後、中学生の日本語クラスの生徒達がうちに来て、日本料理パーティーをした。いつもは私が先生だけれど、今日は皆が私の発音を治してくれた。うーむ、難しい!けど、みんなありがとう!
その後、若者礼拝をささげた。ひとりで座っていたのだが、神様に礼拝をささげる時は、いつも誰と座っていても、神様と一対一、感謝感謝。
その後、若者達の集まりがあって、初めて、頼んで参加させてもらった。
ゲームをしたのだが、外国人の私の言う早口言葉は全然早口言葉じゃなくて、一同大笑い。
その後、同い年の仲間と食事しに行きました。
彼らは面白がって、韓国語の「目上に使ってはいけない隠語」を教えてくれた。主任牧師に間違っても使わないようにと忠告しつつ^^;

寂しいなんて思う暇が無かった。
そして、自分自身が以前より本当にオープンになれた気がする。

たくさんの人が出入りする日曜日が、私個人的にはもっとも、何が起こっているのか理解ができず、寂しい思いに取り付かれやすい日だったのに、今日は神様がたくさんの楽しい交わりを与えてくれた。
神様の与えてくださるものを感謝して受け取れて嬉しいな^^

最高の感謝は祈る事ができること。
今日の説教の題だ。
祈る事ができることに感謝し、祈りの答えがもらえることに感謝し、続けて感謝と祈りの「良循環」を繰り返していくのだ!